無知を誇って開き直る脚本家

とまあこんな感じで、普段ドラマを見ないから感想も言いづらいんだけど、とりあえずこのドラマの中でtwitterは別に重要じゃないってことは何となくわかりました。

てな感じでtwitterをネタにしたドラマがやってるというんでtwitterのTLが盛り上がってるわけですが。
散々突っ込まれネタにされた脚本家の態度がこれもん。

あのな、せめて「知る努力」とかしろよ、という感想を抱くのは当然なワケですが…こちらの考察が面白い。

 思った以上に見てる人が多かったのは、まあ、単純に題材が気になるからだろっていうのは別として、昼からすでに今日ドラマがやるっていう情報が行き交っていて、これは実況盛り上がるんじゃないかな、という思惑がみんなにあったからだと思う。脚本家の名前は、俺みたいにあまりテレビ見ない人でも知っているほど知名度があるし、ちょっと調べれば、その人がどんなドラマの脚本をやってきたのかはわかる。さらに、事前に流れてくる「あー、これは無理っぽい」と思わせるに足る情報の数々。

 つまり、ドラマが「どんなものになるか」は、ある程度みんなわかってたんじゃないかと思うのだ。

 今回の盛り上がりは「来るかな、来るかな……やっぱ来たー!!」ということで、要はみんながみんなで「やっぱ来た!」を共有したかったんじゃないだろうか。

確かに「素晴らしいものを期待して観ていた」なんて人は皆無だろうな。

だいたいこれだけ普及してるサービスで、ドラマの製作関係者のあたりだけ、ツイッターをアクティブに使ってる人がいない、なんてのは逆に考えづらい。

 簡単にわかることが反映されていないということは、そこには確信犯がいるということだ。俺が確信犯だとしたらこう考える。

ツイッターという、言葉だけは知られているけど、実際にそれがどんなものであるか知っている人がいないツールは、題材として非常に好都合。なぜなら、どう扱ってもいいから。撒き餌として便利」

 ただし、この考えかたが成立するには、条件がある。まずひとつは、実際にツイッターやってる人たちが世論に与える影響力ってのがテレビの影響力よりも小さいという前提。そうでないと、TLで俺が見た「リア充怖い(笑)」「ツイッター(笑)」みたいな反応のほうが力を持ってしまい、ドラマのリアリティは根幹からずっこけてしまうから。

 もうひとつ。大衆はバカだと思ってること。バカにしないとこうは考えられない。

 あとひとつあった。自分たちの作ってるものが、しょせんその場だけの消耗品で、そこに誇りとかがないこと。これは重要。数字を稼ぐ道具だと思えなければならない。

うんうん。当たらし物好きが多いだろうエンターテイメントの業界において、twitter如き知ってる人間が居ないってことはないよなぁ。確かにその通りだ。
ドラマ観てるみなさーん、バカにされてますよー。

 とまあ、もしここまで考えられて作られたものなら、うまい商売だなーと思うしかない。実際は知らね。うまい商売なんだけど、すげえやな商売だなーとも思う。

 いずれ現実をきれいさっぱり無視しさってるわけで、たとえドラマそのものがおもしろかったとしても、あとにはなんにも残らない。いや、金は残るのか。だけど、そんなこと繰り返してたら、信頼失うでしょう。最低限のリアリティも担保できてないんだから。次には次のブームが来るのかもしんないけど……なんか、そういうもんじゃねえだろう……。

信頼を失うもクソも、リアリティがあると思ってドラマ観てる人ってどのくらいいるんかな?

 テレビだって、コンテンツって商品を売ってるわけなんだけど、昔っからなんかおかしいなーと思ってたのは、それがいい商品であるかどうかを判断する基準もまた、テレビ自体が提供してたんじゃねーかなーみたいなこと。「テレビがこれおもしろいって言ったらからおもしろい」的な。なんか「次はこういうのがいい商品です」って自分でルール提示しといて、まっさきに自分でそれ作る。そのルール内でのゲームでたとえば視聴率みたいなのが動いてて、見てる人も一緒になってそのルールで動いてますっていう気がして、気持ち悪かった。特にバラエティみたいなの。

そういえば似たようなことでグーグル批判してる人がいたっけな。マスなメディアとはそういうものなのか。

 かつてはテレビ様の前で人は平伏するしかなかったんだけど、すでにこの世界には「テレビ様wwwww」っていう視点がある。テレビの人たちは、ツイッターがどんなものであるかは調べたかもしれない。そのうえで現実に即しないドラマを作っちゃっていいと思ったのかもしんない。ドラマはある程度は「典型」を視聴者に与えなきゃいけないんだけど、まだこの「典型」は押してけると思ったのかもしれない。

 だけど、その人たちは、きっと「テレビ様すげえ(笑)」っていう視点がネットにあることだけは知らなかったんじゃないかな。仮に知ってたとしても、そんなもん黙殺できるレベルのものだと思ったのかも。

 でもさー、別に俺ら、黙殺されて黙ってる必要もないんだよね。ブログ書けるし、ついったーでなんか言えるし、Ustできるしラジオできるし。「ついったーそんなんじゃねえよwww」って思ったらそう言う。現にそういう声が存在しているっていうのは、ほんとに無視していいほど小さなことなのかな。

うーん。携帯からでもネット上の情報は見られるけど、批判的な「声」を目にする事ができる人とできない人の断絶は依然としてあるってところかなぁ。電車男だって結局流行ったしねぇ。
未だこういうドラマを笑ったりする「テレビ様すげえ(笑)」って人はマイノリティということなのかな。

悪の表現は悪なのか

石原都知事が作家時代に書いた小説「完全な遊戯」はまさに反社会的な内容である。そのことが「非実在青少年」の騒動で知られる所となり、古書の値段が釣り上がっているという。

完全な遊戯 (新潮文庫)

完全な遊戯 (新潮文庫)

 いかがだろうか。精神を病んだ女性を強姦・輪姦・虐待したうえに殺害したにもかかわらず、犯人たちは何の罰も受けない。彼らはわずかのためらいもなく犯罪を実行し、自責の念を微塵も抱かず、すべてを「遊び」と言い切る。

どうだろう?弱者を踏みにじって快楽を得た者が罪を問われず、また自ら罪を感じることも無い。犯罪を否定する要素は無い。むしろ犯罪を奨励していると騒ぐ者が居てもおかしくないようなシロモノだ。
しかしこのような作品もしかるべき枠組みの中では存在する自由がある。少なくとも石原都知事が作家として活躍した頃にはあった。

 誤解しないでいただきたい。僕は「完全な遊戯」を規制しろとは言わない。けしからん小説だし、不快には思うが、規制すべきではない。むしろ、この国の中で、こうした小説が出版される自由が保証されていることを評価したい。
「レイプを肯定的に描かない」というのは、僕個人の規範にすぎない。作家によって倫理観は違う。もっと潔癖な人もいるだろうし、逆に暴力や犯罪や反社会的行為をもっと肯定的に描いている作家も多い。僕は「完全な遊戯」のような作品は書かないが、その基準を他の作家に押しつけたくない。

傾向は全く違うものの同業者である山本弘が「表現の自由」を語り容認するのは当然と思う。誰がどのような表現をしようと「醜悪だから」「不快だから」などという理由で禁止される筋合いは無い。
山本氏の守りたいものは「自由」であり、「表現する自由」と同等に守られるべきものもまた明確にされている。それは「見たくないものを見ない自由」であり、口を酸っぱくして言われ続けたゾーニングだけが相反する二つを両立させる手段となる。


しかし少し前、自由を守るということ以外にもう一つ、こういった「悪い」作品、悪辣な表現物の存在を容認する理由を語った人が居た。こちらも表現する側の人間である。それは安倍吉俊

 世の中には様々な悪があり、我々はその悪の『実行者になる』、『被害者になる』、『表現物に触れる』という三つの手段でしか学ぶ事ができません。
もちろん『犯罪的な内容の表現物を読んで犯罪について学べ』という意味ではありません。そういう表現物に対して良識を持って立ち向かう人達がいる社会の空気からしか、人は善悪や分別を学べないのです。教科書に『これは善です、これは悪です』と書いて暗記させても、それは分別を身につけたことにはなりません。

 繰り返しになりますが、現在市場にある表現物の中には、非常に暴力的で残虐なものや、社会通念上良くないとされるようなものがあります。それに対して、良識ある人達が声を大にして『これは良くない』という事はとてもいい事だと思います。なぜなら、良くない表現物があり、それを良くないと指摘する大人たちがいる、という、その構図そのものが、子供が分別を身につけるために絶対に必要な大切な教材だからです。

とても大切なことを語ってくれたと思う。
「悪」の存在を認識すること無しにそれをどうやって克服することができるだろう?
この世のことごとくを善によって埋め尽くし、白く塗り潰し、黒はおろか灰色すら無い世界で、人は善を認識するのだろうか。
灰羽連盟」でカトリックからも評価されていると噂の安倍氏だが、キリスト教徒に聞かせても良いような真摯な問いかけではないかと思うのだ。

猫が水俣病に?

マグロとかフカヒレとか、一部の魚は水銀汚染があるというのは良く知られた話だと思います。
そのせいか「マグロを原料にしたキャットフードで猫が水俣病になった」という話をネット上で見かけるんですが、猫を飼っている私としてはまったく聞いた事もない話題で、症状が深刻なのにまったく知られていないというのは疑問を感じます。本当にそんなことあるんでしょうか?

これを書いている「西村 肇」という人を良く知らないのでこの人自身を信用して良いのかわかりませんが、チッソが1958年に行った実験を紹介しています。

入鹿山らは、猫の餌の中にメチル水銀を混入させる実験によって、メチル水銀がどのくらい体内
に蓄積すると発症するか「発症蓄積量」を調べています。結果は、体重1 kg当たり8-56 mgで、平均すると
約30 mgです。

また

2年もののマグロ、メカジキの水銀濃度は 0.2ppm 程度

という記述もあります。
さてキャットフードにどのくらい水銀が含まれていて、どれぐらい食べたら問題になるんでしょうか。
溶液の密度とか無視してざっくり概算したい場合1ppmは1mg/1kgだそうなので、0.2ppmでは1kgに対して0.2mgですね。
猫の体重を3kgとして、チッソの実験では1kgあたり8-56mgで発症なので危険を高く見積もり8mgを目指して考えましょう。体重3kgなら24mg。
0.2ppmの水銀を含むマグロを食べるとし、1kgあたり0.2mgで24mgの水銀を摂取するには…120kg。
これは人間の場合ですが水銀は6〜8ヶ月で排出されるそうです。ではおよそ8ヶ月、240日で120kg食べるには…一日500gですね。
カルカンの70g入りパウチには体重1kgあたり1.3袋を目安に与えると書かれています。体重3kgなら約4袋ですから280gですね。一番低い値と比べても半分ぐらいになる量しか食べませんね。しかもこれは食べるキャットフードが全部マグロという仮定ですし、8ヶ月で排出されるというのは当然ながら8ヶ月目で突然排出するワケではなく徐々に排出されていくのでしょうから、8ヶ月経った頃には最初の頃体内に入った水銀は排出されているでしょう。さらに言えば体重3kgというのは結構ちゃんと管理してスリムな猫です。2kgぐらいになるともう命が心配です。5kgぐらいの猫もいます。体重が増えればもっと影響は減るでしょう。キャットフードの重さだって70gが100%マグロではありません。
たださっきも西村さんを良く知らないと書きました。本当に0.2ppmで済むのか、他のデータも見たいところです。そこで食品安全情報blog。

Chunk white tuna(主にビンナガマグロ) (0.619 ± 0.212 ppm)  

solid white tuna (0.576 ± 0.178 ppm)  

chunk light tuna (カツオ含む)(0.137 ± 0.063 ppm)

高い方だと0.8ppmぐらいになりますね。これだと一日125g食べれば水銀24mgに達します。一日280g食べるとして半分より少し少ない量がマグロ。しかしそれでも体重1kgあたり8mgは一番低い値で平均値では30mgで発症でしたから、そこまでは4倍ぐらいの開きがあります。まぁかなりいい加減な計算ですけども、本当にこんなので水俣病になるでしょうか?
大体家の猫はマグロとかカツオを好みましたが無事でした。まぁ個人的な経験は一般化できませんけどね。

この話の出所は一体どこなんでしょう?こちらは知る人ぞ知る「ビックル一気飲み」でおなじみ「きっこのブログ」ですが、この人はどうせ自分に都合の良い話を集めているだけで、根拠も無い噂話を右から左に流しているんでしょうけど。

「マグロを原料にしたキャットフードばかりを与えてた猫が、水俣病に似た神経障害を起こして歩けなくなって、検査をしたら体内から基準値を大幅に超えたメチル水銀が検出された」

「検査をしたら体内から基準値を大幅に超えたメチル水銀が検出された」って、一体どこで何を検査したんでしょうね。動物病院で採血しても水銀なんて項目は見たことがありません。最初から水俣病を疑って特別な検査をしたとでも言うんでしょうか。組織検査?
「基準値を大幅に超えた」なんて表現は「食品検査かよ!」って思っちゃうんですが、そう感じるのはうがった見方のせいでしょうかね。基準値というものはリンでもカルシウムでもあるわけで。
妊婦の話もありますけど、ヒジキだって妊婦は控えるように言われてますよね。でもそれ以外の人は食べて良いワケです。こういうの騒いじゃうっていうのは、一応避ける、念の為に避ける、っていうことの意味をわからない人が多いんでしょうか。

ともかくはっきりと猫が水俣病になるリスクを示した情報は見当たらないように思うのですが、まぁ偏食は一つの食品が持つ影響力を強く受けてしまいますので、色々食べる方がリスクを避け易いかな、とは思います。

つーかね、猫の飼い主が不安に感じるような噂話なんか利用して、「権力が隠し事してる!」って攻撃する材料にするきっこには開いた口がふさがりません。
こんな感じ。

「非実在青少年」の規制反対運動

東京都にはメディア産業、IT企業が集中しており、東京都で規制をかけることは、全国レベルで規制をかけるに等しい効果がありますし、東京都で成立した条例は、そのコピー品が全国の自治体において同様の条例として可決されてしまうことは、過去の歴史が物語っています。

このように非常に影響力の大きい規制が行われようとしているということで、作家が危機感を持っている様子があちらこちらから伝わってきます。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1433296029&owner_id=209282
転載自由ということで以下。

都議会議員の一部(←要するに民主党系列)に、メールを送ったと書きましたが。

……なんとある事務所の方から、いきなり電話が!

どこかは明かさないでください、とのことですが。なんと事務所で対応してくれたその人が、オタクだそうで。
ライトノベル作家さんからの声を初めてもらいました!」
とかなんとか。

で。
どうもその人が、今回の件について、反対派の中の一人だとゆーことで。

……これがちょっとややこしいんですが。そこの議員としては、スローガンを「子供がうんぬん」と掲げている以上、議会で反対がしにくい。
しかし、本心は反対である、と。

そこで、
「とりあえず民主党都議会議員に、メールではなくて、『封書』『ハガキ』で反対の意思を送りつけるのが効果的」
とのアドバイスをいただきました!

(※メールではダメだそうです。というのも、現在どこもメールが大量に届いていて、対応しきれないようで)

そして、実際に仕事をしている作家側の意見は、「ペンネーム」「メールアドレス」「住所」といったものに加えて、「個人ブログのアドレス」「出版社の名前」をそえると、さすがに無視できなくなるようです!

ただし、最も効果的なのは、やはり都内在住の方が「その選挙区の議員」に封書、ハガキを出すこと、だそうで。
(※封書の方が重みがあるそうです)

それ以外の方は、『民主党都議会議員』のサイトをチェックして、
「二期、三期当選の若手議員」
に送るのが、理解されやすくていいとのこと。

幹事長といった役職の人も、もちろん力があるのでいいそうです。

さらに……裏情報として。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/membership/number021.html

↑この人は「規制推進派」なので、意見送っても無駄、だそうです。こっそり教えてくれました。

……知らんかったから、メール送っちゃったよorz

とにかく、以上のような状況です!
「ぜひ広めておいてください。あと9日くらいしか時間がないので!」とのアドバイスですので、もしよければこの情報を作家さんの中で転載し、どうぞ広めてくださいませm(_ _)m

また、それとは別の議員さんから、メールの返信をさっそくいただきました。
「自分のような若い議員は反対だが、長老議員の中には『投票率の低い世代からの意見』としか捉えていない人もいる」
とのこと。

しかしこのように、きちんと意見を返してくれる方もいるので……ちょっとがんばってみましょう!

↓議員リスト。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/membership/electoral_zone.html

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民主党都議会議員2〜3期者リスト」

■役員(13名)

●都議3期(※幹事長)
〒135-0004
江東区森下1-5-5-201
大沢昇 様


●都議3期(※幹事長代行)
〒115-0043
北区神谷1-28-8
和田宗春 様


●都議2期(※幹事長代行)
〒174-0071
板橋区常盤台2-1-15グリーンハウス101
くまき美奈子 様


●都議3期(※政策調査会長
〒190-0012
立川市曙町2-34-6-803
酒井大史 様


●都議3期(※政策調査会長代行)
〒107-0061
港区北青山3-3-7第一青山ビル2階
大塚たかあき 様


●都議2期(※政策調査会長代行)
〒113-0033
文京区本郷1-34-4桑山ビル201
増子博樹 様


●都議2期(※政策調査会副会長)
〒187-0032
小平市小川町2-1344-2阿部ビル101号室
斉藤あつし 様


●都議2期(※政策調査会副会長)
〒184-0004
小金井市本町1-6-2アリスビル1階
西岡真一郎 様


●都議2期(※政策調査会副会長)
〒154-0004
世田谷区太子堂3-18-3
山口拓 様


●都議3期(※総務会長)
〒203-0013
東久留米市新川町1-6-14貫井ビル101号室
山下太郎 様


●都議2期(※総務会長代行)
〒202-0015
西東京市保谷町4-6-21
石毛しげる 様


●都議2期(※総務会長代行)
〒180-0006
武蔵野市中町1-3-2ハウスプランニングビル402
松下玲子 様


●都議2期(※総務会副会長)
〒189-0014
東村山市本町2-12-8第1フジビル205
佐藤広典 様



■その他(16名)

●都議3期
〒110-0008
台東区池之端4-26-31
中村明彦 様


●都議3期
〒155-0032
世田谷区代沢1-5-14
花輪ともふみ 様


●都議3期
〒151-0073
渋谷区笹塚2-1-14スタープラザ笹塚4階
大津浩子 様


●都議3期
〒192-0046
八王子市明神町4-2-10タック八王子1002
相川博 様


●都議2期
〒162-0041
新宿区早稲田鶴巻町556フルヤビル2階
いのつめまさみ 様


●都議2期
〒131-0043
墨田区立花1-24-1-1009
小沢昌也 様


●都議2期
〒153-0042
目黒区青葉台1-2-6コートハウス青葉台201
伊藤ゆう 様


●都議2期
〒165-0026
中野区新井1-1-16 202号室
吉田康一郎 様


●都議2期
〒166-0015
杉並区成田東5-3-27
門脇ふみよし 様


●都議2期
〒171-0014
豊島区池袋3-3-11音羽ビル203
泉谷つよし 様


●都議2期
〒114-0022
北区王子本町1-22-3王子工業会館3階
原田大 様


●都議2期
〒178-0063
練馬区東大泉5-41-27豊川ビル3階
野上ゆきえ 様


●都議2期
〒123-0843
足立区西新井栄町1-19-31-1909
大西さとる 様


●都議2期
〒125-0041
葛飾東金町1-19-6-201
伊藤まさき 様


●都議2期
〒194-0022
町田市森野6-379-1-501
今村るか 様


●都議2期
〒182-0036
調布市飛田給2-29-1ベルヴェデーレ調布201
尾崎大介 様

他にも情報が集められているサイトがあるので何かしたいという方はご一読を。

実際に行動を起こす、手紙を送る場合にはこちらを参考に冷静な行動を心がけましょう。
働きかける相手は味方にしなければいけない相手ですから、悪印象を与えてはいけません。

特に東京都民は無視できない存在なので考えてみる価値はあるかもしれません。それ以外の地域では民主党議員に手紙を送ると東京に意見が届くかも。
これもやっておくといいかもしれませんが条例改正は3月18日には終わってしまうので今は意味がありません。

ミニ氷河期

なんでもミニ氷河期だから温暖化どころか寒冷化だそうなんですけど。こちらの記事。

 【大紀元日本1月15日】英紙「デイリーメール」10日の報道によると、気候変動に関する政府間パネルIPCC)の重要メンバーであるドイツ・キール大学ライプニッツ研究所は、太平洋および大西洋の水温自然循環の分析により、「地球ミニ氷河期説」を発表したという。実際、コロラド州の米国家雪氷資料センターの数値によると、2007年より、北極は夏に海面氷結面積がすでに約106万平方キロ増加しており、増加率は26%にのぼったという。「地球ミニ氷河期説」は、北極が2013年の夏までに、完璧に融けてしまう「地球温暖化説」と1900年から始まった地球温暖化は人類が排出した温室効果ガスが原因であるとのこれまでの認識を覆した。

 ライプニッツ研究所・研究チームを率いるラティフ氏は、海洋の寒さと暖かさの循環の始まる所、即ち地表下914メートルのところの海水温度の測定を発案し成功したと2008年に発表、地球が寒い成り行きに変わることを予測し、2009年のIPCC会議で同説の主張を繰り返した。

 これに対して、米ウィスコンシン大学大気科学組織責任者ティサンニス氏は、「数十年振動」は世界各地で同時に発生したことによって、地球気候は「温暖化」から「寒冷化」に変化し、20〜30年後に再び逆転すると説明した。ティサンニス氏は、「数十年振動」は地球の気候を変え、20世紀と21世紀における地球気候変化の重大な要因の一つであるとラティフ氏に同調した。

てなわけで、IPCCの名前を出し、ラティフ・ティサンニス両氏の名前とコメントを載せ、いかにも科学的でございますという風ですが…
ソースはデイリーメールで大紀元を経てネタサイトが掲載。いかにも怪しげなニオイがプンプンしてますね。大紀元ちうたら反共組織の法輪功が運営してるメディアじゃないの。どんなプロパガンダかまされるかわかったもんじゃない。
しかしブクマをみると二酸化炭素を出して暖めなきゃ!」というような発言が多数見かけられる。
ネタですか?ネタですよね?ねぇ?orz
まぁブクマには「DMはタブロイドからしょーがない」というような人もちらほら居て、みんながみんな鬼の首取った様に騒いでいるワケでもないのですが。
この報道について詳しくはこちらが取り上げています。まずMojib Latifについて。

指導的な科学者が、自身の研究を、現在の寒い天気が人間起源の地球温暖化の科学的証拠を損なうものだという主張とに結びつけた、ミスリーディングな新聞報道を攻撃した

かなり激しい反発ですね。自分の主張と逆の報道をされたんだから当たり前だが。

Guardianに対してMojib Latifは次のように述べた「人々が地球温暖化を否定しようとして私の声明を使おうとしたことに驚いている。私は人間起源の地球温暖化が起きていると考えている。私は、『私の名前がMojib Latifでなければ、それは地球温暖化だろう』と言った。我々が気候に影響を与え、気候は我々による温室効果ガスの排出に対応して変動していることに対する疑いは科学界にはない」

まさにミスター温暖化。(って性別しらないけど)

"Mail on Sunday"の記事は英国をつつむ北極気象と、Latifの研究チームが2008年にNature誌に掲載した研究を結び付けようとした。その研究は「海洋温度の自然の変動が世界的な温度に予想されるより大きい影響を及ぼす可能性がある」というものだった。特に、その研究では「海洋の冷却により地球温暖化が相殺されて、2000〜2010年および2005〜2015年の平均気温は1994〜2004年の平均を超えない」と結論していた。その当時の科学者たちは、この研究が予測される長期的温暖化トレンドに疑問を呈するものではないと強調していたが、この研究は地球温暖化から地球寒冷化への転換を示すものだと広く誤って報道された。

15年までは04年以前並かそれ以下なんですか。その後については従来通りと念を押していたと。

"Mail on Sunday"の記事は「Latifの研究は現在の寒い天気は、冷涼な天気への向かう地球的トレンドを告げるものであることを示した。BBCはこの大寒波は短期的な気象であって、温暖化を続ける気候とは何の関係もないという見方を保証した。しかし、Latif教授たちの研究はこの見方を論破するものだ」と述べていた。

既にBBCで短期的現象と報じてたんですね。それを改めて否定するような内容が、それ単体で日本に入ってきちゃうと困った感じ。

それはLatifの主張とは合わない。Latifは「それらは何の関係もない。我々が現在経験しているのは気象現象であり、我々は今後10年の平均気温について話している。これらは対置できるものではない。海洋温度の影響は地球全体の気温に影響を及ぼす他の自然現象によるものと同様のものだ。たとえば、火山噴火は火山灰により大気圏に入り込む太陽光を反射することで一時的に惑星を冷却する。自然変動は人間起源の温暖化と並行して起きる。ときには冷却効果となり地球温暖化を相殺するが、時には加速する。」と述べた。

他の科学者たちは海洋による全地球の気温への影響の強さに疑問を持っており、地球温暖化が予測された一時停止を起こすことに同意していない。

自然現象について話をしているのであり、人為的な温暖化とは別枠。片方で増減があったとしてももう片方でずっと増やしてたら最終的には増える。今回は減少だから相殺されて停滞するけど両方増加になったら超増える。みたいな。

Latifは「私の研究は20世紀の気温上昇の最大限半分が海洋の自然変動の影響だと示唆するものだが、これはIPCCの2007年のレポートと矛盾しないものである。地球温暖化が100%温室効果ガス排出によるものだと言っている気候専門家などいない。」と述べた。

IPCCのレポートを否定していません。原因の半分が海洋の影響だろうと、温暖化自体は支持しているのです。つーか100%人間のせいとは誰も言ってないと。
最後に「今回の記事が私の研究を歪曲した初めての記事ではない。」なんて部分もありますが、デイリーメールは酷いらしい。
ローマ教皇キリスト教右派の聖書原理主義連中が大好きな反進化論と温暖化否定論であるように報道したり。*1

同じメディアなのにイギリスとアイルランドで逆の内容載せたり。

新聞を売るために、真逆のキャンペーンを行うDaily Mail紙。これらの記事は、同じ英語圏で、どこからでも読めるネット上にある。ネットで済ませる人々は新聞を買わず、新聞を買う人々はネットで記事を読まないと見きっているのだろうか。

新聞買わないネットユーザーにバレても痛くもかゆくもないってことですか。
温暖化に戻りましょう。もう一人の研究者Anastasios A. Tsonisについて。

ここで示唆した通り、動的に誘導される気候シフトが起きたとすれば、20世紀における同様のシフトの期間から、新たな全地球平均気温トレンドは数十年持続することが示唆される。もちろん、そのような期間にわたって現状のレベルで全地球平均気温がとどまるというのはまったくの憶測である。さらに、我々はここで記述した気候シフトが、人間によって推進されている長期温暖化トレンドに重ねあわされることに注意しておきたい。しかし、過去の気候状態におけるシフトの性質から、ほぼ一定な気温が10年以上にわたって続く可能性を考慮すべきである。2001〜2002年の温暖化の停止の背後にある至近の明らかな原因がないことは、気候システムに対する我々の理解、特に長期時間スケールのモードの内部気候変動性と、そのようなモードの地球温暖化への影響の物理的推論と因果関係について疑問を呈する。幸いにも、このような疑問に対して、気候科学は急速に発展しており、近い将来には、シームレスな気候予測システムの範囲内で、10年スケールの気候変動性の原因と影響を特定することが可能になるだろう[Palmer et al. 2008]。また、そうすることが不可欠である。全地球平均気温の安定的な上昇のエンベロープの範囲外にある内部気候変化による、全地球平均気温の将来の変化のスペクトルの温暖側と寒冷側の両端で思いがけないことになるかもしれないからだ。

あくまで推測だが「気候シフト」が起きたなら、過去の状況に照らして数十年気温が一定する可能性が高い、と。しかしそれはあくまで短期間のものであり、長期的な気候変動の一部に重なる形で現れるもの。2001〜2002年の原因のわからない「温暖化の停止」については将来メカニズムが解明されると期待。また、そうしなければ温暖であれ寒冷であれ思いがけない事態に直面する可能性もあることから、解明されるべき、という感じ。

最後に、至近に地球温暖化が停止するとしても、大きな内部変動が気候にあることによって、何ら安心できるわけではない。気候が大きな内部変動性を持つことは、人間起源の放射性アノマリにも非常に敏感だということになるからだ[cf. Roe 2009]。もし、気候システムの内部変動性の役割が本研究も示唆する程度の大きさを持っているなら、内部変動性を過小評価している現行世代の気候モデル [Kravtsov and Spannagle 2008]が予測するよりも、21世紀の温暖化は大きくなることが示唆される。

短期的に気候変動が起きるということは、起きない場合に比べて人間の及ぼす影響がもっと大きく油断ができないということでもある。ちっとも喜んではいけないですね。

*1:まぁあの世界最強クラスの御仁を味方につけたいのはわからんでもないがw

スパッツ?レギンス?え?ゲートル?

最近スパッツのことをレギンスと呼ぶらしいじゃないですか。
でね、可愛らしいイラストを添えてレギンスを紹介する同人誌なんか買って読んでたワケですが…

レギンスとは【leggings】
レギングや、レギングスともいう。本来は乳幼児が冬に用いる足先まですっぽりと包み込む形になったニット製のパンツをいう。

足先を袋状に縫ったものや、野球などのユニフォームに使うアンダーソックスのようなそこの抜けた形になり、共布あるいは紐で土踏まずの部分に引っ掛けて留めるようになっているものもある。

また、くるぶしや膝上くらいまでの軍隊用革ゲードルや、これに似たデザインのジャージー製フットウェアもこうよばれる。

類似語にフィゾーやスキーパンツ、スパッツがある。

(新ファッションビジネス基礎用語辞典増補改訂第7版)


*レギンスとスパッツの違いは?

・もともとレギンスは、防寒用の幼児のパンツ。
・スパッツはもともとバレエの練習着。


だ、そうですよ。

この「新ファッションビジネス基礎用語辞典増補改訂第7版」が同じように引用してありました。
え?ちょっと待って?ゲートルなの?でもさぁゲートルって脛だよね?

面積のある布又は軟革をバックル又はボタンで固定するもの。世界の陸軍の装備としては第二次大戦頃までは上述の巻脚絆と共に双璧をなしていた。戦後現在は基本的に儀礼的な軍装としてのみ形を残している。脛全体ではなく、踝辺りのみを巻く小振りのレギンスは短ゲートル(半脚絆)と言われる。また、硬革の脛当てである革脚絆は、主に長靴の代わりとして用いられた。

どうやら軍装としてのレギンスは巻かないゲートルのことらしい。ていうかゲートルがあっての巻きゲートルか?
レギンスという言葉の綴りから考えるとこれぐらいの長さが妥当なようでもある。

レギンス は、leggings ですから、leg に関連する言葉ですよね。ですから、もともとは、ヒザから足首までをガードするものだったようです。(一般にleg は太モモの付け根から足首までとなっているのですが、leggings の場合では、ヒザから足首とするのが一般的なようです。)

そしてこれが変化して、・・・・ぴったりとフィットしたズボンも、レギンスと呼ぶようになったようです。ズボンとの区別は、ジッパーがついているかどうかで区別するようです。

スパッツ(spats) は、spatterdash (泥よけ) が縮まったものだそうです。

ですからもともとは、靴に砂や雪が入らないように、靴と足首を覆うもので・・・・現在でも登山用具で用いられているようです。

スパッツというのは、泥よけという意味ですので、ぴったりとしたズボンとは根本的に違います。ですからこれをスパッツと呼ぶのは日本だけのようです。(^^)

日本でスパッツと呼ばれるようになったのは、ロングスパッツ は、レギンスでもあるので、これが変化したぴったりしたズボンもスパッツと呼んでも構わないと思ったのかもしれません。

でも、そもそも最初からレギンスと呼ばずに、スパッツと呼んだのは何故でしょうか? もしかするとそれは、パッチという言葉が関係しているかもしれません。
最近ではほとんど聞かないかもしれませんが、モモヒキのことをパッチと言います。この語感が似ているので、スパッツにしたのかも・・・・?(^^)

ではパッチとは何語かというと、実はこれが朝鮮語なんだそうです。(^^)
しかも、宝暦(1751年〜1764年) ごろから流行りだしたそうです。

漢字では、〓昆 襠 (ぱっち) と書くそうです。(^^)

朝鮮はともかく、何か混同があったんだろうなという雰囲気。ロングスパッツとレギンスが混同されてスパッツ=レギンスになったというのはまぁありそうな話。
しかし、欧米ではスパッツと言ったら短ゲートル。

欧米では「レギンス」と呼ぶほうが一般的です。「スパッツ」というと、靴の上部から足首の部分を覆うカバー(いわゆるゲートルや脚絆と呼ばれるもの)の事を言う場合も多いです。しかし、その“いわゆるゲートル”の事を「レギンス」とも言ったりするのです。女性のファッションよりも、軍服などに詳しい人は「スパッツ」や「レギンス」というと、むしろこちらの方を思い浮かべるかもしれません。
つまり、いわゆるゲートルのことを「スパッツ」とも言えば「レギンス」とも言い、一方で足にピッタリフィットしたパンツのことも「スパッツ」とも「レギンス」とも言うわけです。
語源から考えると、スパッツの語源は「スパターダッシュ(spatterdashes)」であり、本来は靴の上部から足首を覆う用途のものが“本来のスパッツ”であった事が推測されます。一方でレギンスは足にピッタリとした衣類の用途のものが“本来のレギンス”であったと思われます。
レギンスは、元々は左右に分かれていました。それが、ストッキングからパンティーストッキングが生まれたように、左右合体して現在のレギンスの形になったようです。
この左右に分かれていたものを、下腿からブーツの上部に被せてはくようになったことから、スパッツとレギンスが同じような意味になったとも考えられます。

spatterdasheは泥で汚すものという意味。泥除けなんですね。
この記述だとレギンスは後からロングスパッツのことを指すようになったんでしょうか?元々衣服のことだった?
レギンスが左右に分かれていたことは、以外にも「人間失格」にレギンスが登場する場面でもわかります。

なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆(レギンス)を両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以(もっ)てセエターを着ているように見せかけていたのです。

人に怯え、計算ずくのおどけを演じる葉蔵少年。セーターじゃなくて、レギンスを腕につけて、ウケを取ろうとするあたり、やっぱり十分「お変人」のような気が・・・

話の内容はさておき、文庫本では、「脚絆」に「レギンス」というふり仮名表記がされていました。

両腕にはめているわけですから、左右一体ではいくらなんでも不自由でしょう。とすればこの頃のレギンスはまだ現在の形ではないんですね。
カルソンとかトレンカなんてのもあるそうなんですが、こちらの説明でレギンスの名称が「脚絆」から現在の意味に変わった経緯に触れていました。しかし、

レギンス(leggings)の語源は戦時中のゲートルに代表されるすね当てや脚絆(きゃはん)のことを意味していて、その形状から近くは幼児用の防寒パンツの名称に使われていて、この呼称が女性ファッションのレギンスに流用されました。

乳幼児がはくニット製のレギンスが脚絆に似ているか疑問ですが…人間失格に登場したレギンスも左右分かれているはずですから、幼児用レギンスとは形が違うのではないでしょうか。はて。
こちらでは幼児用のレギンスは形が似ているだけで、スパッツが転じてバレエの練習着を指すようになったと書かれていますが、左右一体の形状になった理由には触れていません。

ニッセンで販売しているレギンスとスパッツっていうのは、外見はほぼ同じです。なので「レギンスと呼ぶかスパッツと呼ぶかっていうので年齢が分かってしまう」なんて言われたりすることもあるけれど、厳密に言うと、レギンスとスパッツは起源が違うものなんですよ。

レギンスっていうのは本来は幼児用の防寒用のパンツのことなんです。それに対して、スパッツはゲートル状のものが元となっていて、それが転じてパンツ状のバレエの練習着となったそうです。外見はほとんど同じでも、用途にはかなりの違いがあるっていうのに驚き!

ただ、ファッションの世界でもスパッツはゲートルであり、日本で言うスパッツはレギングかカルソンの別名というのが海外で一般的な認識と思われます。

本来の意味と関係なく日本だけでしか通用しないスパッツは、カルソン(calcon)、レギング(leggins)のことです。下着がアウター化したものです。タイツに近いカルソンの語源はイタリア語のカルゾーニ(cazoni)からフランス語へ転化したとされています。スパッツは、 spat(s),spatt(s)が語源で短いラッシャ地や絹地のゲートル(仏語)の一種です。外側でボタン、バックル、ファスナーで留め開閉できるようにした砂埃等が靴に入るのを防ぐ為にものです。


1986年頃からパリコレなどに登場。ボディコンブームなどでフィット感のある洋服の流行とともに、定着し始めました。下着のアウター化現象の黎明期です。丈もくるぶし丈、膝丈と徐々に短くなりました。その後、陸上競技選手などの間でもスパッツ着用者が急増。ブームとなりました。1990年頃になると主婦層に支持され市民権を得た下着(スパッツ)スタイルは、柄物まで登場してピークを迎えます。1993年頃、コレクションで復活し、レース付きなど下着そのままのデザインが主流になっています。

それにしても足に履くものだけで色々な種類があるもんです。こちらに解り易いイラストがありました。

 ちなみに「タイツ」と違うのは、形状が足首から先が出ている点で、これに土踏まずに掛かるストラップ状の部分が付けば「トレンカ」と言うそうだ。「トレンカ」なんか完全にスポーツジャージのボトムスだけどなぁ。

タイツ・トレンカ・レギンス・ニーソックスの違いがわかりますでしょうか?
中にはレギンスではなく「レンギス」と呼んでいる人も居るようですが、単に聞き間違ったんでしょうかね。
ニーソックスを正式には「オーバーニーレングスソックス」と言うようなので、一瞬ニーソのことかと思いましたが、欧米ではオーバーニーと略すようなので「レンギス」になる要素は無いと思います。
ちなみにニーソも種類があって、膝上のものがオーバーニー、腿の真ん中までくるのがハイサイだそうです。

サイハイソックスと混同されやすいのが、膝上までの丈のオーバーニーソックスだが、これらの靴下の差異を知らない男性からは両者が混同されていることが多い。また、『電車男』などで取り上げられる、美少女系キャラクターや萌えキャラが穿いているものは、その多くがオーバーニーソックスではなく、サイハイソックスである。現実に女性が履くと足が短い場合、特にミニスカートなどでは中に隠れかねない、また、足が長い場合でもサイハイだと足の長さや、個性が強調されすぎてしまうため、ハイソックスに似た形状のオーバーニーソックスの方が好まれる。

足が短いといわゆる絶対領域ができないので、サイハイソックスは日本人には向いていません。
それにしても、結局脛を覆うゲートルであったレギンスの名称が現在のように足全体を覆う衣服を指すようになった経緯がわかりません。腿まで伸びたり、さらに左右一体になって腰まで覆うようになったのはいつなんでしょう?それとも元々レギンスは衣服を指す言葉だったんでしょうか?
バレエに使われるタイツ的なものを指すようになってそこから転じたという記述も多いようですが、ゲートルとは長さが違いすぎます。レッグウォーマーならともかく。
それにタイツ的なものは中世の貴族が正装にしてたワケで、バレエならそっちに起源がありそうな気もします。
幼児用の防寒着の場合は、そもそも小さいので左右繋がって腰まで覆うようになったとしても不思議はないかもしれません。しかし人間失格の記述が気になるところです。「姉のレギンス」は左右分かれていたはず。過渡期にはそういうものもあった?
結局謎を謎のままにして終わるのだった。

ブルームーン

2010年は月食の多い年で、元旦から1回目があったそうです。

また、日本の歴史上、元日に起こる月食は実は初めてと言えるのです。というのも、明治以前の暦は月の満ち欠けをもとにした太陰太陽暦でしたから、元日は必ず新月であり、満月になることはなく、原理的に月食は起こりません。また、現在の暦への改暦以降では、元日に月食が起こるのは、2010年が初めてになるからです。その意味で、珍しい月食といえるかもしれません。

暦の都合上、元日に満月がきたのは初めてなのだった。

ところで1日に満月がくると、同じ月にもう一回満月が巡ってくることもある。これもあんまり起こらないことです。珍しいので二度目の満月を見ると幸運になるなんて言われていたりする。その二度目の満月がブルームーンと呼ばれます。
自分はたまたまSIONの曲で知ってました。

一ヶ月の間に二度目の満月という意味でのブルームーンは3〜5年ぐらいに一度起きます。

本来、大気中の塵の影響により月が青く見えたことを「ブルームーン」と言っていたが、1946年に「Sky & Telescope」誌の誤解により、ひと月のうち2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶようになった。このとき、特に1回目の満月を「ファーストムーン」、2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶ場合がある。 「ブルームーン」は、断定は出来ないものの、3年ないし5年に1度の周期で起こる。満月になった瞬間、さらに見える地域に限定されるので、それぞれの場所、国によって「ブルームーン」だったり、そうでなかったりする。

ブルームーン」の言葉の由来については、チェコ語からの転化、フランス語を英語に翻訳したときに生じた等々諸説存在するが、これといった定説は存在せず、天文学用語にも存在しない。「ブルームーン」という言葉は天文の正式な用語ではなく、定義がはっきりしていない。辞書において「ひと月に2回満月があるときのこと」などという記述は見つからず、大抵の場合は「大気のちりの影響で青く見える月」と記載されている。また、月が青く見えるのはあまり頻繁には起こらないことから、「ブルームーン」は「めったに起こらないような珍しい出来事」の意味で、慣用句として使われることが多い。

とまぁ辞書にも載ってないそうで、あんまり一般的な言葉ではないかも知れません。
でもカクテルの名前になってたりします。

直訳の「青い月」という意味のほかに、「完全なる愛」「叶わぬ恋」「出来ない相談」という意味もある。「完全なる愛」については材料とされているバイオレットリキュールの商品名が「パルフェタムール(<仏>Parfait amour:完全なる愛)」であるため、そこから言われるようになったと思われるが、基本的には「出来ない相談」の方がよく使われる意味。女性なら、「あなたとお付き合いしたくありません」という意味を込めて、これを注文するのがスマートなお断りの方法とも言える。

「完全なる愛」と同時に「出来ない相談」ですか。そんなの注文して断るなんて詩的ですなぁ。
しかしSky & Telescope誌の誤解というのは一体なんでしょうか。Wikipediaからリンクされているこちらに詳細が載っていました。

 “ブルー・ムーン”という言葉にはもともと様々な意味がありましたが,1980年1月以降“その月2回目の満月”を指して呼ぶのが一般的になりました。

 英語でブルー・ムーンといえば,“極めてまれに”という意味の "once in a blue moon" という熟語がよく知られますが,この言葉の起源が“その月2回目の満月”が珍しいことであるという説明は間違いで,こちらはもっと古い言葉です。

 “ブルー・ムーン”という言葉は400年以上も前から使われていましたが,16世紀頃は“非常にばかげたこと”という意味で“月はグリーン・チーズでできている”のように使われました。この“ばかげている”という意味から,“月が青くなるなんてありえない”“決してない”(never)という意味が生まれます。

元々は「有り得ないこと」を意味していたんですね。しかし、月が本当に青く見える事態が発生しました。

 また大気中の塵の影響で月が本当に青く見えることがあり*,これもブルー・ムーンと呼ばれました。例えば1883年のインドネシアのクラカタウ火山の爆発は,その後約2年間,日没を緑に月を青に変えたといいます。このように,かなり稀でいつ起こるか分からないものの月が青く見えることがあるとわかり,19世紀半ばに "once in a blue moon" (めったにない)という熟語が生まれました。

この事態を受けて「有り得ないこと」から「滅多にないこと」に意味が変わったと。
「見ると幸せになれる」という言い伝えはもっと後の流行歌に起源があるようです。

 20世紀に入ると,今度は流行歌が“ブルー・ムーン”を悲しみや孤独の象徴に例えます。エルビス・プレスリーの"Blue Moon"(1934),ビル・モンローの"Blue Moon of Kentucky"(1944),エディ・アーノルドが歌う"When My Blue Moon Turns to Gold Again"(1944)などなど。このような歌のうち半分は,幸せが訪れる歌のラストで月は金色に変わるということです。

そして現代の「ブルームーン」という言葉を特徴付ける「二度目」の満月という意味が加わるのはさらに後。

 よく知られる“その月2回目の満月”という意味は,この後に現れました。
 この意味の由来を捜したカナダのニューファンランド州メモリアル大学の民話学者フィリップ・ヒスコックは,『メイン州農民年鑑』(Maine Farmers' Almanac)に載っていた“ブルー・ムーン”という言葉を米国の天文雑誌『Sky & Telescope』が1943年7月号のQ&Aコーナーで紹介し,さらに同誌は1946年3月号で“その月2回目の満月”という意味を加え,それを1980年1月に米国のラジオ局ナショナルパブリックラジオが Star Date という番組で広めたものであったことを突き止めました。

1946年のSky & Telescope誌によってそのように紹介され、1980年にラジオでも紹介されました。
しかしSky & Telescope誌は1999年に、同誌の記事による「二度目」の記述が誤りであることを確認し、間違いを広めてしまったことを認めました。というわけで「二度目」の起源は同誌にあるワケです。

 けれども『Sky & Telescope』誌は,続く1999年5月号の記事で,ヒスコックが1999年3月号で引用し紹介した『メイン州農民年鑑』1937年8月のブルームーンは21日であり,“その月2回目の満月”ではありえないことを指摘し,1819年〜1962年の計40冊以上の『メイン州農民年鑑』を検証しています。
 その結果,確認できた一番古いブルー・ムーンは1915年11月21日。ここで使われている“ブルームーン”は“その月2回目の満月”ではなく“1シーズンに4回の満月がある時の3回目の満月”であり,1946年3月号の同誌の記事が,間違った意味を広める原因になったことを認めています。

以下は間違いの経緯。

 『Sky & Telescope』誌の検証によると,『メイン州農民年鑑』が示すブルー・ムーンは全て,11月・5月・2月・8月の20日〜23日に起こっていました。
 これらの日付は,何れも北半球の冬至夏至春分秋分のおよそ1ヶ月前に相当します。

 今日私たちが使う1年は1月1日に始まって12月31日に終わり,また“太陽年”の定義は“太陽が春分点を出てから次に春分点に達するまでの期間=365.24219日”ですが,『メイン州農民年鑑』が採用していた太陽年では,1年は冬が始まる冬至から次の冬至が来るまででした。

こうして規定された太陽年にはほとんどの場合12回の満月があり,12回の満月は春夏秋冬それぞれに3回ずつ割り当てられます。これらの満月を,西洋では,例えば秋の Harvest Moon(収穫月)のように,その時節に相応しい名前をつけて呼んでいました。

 けれど月の朔望周期はおよそ29.5日で太陽年の1ヶ月と少しずれているため,時によって1太陽年は13回の満月を含み,通常は各々3つの満月を含む春夏秋冬の4つの季節のうち1つだけに,4回の満月が生じます。
 『メイン州農民年鑑』では,この4回の満月が起こる季節の3回目の満月を“ブルー・ムーン”と呼んでいたのです。

 では,どうして3番目の満月が特別だったのでしょうか?

 表で示したように冬(冬至)の最初の満月は Moon after Yule,次の満月は Wolf Moonで,最後の満月 Lenten Moonは必ずレントの期間内に起こらなければなりませんから,春分の約1ヶ月前にやってくる冬の3番目の満月は,もう一つの余分な月ということになります。

 こうして各季節3番目の満月を識別し,それをブルームーンと呼んだのが『メイン州農民年鑑』のブルームーンでした。

 結局のところ,何故4つの満月を持つ季節の3番目の月を“ブルー・ムーン”と呼ぶようになったのかは謎のままです。
 そして,間違いによって始まった“その月2回目の満月をブルームーンと呼ぶ”という意味も,独り立ちして歩み始めた今となっては,ブルー・ムーンの意味の一つになったと言ってよいでしょう。もちろん『メイン州農民年鑑』が語るブルー・ムーンや,実際に青っぽく見える月も,やっぱり同じように“ブルー・ムーン”です。

 いずれにしても,きっと“ブルー・ムーン”という言葉が持つ神秘的な響きが,人々を惹きつけてやまないのでしょう。

最後に「二度目」のブルームーンが見られる日付です。

2010年(平成22年)の(中央標準時で)満月の時刻は
01月01日(金) 04:13
01月30日(土) 15:18 (ブルームーン)
(2月は満月なし)
03月01日(月) 01:38
03月30日(火) 11:25 (ブルームーン)

今年は二回もあるんですね。