日本刀やら何やら

前回。

ついうっかり「百人切りなんて言い出すのは日本刀を知らない」とか書いてしまったが、どうも日本刀の性能として不可能と言い切っていいものか疑問がある。単純に100人分の肉を切って見せろという話なら可能かも。生きた相手だと無理だろうからあんまり意味は無いが。
それから日本刀を持っている人の突っ込みがあって、握りと柄については居合いの達人が話す内容で正しいものなのかという疑問もある。
居合いの人は戦中に柄が破損したことを証拠として剣道の握りが間違っているという話をしていたけれども、戦中の刀が粗悪だっただけでなく、元々それらの日本刀が想定した以上の耐久性を要するような無茶な使い方をしたから壊れたんじゃないだろうか。柄に負担がかかるのは元々日本刀が抱える問題で、長目貫*1など補強する方法もあるようだし、特殊な握りをするのは柄の保護を目的として後から考えられた使用法ではないかとも思える。
居合いの刀は居合いに必要な力で振って耐えられれば良い。柄も必要以上の頑丈さを求めれば重量が増したり大型化して邪魔になりかねない。重心が変わるのも問題である。
戦闘用に作られた刀なら刀身も肉厚になるので柄が重いことは問題無い。むしろ軽すぎると使いにくいかもしれないし、長い方がテコの原理を使うのに都合が良い。両手の間隔が狭いということは支点に近い部分で操作するということだから反動が強くなる。そのせいか大太刀なんかはかなり長い柄が付いている。
てなことで色々あさってみた。資料的に役立ちそうなのは材質の辺りまでであとは与太話かなぁ。
こちらは100人切りに反論すべく日本刀の話を集めたページ。それにしても「証拠」とされてる刀、構造を理解せずハバキ*2に直接文字彫ってしかも上下逆だとか、捏造するにしても雑だなぁ。あくまで自国民向けならあれで足りるんだろうけど。

明治になってからは、試し斬りはもっぱら豚の屍体でおこなうようになったわけである。乃木希典明治39年谷干城邸で愛刀をふるい、見事に豚の腰部を両断する土壇払いの快挙をなしとげたが、それは誰にでもできることではなかったらしい。
谷干城邸は幾度も屍山血河の戦場を馳駆(ちく)し、日本刀の扱いはこころえていると高言していたが、秘蔵の銘刀で試斬会にのぞんだところ、豚の皮一枚も切れずに刀身を鍋弦のように曲げ、鞘に入らないまま風呂敷に包んで持ち帰った。

豚ぐらいぶった切れる人もいれば刀が曲がってしまう人もいた。

水試しなんて川に胸まで浸かって、刀の刃を水平方向に向け、刀身の平地全体を思いっきり水面に叩きつけると、その衝撃で三つぐらいに折れる刀もあるようですからね。
これは金属という振動に対して敏感な物質だからこそ起きることでしょうね。木刀だったら絶対にそんなことはなりませんし、鉄でも焼きが入らないような炭素量の低い軟鉄だったらそんな折れたりなんて事にならないでしょう。
まあ、何でも“長所即欠点”で、焼き入れで鋼は硬くなりますが、そのために脆くもなりますからね。その脆さは刀の場合思いがけないほどハッキリと現れることがあるのです。例えば刀身にハンマーを当てて何か修理しようと思う時、不注意に刀の中子などを持って刀身の半ばをコツンコツンとハンマーで叩いたりすると、全くハンマーに触れていない切先がビィーンと異常な音を発して、欠けて飛ぶことがあるようです。
ですから既に焼きが入った刀身にハンマーを当てる時は、必ず切先にガムテープを張って振動を吸収するようにし、その上、更にそのガムテープを貼った切先に布を巻いて、そこを掴んで刀身をハンマー打ちするようですね。

日本刀は意外な程脆いようだ。理由は思い当たるフシが無くも無いが後で触れる。

私は千切れた軍袴を下げ、切断部を水で洗うと、右膝をつき、左足の靴先で彼の靴を押え、まるで足をタテに割るような形で軍刀を振り下ろした。鋭い鋭角状に、肉と骨が切れた。おそらく、距離が近かったので自然に「挽き斬る」という形になったことと、刃が繊維に平行していたからであろう。
私は、軍刀を抜身のまま放り出し、切断した部分を前と同じように処置し、急いで土を掘り、足を埋めなおしてから、軍刀を紙でぬぐった。暗くてよくわからなかったが、一見何も付着していないように見えた刀身や拭うと、確実に何かがべっとりとついていた。刀身は鞘におさまった。しかし、何か鍔や柄がガタガタグラグラする妙な感じがあった。

日本刀は、刀身と柄を“ハバキ”と“目釘”を用いて固定している。
“目釘”とは、鞘と刀身を繋ぐ円柱状の芯だ。
日本刀は、“ハバキ”と“目釘”だけで固定し、刀身は柄の中では浮いた状態で保たれる。
これは、刀身が木製の鞘に触れてしまうと、錆の素になる為だ。
ゆえに、素人や未熟な者、熟練者でも手の内(両拳に掛ける力加減)を誤れば、“目釘”に大きな負荷が掛かってしまい、そこから刀身に亀裂が入る。これが「刃切れ」である。

この「刃切れ」を防ぐには、竹製の“目釘”を用いると良い。
竹の“目釘”は、余計な負荷が掛かっても、“目釘”が折れるだけで済み、「刃切れ」が生じにくいからだ。
(竹の“目釘”は、三年以上の真竹を冬至の10日前に伐り、それを三年間干したもので作られる)
だが、竹の“目釘”が支給されていたのは将校だけだった。
下士官軍刀は、あくまでシンボルに過ぎず、使用しない事を前提とされていた為、“目釘”も取り替える必要のない鉄製の物を与えられていたのである。

山本七平が「刃切れ」を起したのは、竹の“目釘”を支給してもらえていなかった為か、手の内が悪すぎた為だと思われる。

素人でも死体の骨は切れた。ただ、縦に切断している。この際故障を起こしているが、軍刀の目釘*3が金属製であったことも一因。目釘には刀身を保護する役目が有り、折れることで壊れたり抜けることを防ぐとされる。

侍の時代は、斬首刑の時は“斬り柄”という専用の長い柄を用い、刀を振る速度を増す為に鉛流しの鍔(鉛製の鍔)を付けるなどの工夫がなされていたが、それでも失敗する事は多かった。

鉛のツバは手元に重心が移るので、重い刀身でも扱いやすくなったかもしれません。現在も据えもの切りには樫の木で作られ金輪のはまった「斬り柄」を使うそうですが、首切りに使ったのは同じようなもの?

人を斬れば、当然、刃こぼれも生じる。
刃筋を乱し、あるいは皮・肉・骨など摩擦の異なる物を切れば、刃がまくれ上がる事もある。

ゆえに、使用後は必ず修復・手入れせねばならぬが、日本刀は、一回の研ぎに10 工程以上(作業工程の分類の仕方によって異なる)掛り、日数にして最低でも十日前後、長くて一ヶ月近く掛かってしまう。
人を殺す度に、修復に十日以上も掛ってしまうのであれば、銃剣で刺した方がはるかに効率が良いのだ。

このあたりは他の武器があるのに刀を使うのが非効率だと言ってるのであって、刀をダメにして良ければ不可能とは言い切れないですね。

戦場では、刀は切れ味の良い物よりも、丈夫で重量のある物が好まれた。
なぜならば、人は肉や骨をスッパリと断たずとも、皮膚の下の動脈をわずかに切っただけでも死ぬからだ。
また、鉄甲をしていても重量のある刀をまともに腕に食らえば戦闘不能となり、頭部に直撃すれば昏倒し、鎖骨に食らえば致命傷となる。
切れ味は重要ではないばかりか、鋭利であれば刃毀れが生じて破損し易い為、初めから刃を潰した“丸刃”も好んで用いられていた。

甲冑を身に着けた相手の無力化を考えれば鈍器に近い方が良いわけだ。

腰を落として重心を下げた半身立ちで、“脇構え”や“八相構え”を多用する事で、大きく振りかぶる。
左半身から右半身へと体を入れ替える事で生じる遠心力を利用し、重量のある太刀を敵に叩き付ける。そして、スキを見ては、甲冑の隙間を切り突きする。
相手が弱れば、組討(素手の戦闘)に持ち込んで、仕留める。
激しく打ち合った為に刀身が曲がれば足で踏んで直し、刀身が折れれば従者に持たせた予備の太刀を用いる。それも折れれば、そこらの林に入って木切れを拾い、それで殴り付ける。
これが、最も実戦的な軍刀術だったのである。

壊れても知ったこっちゃ無いという随分荒っぽい使い方です。まぁ武器なんだから予備を持ってるのが正しいだろう。あとコレ太刀の話ですね。
さて日本刀はすぐ切れなくなると言われるのですが本当でしょうか。

日本刀でものを切断する場合、引き斬りという事を行います。
包丁でものを切る際に引きながら切ると良く切れますが、その理屈です。
しかし包丁に油がつくと途端に切れ味が悪くなります。
これは刃先にあるミクロの鋸状の部分に油が入り、
摩擦力が少なくなってしまうからです。
従って日本刀も油が付くと切れなくなるだろうという事でしょうが、
人を切るにはそれほど影響しません。

肉を切って油の付いた包丁を拭わずに切り続けてみたらどうでしょう?使いにくくなりますが全く切れないわけでもありません。そういうことです。

そして加速して切断する日本刀と包丁では性質が全く違います。
包丁は重量が少ないため、手の力と引き斬りの力に依存することが多いのですが、
日本刀は秒速25mに達する鋭い刃先を持った1kg超の刀身で切断します。
包丁の引き斬りの効果ではいくら固いカボチャを切ろうとしてもなかなか切れませんが、
加速された日本刀は引き斬りを行わなくとも簡単に両断します。

ここら辺は日本刀の形状がミソですね。引き斬り、引き斬りと言われるので引かなければ切れないイメージが付いてしまうのですが、真っ直ぐ振っても竹ぐらい切るのは楽勝みたいです。

 叩き斬るような場合は切れ味、刃持ち両面で寝刃合わせしたものよりキーン刃に軍配があがりました。
 ノコギリのように刃を触れさせてから引いて斬る場合は寝刃合わせしたほうがひっかかる分、寝刃合わせした刀の切れます。しかも、叩き斬るような用途でもそこそこ切れます。

「寝刃合わせ」は刃が引っかかり易いように荒くしてやることを言います。衣服なんかはこの方が切れるみたいですね。そうすると引いて斬るのは服を着た人間を切るのに必要な技術かな?

 想像ですが、寝刃合わせに合う刀とは平肉、刃肉がたっぷり付いて刃がガチガチに硬い刀なのではないでしょうか。こういう刀を薄くすると折れやすいし、刃も欠けやすく、刃肉たっぷりだと合わせ砥石で切れるように研ぐには時間がかかるからです。チャンバラしたときに人を斬るより相手の刀を駄目にするのが目的のような刀ならば寝刃合わせに向いていると思います。

まさに戦闘用。実は少々の刃こぼれというのは問題無いらしい。

日本刀が切断対象とするものを刃毀れしやすい順に並べると
1歯
2鋼鉄
3軟鉄
4腰骨、頭骨
5その他の骨格
6皮膚、筋肉等

となり、さらに骨は死んでいる人の骨より生きている人の骨が柔らかく、
中年より青年の方が柔らかいと言われます。

歯や鉄を好んで斬りつけることはありませんね。

昔、戦場で用いられた刀は刃先は分厚く肉置きされ、
また鋭い刃を付けるのではなく、刃先はギザギザのノコギリ状となっており、
そう簡単には刃こぼれしない造りになっていたのです。
これは平時に用いられるものに比べてはるかに強度が高く、
よく言われるようにすぐに刃こぼれを起こすような物ではありませんでした。

さらに、たとえ刃こぼれしたとしても、実はあまり切れ味は落ちません。
以下のような記述があります。

>敵が長い時日を費やした防禦物を叩つ切つた刀は、
>皆鋸のやうになつていたさうであるが、
>それで敵を斬つたらかへつてよく斬れたと皆云つていた。
>餘計な鐡條網を張つた為に、
>敵は鋸びきの厄に遇つたわけだ。
                       戦ふ日本刀 P76 成瀬関次著

これは戦時中に敵陣に突撃する際、日本刀で鉄条網を切断したところ、
刃先はボロボロになってしまったがこれで切るとむしろよく斬れたと言う事でしょう。
成瀬関次氏は刀剣修理の専門家で、日本刀の実際に詳しい方です。
また、この方は刃こぼれは1分(3,03mm)内外であればそのままで戦えると言っておられます。

鉄条網とか切ってるし。鋸引きは嫌だなぁ。
そもそも刀はなぜ切れるのでしょう?

通常、包丁などの切れ味はほとんどこの刃先角度で決まるとの事で
「刃物のおはなし」によれば刃先の角度が35度の刃物と15度の刃物では
比べ物にならないほどの差があるとの事です。
では刃先角度を思い切り少なくしてやれば良く切れるかと
思われるかもしれませんが、日本刀の場合は違います。
なぜなら日本刀は骨という大変硬いものを斬る必要があるからです。

日本刀はカミソリのように鋭いと良く言われますが、刃先の角度でいうとそんなに鋭角ではないわけですね。

日本刀の刃先角度は30度と先ほどお伝えしましたが、
実は見た目の上でこれをさらに小さくする方法があり、その方法を引き斬りといいます。
これは例えるなら30度の急な坂道を上る場合、
坂に垂直に上ろうとすると大変ですが、斜めに上ると楽だろうという理屈で、
刀を引きながら切る事によって同様の効果をもたらそうというものです。
引き斬りによる刃先角度の減少は引く距離に比例しますが、
反りがあると引く距離が同じでも刃角の減少はさらに多くなります。

引いて切る理由がここにもありました。押してもいい気がしますが・・・根元の方が厚いか。
反りが有るのでそのまま振ってもいくらか角度が減少するはずです。もっと反りの深い湾刀なら引かなくても良いでしょうね。シミター(三日月刀)とか。
他にも幅・厚み・断面形とか切れ味には色々関係します。

詳しくはリンク先で画像見てください。

 同じ身幅の場合、重ねが厚いと刃先が鈍角になり前方からの反力が大きくなります。さらに切断面を押し広げる量が多いため当然対象物からの反力も大きくなります。そのようなわけで重ねは薄いほうが切れ味は良いのだが、薄いと刀が曲がりやすくなってしまうという欠点がでてきます。

同じ角度でも厚みを増せば抵抗が増えてしまいます。

 平肉に膨らみを持たせることで断面積や刃先の角度が増し刀の強度が増します。
それから、硬いものや、あるいは柔らかいものでも高速で対象物を斬った場合<図-3>左図のように刃先の方だけが切断面に接し摩擦や反力が減って切れ味が良く感じるようにおもいます。

理屈はわかるが実際どのぐらい違うもんだろう?

 身幅が狭いと刃先の角度が増えるため前からの反力が増えるが切断面に接触する面積が減るので摩擦が減ります。
 反面身幅が広いと正面からの抵抗は分散されるのですが、摩擦が増えます。刀の強度はこちらのほうが上です。しかし扱いやすさではどうかとの疑問もでます。

角度を抑えつつ摩擦も減らそう、強度も欲しいし軽くしたい。難問だ。

 以上、図を書きながら刀で物を切断するということについて考えてきましたが、刀で物を斬った時に切れ味が良いと感じるためには刃先が対象物に当たることと、押し広げること、摩擦が小さいこと、の絶妙なバランスをたもつことができる理想的な刃肉の膨らみが必要ということです。

刃先がちゃんと届く程度に鋭角で、適当に押し広げて、しかもそれ以上後ろで摩擦が増えないというように調整する。これは肉を切る為の工夫らしい。

なお、日本刀は蛤刃となっておりますが、
これは肉のような刀身に吸いつくものを斬る際の摺動抵抗を減らすためで、
巻藁のような乾燥したものを斬る場合は平造(フラットグラインド)
または逆蛤(ホロウグラインド)のほうが良く切れるそうです。

ナイフなんかはフラットとかホロウグラインドですね。日本刀と近い形状に仕上げるのは斧や鉈という叩き切るような刃物らしい。単なる強度重視ということも有り得るかな?
大きなスピードで振る為の重心調整も成されているわけでして。

打撃中心とは斬撃を行う際に対象を刀身の「ある部分」で叩くと
手元に衝撃がほとんど来なくなる点の事です。
通常、これが物打ち部分に近い箇所にある刀を切れ味が良いと言いますが、
実際に斬撃を行う際に手元が狂う確率を下げますので、
切り込み深さへの影響は少なからずあると考えられます。

重心は刀身をいじるわけにいかないので柄とツバで調整。さらに目貫なんかも調整に使えそうです。
日本刀は柄が外付けになってるから使い手の好みでカスタマイズできちゃうんですね。標準的な柄は刀身の3分の1ぐらいだったかな?
形についてはこんなもんでしょうか。
製法にも強度を得る工夫があることは言うまでも有りません。

刀まにあ?むー. そういうわけでもないのだが, 一時期ナイフとか熱処理とかに凝ったことがあって, そのころ金属工学の某ナガタ先生としばしばあちこちの鍛冶やをたずねてうろうろしたものであった. そのころの話である.

金属工学ときたもんですよ。面白そうですね。

まず, 普通の鉄製品と刀は鉄の製法からして全然違うのですよ. 普通の鉄製品は, 溶鉱炉とか, なんかそういうので溶解して作るじゃないですか. 石炭で酸化鉄を還元するわけですな.

そうやって溶鉱炉で作った鉄は, 刀を作るのには使えないのである. もう, ここらへんからして, いきなり量産体制から外れてますな.

いきなり武器としてはダメな感じ。

たたら製鉄の特徴は, 鉄を融点まで加熱しないところにある. 技術がなくて, そんな温度が出せなかったというのが正しいところなのだが, それがケガの功名となって, 鉄に不純物がまざりにくい状態のまま還元されるのである. ケラにまざっている不純物は, ピーナツチョコレートにピーナツがまざっているような状態であり, その気になれば除去できるものなのだ. 一方, 溶製鉄はどろどろに融かしてアレするので, 空気中の酸素とかが鉄の組織奥深くに入り込んでしまい, ちょっとどけるのは無理らしい.

というわけで, 砂とか還元されてない砂鉄とかをケラからどけると, ナイスな鉄が手に入るらしい. この, 不純物をどけるのが, 折り返し鍛造というプロセスである.

折り返し鍛造は, もう, そのまんま. つまり, 炉で赤くなるまで加熱した鉄をトンカチで叩いて伸ばし, のびたところで折曲げて, トンカチで叩いてくっつける. というのを何度も繰り返すのだ. パイ生地つくってるのと同じである. つまり, 刀もパイ生地みたいな鉄でできておる. こんど博物館とかで刀をみる機会があったら, 鉄の表面をじっくりみてみるといい. パイ生地の断面がみえるぞ.

ところで, 折り返して叩いてくっつけると簡単にいうが, 融けてない鉄が叩いたくらいでくっつくわけがない. もちろん, 融点まで加熱してしまったら, 形もクソもないから, そこまで加熱するわけにはいかん, それに, 鉄に含まれる炭素の含有量の問題から, いい気になって温度をあげるわけには絶対にいかんのである.

不純物を叩き出しながら、折り返すことで均質化するわけですね。

鉄に焼きが入るには, 炭素が必要という話は, どっかで書いたかもしれんし知っている人も多かろう. 居ねえ?鉄に炭素が入ってないと, 赤い奴を水にジューっとつけても硬くならんのよ. 炭素は, わりかし鉄の組織を自由に行き来するらしいので, せっかく炭素が含まれている鉄を高温で空気中に晒しておくと, 炭素が酸素と化合して抜けてしまう. これを「脱炭」という. こうなったら, もう, いくら頑張っても焼きが入らん. 焼きが入らない鉄は, 単なるナマクラ. 単なる重り.

炭素は, 単に入ってるかそうでないか, という問題でもないんですな. これが. 含有量が問題なんですな. 鉄にどれくらい炭素が含まれているか. 刀の場合, 0.3 から 0.9 パーセントくらいの鉄を, 要所に配して作られている. でも, どうやって?

鉄をグラインダで削ると火花が出る. この火花の出る様子を観察すると, 炭素が何%含まれているかはおろか, 焼きが入っているか, 他にどういう不純物か, さらには, 達人になるとその鉄が鉄鋼石から作られたものか, 砂鉄から作られたものか, まで判別してしまうのである. 俺も 1% と 0.5%の区別, 焼きが入ってるかどうかの区別くらいはつくようになったぞ. もう忘れたが. 達人は余裕で 0.1% きざみで見分けることができるのである.

この技を使うと, ケラのどの部分がどれくらい炭素を含有しているか, をみわけることができる. もう一回タタラをかけて, 必要に応じて, 炭素含有量を加減することもできる. 炭素含有量を増やすのを「あげおろし」減らすタタラを「さげおろし」という. 刀を作るうえで, 炭素のバランスは非常に重要であるし, 貴重な鉄と森林資源を浪費するわけにもいかんので, 炭素含有量の管理は極めて重要な技術だ. ところで, さげおろしはけっこう簡単だ. ようするに脱炭だからな. そんなのほっといても起きる現象だよ. でも, あげおろしは, 達人じゃないとできない. 炭素の具合を見るのは, タタラの煙突から出る炎の色と形である. これをみわけて空気の送り具合を調整し, あげおろし, さげおろしで炭素含有量を調整するのだ. すげえぜ. 刀鍛冶.

炭素量の違う鉄片を作って組み合わせたりするんだからすさまじい。これ程の技術を用いて作っているわけで、そりゃ家宝にもなろうってもんだ。

これが, 普及レベルの刀の構造. 断面図である. 「甲ぶせ」というつくりかただ. 鉄の芯に, 刃の方だけ鋼をかぶせてある. わりと楽勝な方の作り方らしいが, 普通に鉄どうしを鍛造でくっつけるのもムズカシイのに, こんな形でくっつけるなんて, そりゃ無理っすよ. これで普及品っつうんだから, まあ, なんつうかどうかしてるよね.

ところで, 刀の用途は武器です. 形からして, 刺すか斬るかすることで, 威力を発揮する武器ですな. 刺す方は, まあ尖ってりゃいいわけだから, この際置いときましょう. 斬るほうだけど, これは, じっくり考えてみるとなかなか刃物にとっては苛酷な使い方というか, 環境なのである.

で, なにが言いたいかというと, ヘボな刀では, 斬りつけた衝撃で反りが伸びてしまい, 二度と鞘に収まらなくなってしまうのである. 全く爆笑ものだが, 本当のことだ.

反りが伸び易い状況もあります。根元付近で当てるとその部分を支点にして先端にブレーキをかけることになり、反りを伸ばす方向で力をかけてしまうんですね。根元から切ろうとしても途中で止まりそうですし、やらないものなんでしょう。

もし, 刀が焼きの入った鉄だけでできてたら, いっぱつでポッキーンである. そんな衝撃をうけたら, 熱処理された鉄なんてイチコロだ. つまり, 最悪折れることのないように, 鋼をバックアップする鉄の芯がついているのが, 甲ぶせの構造であり, この構造は最低限の装備ということなのだ. 衝撃を鉄の芯が吸収するというわけですな. そして, 吸収しきれないときは, 曲がって反りが伸びちゃうわけだ.

全部鋼だと思ってる人もいるみたいですが、複合材料なのが日本刀の特徴です。

ところで, ランクがもっと上の刀はどういう構造なのであろうか?その断面図が左である. これは「四方づめ」というもので, 実際に斬りあいをするときにわりかし具合が良い構造らしい. 真中が軟鉄. 両脇がもっとも炭素含有量が多く, 刃の部分は意外と少ない. 峰にも鋼がはいっているところに注目である.

難易度高すぎだろ。折れた刀を調査用に切断した断面写真で見事に失敗してるのがあったわけだが。

何故刃のところが炭素含有量が少ないのか?その理由は, 刀の焼き入れ方法にある. どれくらい強い焼きが入るかは, 炭素の含有量, 事前に加熱する温度だけでなく, 冷却速度にも依存する. 炭素の含有量は既に説明した方法でコントロールされているが, 刀の焼き入れは, ある特殊な方法を利用することで, 部分によって冷却速度を変えることで, 硬さの分布のバランスを実現している. 刃の部分はもっとも冷却速度が高くなるように処理されるので, 炭素の含有量がすくないにも関わらず, この部分の硬さはもっとも高い. 通常, 刃の切先は高速度鋼でできた鉄工用の切削工具と同レベルの硬さに仕上る. そういうわけで, 強い焼きが入ってちょうどの硬さになるように, 炭素含有量を加減してあるのだ. 硬さの上からは, 理屈上はそこら辺の鉄製品ならぶった切ることも可能だ.

鉄工用切削工具並み・・・どうりで兜や鉄条網が切れるわけだ。食い込むぐらいは当たり前なんですね。

焼きが入ると, 鉄は膨張する. つまり, 四方詰めの刀は, 周囲が圧縮応力で, 芯がひっぱり応力をためこんでいることになる. これが刀に非常に都合が良い. 敵の刃を刀身で受けたとき, もし, 受けた部分がひっぱり応力を残していたら, センダンになる. 引っ張った糸や針金を横から鋭いものでつつくと, 簡単に切れてしまうが, それである. これが刀に起きたばあいは, 直ちにぽっきり折れてしまうことになる. 四方詰めでは, 表に出ているところは全部圧縮応力が残った状態なので, 箭断になることはほぼありえない. 本当に

すげぇ。残留応力。だから剪断されず、心金に衝撃を伝えて吸収できるのか。しかしあまりに大きな衝撃だと分離して反りが伸びてしまうと。

早く冷えた側は凸になるのである。バナナ曲りは出張った側が早く冷えたからである。従って、均一に急冷するようにすれば焼曲りは防げる。日本刀の反りは刃先が早く冷えたために生じた焼曲りである。

http://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/map/kagaku09/4/4-5-1.htm

逆刃刀って作るの大変そうだな。あーでも鎌作ると思えばそうでもないのか?膨張を計算して作るわけだなぁ。

刀の焼き入れはわりと独特で, 焼刃土といわれるものを刀に塗りたくった状態で焼き入れをする. これを薄くぬったところは速く冷却されるので, 強い焼きが入る. こうして部分によって入る焼きの強さを加減するのだ.

焼き入れのキモは, 冷却前の温度だ. 何度から冷却するか, そして, どれくらい速く冷却されるかで, 焼き入れの成否が決まる. 温度が高いと組織が荒れて切れない刃物ができあがり, 温度が低いと焼きが甘くてナマクラだ. その差は10度前後であるから, 温度管理は厳しい. これを加熱された鉄の色で見分けるのであるから, まさに超絶の職人技である. なんでも, 夜明け前の光くらいが鉄の色を見分けるのにちょうど良いらしいので, 焼き入れはそのころにやるものらしい.

焼き刃土の成分は, ヒミツである. その役目は, 鉄の炭素が空気と反応して抜けてしまわないようにすることでもある. 均一に塗ってから, 強い焼きを入れるところだけを薄くこそげ取る. すると, 土が薄いところが強い焼きが入り, 顕著なマルテンサイト組織が刃紋, つまり, 刃の模様になって研いだときに浮かびあがるというわけだ.

焼き入れも表と裏で互い違いにするとか色々と強度を高める方法があるらしい。
マルテンサイトというのは鉄の結晶構造で焼入れすると得らるとか。フェライトとかオーステナイトとかセメンタイトとか色々。

炭素鋼は727℃以上の高温ではオーステナイトが安定な組織である、常温ではフェライト(体心立方格子)とセメンタイトの層状組織であるパーライトが安定な組織である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88

炭素は多けりゃ良いってもんでもありません。

日本刀の刃先の炭素量は新刀で0,7程度、古刀で0,45〜0,6程度と言われます。
「炭素量が多い方が硬いなら新刀の方が強いのでは」と思われるかもしれませんが、
そうではありません。
炭素量は0,4もあれば最高で60HRC硬度(数字が大きいほど硬い)に達し、
0,6を超えれば後はHRC硬度は60台後半以上には上がらないのです。
従ってこの新刀の炭素量の増加は焼き入れ性(焼き入れ深さ)の上昇と
耐摩耗性の増加を狙ったものと思われます。
さらに炭素量は増えると耐衝撃性が落ちてしまうのでこの辺も注意が必要です。

研ぎ師も古刀は軟らかいと感じているようで。錆も出易いみたいですね。

 現代刀を天然の粗砥や備水砥で研ごうとしてもツルツル滑ってしまいます。それに比べ古刀は砥石がキチンとかかります。昔は天然の砥石しか無いので当然といえば当然なのですが、刃物は研いで使う物という基本原則にのっとり、昔の刀工は地鉄を意識して軟らかくしてあるのかも知れません。

砥石に合わせた硬さというのは有りそうな話です。

 刀を研ぐ時、錆びない為に苛性ソーダを桶の水にいれるのですが、古刀は大さじ半分以下で大丈夫なのに、現代刀は一杯以上必要なものがあります。←個体差はありますが平均すると、こんなもんです。

 古刀は肌の鍛え目から錆びる場合が多いですが、現代刀はどこからでも錆びます。現代刀の錆方の特徴として丸い点錆が縦に深くなりますが、古刀は余程のことがない限り錆が縦に深く入ることは少ないようです。

なぜ錆び易いのだろうと思ったら、

鉄は一般的に炭素を多く含むほど硬くなり、刃としての切れ味や摩擦に対しての耐磨耗性は増しますが、 硬いほどもろいつまり割れやすいそして錆びやすいという欠点も出ます。

http://www.wendy-net.jp/~shiina/hamono/hamono4.htm

錆びから考えても炭素が多すぎない方が良さそうですね。古刀すごいわ。
古刀と言えばですね、こんなのがありました。

でかっ!写真はリンク先で見てください。

重要文化財 山金造波文蛭巻大太刀(号: 祢々切丸)  14世紀?
刃長: 7尺1寸2分(約215.8cm)  全長: 1丈1尺3寸2分(約340cm)

▲ 国宝 大太刀 野太刀拵  長船倫光作  1366年
(銘) 備前長船倫光 貞治五年二月日
刃長: 4尺1寸6分(124.5cm)  重さ: 2.5kg

重要文化財 大太刀 附・革鐔  長船家盛作  1415年
(銘) (表)南無正八幡大菩薩 右惠門莆家盛
    (裏)南無淹摩利支天源定重 應永廿二年十二月日
刃長: 7尺2寸8分5厘(220.4cm)

▲ 大太刀(吉備津丸)  長船法光作  1447年
(銘) 備州長船法光生年三十三/文安二二年八月日/薬師寺弥五郎久用生年廿一歳
刃長: 7尺4寸8分(227cm)  全長: 1丈2尺4寸6分(378cm)

在地武士の薬師寺弥五郎久用により,吉備津神社に奉納されたもの。
刀身にしっかりと焼き入れが施されていることや,茎が刀身に合わせて長くつくられていることから,実戦刀と考えられている。

▲ 大太刀  高力長吉作  1661年
(銘) 奉納三嶋大明神御寶前/三州高力住長吉作
(刀身銘) 高力左近大夫平朝臣高長敬白/寛文元年丑年十一月吉日
刃長: 114.3?  全長161.5? 

▲ 大太刀 拵共  三家正吉作  1843年
(銘) 奉納伊夜比古大明神之広前宝祚無窮親一王及文武臣僚天下万姓長久安寧
    天保十四年歳次癸卯二月日頸城郡高一田住人三家正吉作之
刃長: 7尺4寸(224cm)  全長: 3尺1寸(93cm) 

▲ 大太刀(伝: 太郎太刀)  千代鶴作  16世紀?(★遺物)
刃長: 7尺3寸(約221cm)  重さ4.5kg

朝倉氏の猛将・真柄十郎左衛門直隆が愛用した大太刀と伝わる。
1570年の姉川の戦いに従軍。徳川家の猛将・本多平八郎忠勝とも一騎討ちを演じ苦戦させた。
しかし敗走する味方のしんがりを勤める中,弟・息子ともども匂坂兄弟ら三人がかりで討ち取られた。
ちなみにこの時真柄直隆を討ち取るのに使われた刀は「関の孫六(Seki no Magoroku)」の名刀で,「真柄切兼元」として現在も伝わっている。

▲ 大太刀(次郎太刀?)  行光作  16世紀初め
刃長: 187cm  全長: 282cm
こちらは一説によると息子・十郎隆基が使用した剛剣らしい。白山比竎神社所蔵。
息子も姉川で戦死。

刃の部分で2メートル前後の物が実戦用と言われてもにわかには信じがたいという感じですが・・・
あと「ふつのみたま」みっけ。*4

国宝
鹿島神宮所蔵。黒漆平文大刀拵(くろうるしひょうもんたちごしらえ)別名は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)または平国剣(ことむけのつるぎ)と呼ばれる。現存する日本刀の中では、最古の一つで、全長2.71m、刃長2.24mの大剣。布都御魂剣そのものは日本神話に出てくる刀剣で建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したと言われる。黒漆平文大刀拵は奈良時代から平安時代頃の作と言われるが詳細不明。

これも2メートル級だけど直刀なんだよねぇ。
この手のバカみたいにでかい刀剣は扱いにくいので大方儀式に使うもんだと思われますが、西洋のいわゆるグレートソードなんてのもカテゴリとして存在しないような特殊なもの、っていうかRPG?って感じです。
ロングソードだのブロードソードなんてのも単に長い剣だとかレイピアより幅広ぐらいの意味だというのは結構知られた話のような。今現在ネット上だと馬上で使うのがロングソードという分類が良く見られますが。それだと日本の太刀に対応するな。
http://www.net24.ne.jp/~lv1uni/ken/bun_sword.html
バスタードソード*5より長大なロングソードなんてのも言葉として間違ってないわけで、斜めにぶら下げて歩けるギリギリの大きさまでは有り得るなんてまことしやかに言われたりするわけですが、全長2メートルぐらいの両手剣は敵のパイク*6戦術=槍ぶすまを攻めるのに使えたらしい。
ツヴァイヘンダー - Wikipedia
だったら野太刀も実戦で使えたんだろうか?
大太刀 - Wikipedia

鎌倉時代になり武家が権力を握ると、武人として剛気で腕力があることが名誉とされるようになり、ひいてはそれを誇るための武具として、長大な刀身をもった太刀が戦場で見られるようになった。後に日本刀が刀身の長さにより分類されると、こうした長大な太刀は「大太刀」と区分される事になった。
しかし、大太刀は長大な分、非常に重い(2.5〜8kg)ため、太刀と同じ形状の柄では扱いにくい(刀身に対して柄が短くなり過ぎて構えたり振ったりが難しい)という欠点があった。これを克服するため、柄が次第に長くなり、やがて振り回し易いように刀身の根元の部分に太糸や革紐を巻きつけた「中巻野太刀」へと発展し、さらに完全な長柄武器である「長巻」へと発展していくことになる。

その後、こうした大太刀はもっぱら神社等への奉納用に製作されるようになり、長大に作るためにいくつかの長さに分けて鍛錬し、後に接合して一本の刀身とした、実際に「刀」としては使用出来ない(強度的に「振る」ことが不可能)ものも製作された。

重さはツヴァイハンダーと近いが使い方は・・・デモンストレーションの面が強いのか。
刀身の根元に革紐を巻く「中巻野太刀」なんて発想がツヴァイハンダーのリカッソ*7と同じで面白い。
他にも日本刀周辺の話を適当に流してみる。

38 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/13(火) 21:57
    某軍学者いわく、古来より日本人にとって刀剣は
    「加罰」の為の武器なんだそうで、
    「天にかわりて不義を討つ」日本軍人には精神的になくてはならない
    モノなんでしょーな。
    そういえば、巨大ロボアニメ「ボルテスV」がかつてフィリピンで
    放映中止に追い込まれた時の理由の一つに、
    「剣を使うところが旧日本軍を想起させる」ってのがあったなあ。 

なんか十字軍の剣みたいな。正義の力ってか。

41 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/13(火) 21:59
    チャンバラの後刀が曲がってしまって鞘に収まら無くなる事もあったらしい。
    1日おくと元に戻ったらしいが。
    あくまで「折れにくい、曲がりにくい」であって絶対では無い筈。 

置いとくと直るのかw

60 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/14(水) 05:01
    >>58
    室町時代の刀って、俗に「室町物」って言って
    粗悪品の代名詞みたいなことを聞いたことあるけど。

    間違ってたらスマソ 

末古刀を指すとすれば戦前は悪く言われたらしい。

さて、末古刀、つまり古刀の末期という意味は必然的に室町末期(室町時代約二百年を前後期に別けて)から安土、桃山期にかけて作られた日本刀を総称するのである。但し、戦前までは末古刀という意味合いに少々ではあるが鎌倉期の刀に比べて劣るという暗黙の了解事項があることもまた事実である。筆者が三十数年前に刀剣界に入った頃「応永以後に名刀なし」とか「応永備前なんて末古刀だよ・・・・」とまで放言した御仁がいた事もまた事実である。

http://www.token-net.com/faq/11_suekotou.html

美術刀剣なら新しい方が洗練されててもおかしくない気がする。

79 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/14(水) 21:31
    兵器としての日本刀なら、大太刀でしょう。長太刀や野太刀とも呼ばれるもので、刃渡り3尺
    以上も有ります。柄の長さも含めると人の背丈より長いのも有ります。
    倭寇の明の記録では、日本人は5尺(1.5m)の刀を使いこなしていたそうです。
    今日本刀と言われてる物は、中太刀・小太刀です。江戸時代に刀の長さを制限されたため、
    元々大太刀だった物でも切りつめられ、短くされています。
    戦場で振り回すには、長い方が有利なのでしょう。それと現代人の体格では、昔の刀は
    少し短いようです。>66さんの「斬馬刀」は大太刀がモデルではなかったかと思います。 

倭寇の記録かぁ。

86 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/14(水) 22:02
    当時の大太刀の用法は、日本では意外と伝わって無く、逆に中国に記録が
    残されていました。倭寇で苦戦した明国側が、輸入した日本刀の用法を研究
    しています。また何故か影流の秘伝書が中国に残されています。これらの資料
    は最近になって日本に逆輸入され、当時の大太刀の用法が研究されています。 

この辺は面白そうだなぁ。古いスレだし情報出てきてるだろうか。

99 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/15(木) 01:43
    赤穂浪士の討ち入りも武器は柄をつめた手槍で
    戦闘しておりました。 
101 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/15(木) 01:49
    >>99
    野戦ならともかく、屋敷内での戦闘を考慮すれば、至極まっとうだ。 

通路で何人もいたら刀より槍だよなぁ。

131 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/15(木) 12:56
    日本刀の中にも種類があるとおもう、
    うちには飾り用の真剣とマジでブッた切る用の真剣あって、、
    飾り用(普段武士が腰に下げているのはこれか?)は比較してみると軽くて薄くて、
    包丁でたとえれば刺身包丁かな、
    飾り用でも人は切れると思うけど、
    鍔迫り合いとか激しく打ち合ったりすると折れたり刃こぼれするとおもう、
    ブッた切る(戦用?)刀は飾りに比べれば出刃包丁みたいなかんじ。
    反りもあんまりなくて厚みも少し多い、んで、ちょっと重い、
    刃の部分は狭くて急傾斜で刃こぼれしにくい、
    スパっというかんじの切れ味は劣るけど、兜や鎧叩いても大丈夫そう。
    ちなみに、ガキの頃はこいつで薪割りしてました。
    数年使って折れたので結局、斧買いましたが・・・・・(^^;
    *薪割りとして使っていたのは美術品としても歴史的な値打ちもない、ただの刀です。 

薪割りの斧代わりw

140 名前: ツールドン(ワラ  投稿日: 2001/03/15(木) 15:39
    百人きりは中国戦線で2人の軍人が誰が先に100人斬り殺すか競争したんだ。
    戦時中の朝日新聞なんかも煽って記事にしている。たしか軍刀の自慢も
    していたから同じ刀で続けて斬ってたと思う。
    実際は相手が連発式の銃を持ってたら勝てないので農民を便衣として斬ってた?

    日本刀は本来攻撃兵器じゃないので室内戦闘の記録では将軍足利義昭?だったかな
    下克上で殺されるとき巻き藁に抜き身の日本刀いっぱいさして置いて
    敵兵が部屋に入ってくる度に切りまくった。刃こぼれや油で切れなくなったら
    新しいのを抜いて使った。
    今、試し斬りするときは毎回きれいに拭いてるし目釘も改めてる。
    刃こぼれは研げばいいし、油も拭けばいいけど戦闘中は無理かもね。 
148 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/15(木) 21:29
    >>140
    その話聞いたことある。
    義昭じゃなくて13代義輝ね。
    義輝は剣豪で赤松か誰かの謀略にはまって
    将軍家の家宝である名刀で敵を切りまくったらしい。
    鎧ごと骨まで切ったから何回も使うと刃こぼれがして
    名刀を何本も使ったらしいね。 

敵が多ければ沢山用意するのが当然の感覚だよなぁ。日本刀の話だと武器が消耗品という感覚はどっか行っちゃう事が多い。

152 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/15(木) 22:36
    西南戦争では近代兵器を駆使する官軍に対し、西郷軍は銃器の不足のため
    示現流の切り込みを行ないました。
    薩軍の切り込みは凄まじく、明治政府は薩摩郷士会津藩士を中心とした
    抜刀隊で応戦せざるをえませんでした。
    それまで近代兵器至上主義に陥っていた明治政府は以後、剣道の有用性
    を見なおし、明治維新以来さびれていた剣道の復興を図るため警視庁等
    で剣道を採用したそうです。
    私も剣道の有段者ですが以上は私の剣道の師が言っていた話です。 

本当だとしても銃剣突撃で屍の山を築くことに繋がったわけで、羹に懲りて膾を吹くというヤツだな。

160 名前: ツァーグラー隊  投稿日: 2001/03/16(金) 04:06
    刀の欠点としては刀身以外の部分が割と壊れやすいという事がある。
    ただし刀身自体は硬軟両方の鋼を使用しているため極めて堅牢で、室町時代や
    戦国時代の鍛鉄技術が周辺の国より相当進んでいたために洗練されている。
    火縄銃をすぐに大量生産できるようになったのも進んだ鍛鉄技術のため。

    もう一つの欠点はいかに切れ味がよくとも重装備の人間を切れない事で、
    ゆえに戦国時代の腕力のある武士はしばしば重い鉄の棒や、長大で割となまくらな
    大刀などを使用した。
    また槍に比べてリーチが短く衝力があまり無いため集団戦には向かない。

    とは言えかつての日本刀は刃物としてはかなり優れた部類に入るらしい。 

結局鈍器の方が役に立つ。

161 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/16(金) 06:01
    ヨーロッパのロングソードなんかは鍛鉄する時、軟鉄を使わず
    鋼だけで鍛鉄するから実戦では威力はあったそうだが
    結構折れてしまうそうだ。

中まで焼きが入ってないので表面が剥がれてしまいに曲がるという説も。

163 名前: ツールドン(藁  投稿日: 2001/03/16(金) 09:33
    義輝ですか有難う!山本氏の文は今度読みます。私もその従軍刀鍛冶の方の情報
    集めているんです。根岸流の手裏剣の達人でもあり中国戦線で手榴弾を投げようと
    した敵兵を手裏剣で仕留めているという新聞記事があるそうです。
    確かに刀は装備に当たったりしたら切れないと思います。戦場ではボロボロに
    刃こぼれしたら押し切りになると思います。
    ただ、角材などを斬った経験では首を狙えば5.6人は平気だと思います。
    剣道にも突きがあるので突きと引き切りで刃が欠けなければ10人ぐらいいけると
    思います。相手が銃器を落ち着いて使用すれば勿論机上の空論です。
    軍刀の鞘は金包みといって金属製のアウターがありとても頑丈です。
    なお、試し斬りでは切る前にわざわざ油(丁子油)を塗る人もいるので血油が巻く
    というのも刃こぼれじゃないかと思うんですが? 

手裏剣かよw

166 名前: 大渦よりの来訪者  投稿日: 2001/03/16(金) 11:19
    おひさ〜
    >163
    手術用の高精度メスなんかは、
    一度血のついた場所を刃に赤血球が半分切れた状態で引っかかり、
    いきなり切れ味が落ちると言う話を聞いたことがある。
    刃毀れでは無く、まさにその現象が起こっているのではないかと。
169 名前: つーるどん(ワラ  投稿日: 2001/03/16(金) 12:19
    今のメスは貝カットの使い捨てです。エッジは確かにミクロンオーダーで
    波打ってるので小刃に血球が挟まることも考えられます。でもコバ自体
    10の2乗から4乗オーダーの数あり全部塞がるとは思えません。
    寝刃がある状態から繊維質を斬ったときの刃の平滑化(ミクロでぎざぎざの
    方が斬れる。)ですぐ駄目になるのでは?
    刀で軟らかい巻き藁を20本ぐらい斬っても寝刃はつんつんしてます。
    角材を斬ると刃のあたった所が平滑化して切れ味が悪くなります。
    その部分を荒らす研ぎ(寝刃を合わせるという)ですぐ復活します。
    刀は伝説が多いので嘘も多いです。自動車のスプリングや満鉄のレール
    でもいい切れ味の軍刀できます。純粋な鉄は柔らかく、不純物が悪い
    働き、良い働きに関係します。 

平滑化とな。

172 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/16(金) 13:28
    血脂の件もだけど実際に日本刀で切り結ぶと言うのはほとんど不可能だよ。
    西洋のサーベルは突くのが目的だから刃で刃をはらっても問題ないけど
    切るのが目的の日本刀はこれをやったら一度で刃こぼれしてしまう。
    上の方で言ってた人もいたけど、折れたり曲がったりする危険もあるんで
    鍔迫り合いは極力避けたらしい。
    実際刃が欠けた場合、西洋の剣(ソード)なら中まで一体成型なので
    そのまま研げばいいが、日本刀は芯鉄の上に別体で刃鋼をつけたものだから
    もう一度鋼を巻き付けて打ち直す新造に近いオーバーホールが必要になる。
    だから戦国時代でも刃こぼれした刀は修理見積り超過の廃車扱いで、
    みんな言うように使い捨てで何本も刀を持っていったらしい。 

つくづく高コストで使いたくない武器だなぁ。実戦用がどれぐらい安物だったか知りたい気もする。

176 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/16(金) 20:29
    >175
    上の方で他のかたがたも言ってますが、日本刀が実戦用の刃物としては扱い
    にくい代物だというのは事実では。

    材質や工法、あるいは斬撃一回だけをみた評価と、戦場で使った人や昭和の
    刀鍛冶が戦場で実見した話はその性質がだいぶ違います。
    何回か名前の挙がっている山本七平著「私の中の日本軍」(文藝春秋)には
    そのへんの話が出てます。作中で種本にしているのは大陸の戦場に修理工と
    して従軍した刀鍛冶が書いた「戦ふ日本刀」で、ずっと上でけなされてた
    「刀と首取り」も山本氏と刀鍛冶の本を参考にしてます。
    該当箇所の要点は、
    ・日本刀に統一された「規格」はない
    ・軍刀は量産の規格品
    ・両者とも、よく曲がる
    ・剣道の達人でも人を斬れるとは限らない(打突と斬撃は違う)
    ・使いこなすには居合いの修練が必要
    ・いちど何かを斬った刀はガタがくる
    という内容だったと思います。
    「人を斬れるとは限らない」というのは、一撃必殺がむずかしい、ぐらいの
    意味らしいです。鋼の刃物が当たったら怪我はするだろうし。 

よく曲がる。斬ったらガタがくる。ダメじゃん。

181 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/17(土) 04:24
    某歴史考証家によると、戦国時代の戦闘の主力兵器は鉄砲と弓矢。
    接近戦は長槍、短槍が主。
    刀はあくまでも、超接近戦の時に使用する補助兵器。
    時代劇のようなチャンバラは実際には、ほとんど無かったらしい。
    江戸時代では侍の刀は、侍としてのシンボルとしての存在。
    その当時からもう既に刀は、兵器としては度外視されていた。
    (金持ちの日本刀収集家に、日本刀は本当に時代劇のように何人でも
    斬れるのか?と相談を受け、提供された○千万円級の刀で豚の死体を斬って
    実験したところ、3匹目でほとんど斬れなくなった、とあった)
    前レスにあったように日本刀は2,3人を切ると、刃こぼれをおこし
    役立たずになる、というのは本当らしい。
    軍刀がそんな高級品とは思えないので
    旧日本軍の軍刀はお飾り以外の何物でもないのでは?


182 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/17(土) 04:32
    美術刀で斬ったらそりゃ斬れないよ
    上に同様のカキコがあるけど、実戦では野太刀なんかの
    長大で身幅の広いものが使われてて美術的には何の価値もない
    粗野な刀で戦闘してた。


183 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/17(土) 04:53
    >>182
    だから斬り合いじゃなくて、刃のついた鉄板で叩き合いしてたんだってば。


184 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/17(土) 05:02
    いや、重さで叩き割ってたんだろう、殴打してた訳じゃない
    シャベルでも少し研ぐだけで首ぐらいは簡単に切れたそうだし
    美術刀が切れないのは重ねが薄くそれだけ刃が脆弱だから。 

シャベルw

185 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/03/17(土) 05:47
    >>177
    >じゃあなんで日本刀のような物に進化したんだ?
     
    諸刃の直刀から片刃で湾曲になっていったのは、その方が斬撃に適していたからで、
    鎌倉期の馬上からの残撃主体の腰反りのものから
    戦国期の先反りに変わっていったってのを何かの本で読んだな。
    ただ、火縄銃がそのまま進化しなかった(幕府の政策のせいもあるけど)ように
    より有用な改良や進化よりも、洗練に向かいがちなのが日本の工芸だからじゃないのかね。
    それに、実戦だ野太刀だったって、戦闘の実質を担う雑兵たちはほとんどが槍だったし。
    合わせになってる構造だって、元をたどれば、単に日本の国土自体の鉄資源の問題であって、
    性能面からの要求ではなかったというようなことも、読んだ本では出てた。
    山本七平の本も読んだけど、本当に実用的に完成されてたら“なかご”も
    フルタングになってたはずだってのも凄くうなづける。
    日本刀がああいう姿と構造をしてるのは、単に国民性と資源の問題だと思う。

資源の問題か。それって日本刀自体否定されそうな。

195 名前: ツールドン(ハイパー  投稿日: 2001/03/17(土) 13:43
    日本刀=クソ説も確かにいいですが(実用品じゃないかもれないんで)
    刀に関しては伝説と嘘が多すぎるんで人が入れ替わって議論する価値はあると思う。
    試し斬りにCRCを前後に吹きかけている抜刀道系の剣道家います。それでも型で決ってる
    ので巻き藁斬ったあとで鞘に入れてるので錆びでボロボロです。
    私は試し斬りの時は丁子油を塗って角材、巻き藁、竹を斬ります。
    >188確かに短刀でヒゲを剃ったときは油をとったほうが食い込みが良かったと思う。
    戦場刀はでかくて鈍いと思われてますが刀も一応防御兵器だったんで進化を続けてます。
    甲冑が流行る前は細長く華奢な太刀(鎌倉時代)で馬の上から鞭で叩き合う感じ。
    戦国時代になってヨロイが一般化するとよく言われた殴り合いみたいな剣法で
    止めは隙間からヨロイドオシでって感じ。介者剣法って言う。
    鉄砲が出てきて歩兵の軽装化と刀の武器としての後退から素肌剣法復活。
    現在に至る。幕末は自動拳銃の代わりに新撰組など長めで鋭い切れ味のもの(関系)
    幕府軍は西洋武装の上に帯を巻きズボン差しと呼ばれたかっこいい突兵拵え。
    95式軍刀はこの突兵拵えの性格を受けていると思う。
    鎌倉時代の刀でも薄目で傷が無ければバンバン斬れます。高価だからやらないだけ。
    関の孫六などよく切れる刀は反りが頃合いでやや薄目のほうが人を斬るにはいい。
    軍刀は切っ先の幅もありやや厚いので角材なんかも斬れるし刃こぼれしても研ぐ
    余地がいっぱいある。(健全)飛行機や戦車に載せるのでやや短めのカービン!
    アメリカ人も刀の伝説を鵜呑みにして手入れしてないのに硬いもの斬ろうとして
    刃こぼれしてたり曲がったりした軍刀見かけます。噂の切れ味がないので手放した
    物でしょう。自分の知識と腕が無いのに刀がかわいそうです。 
202 名前: ツァーグラー隊  投稿日: 2001/03/18(日) 02:16
    日本の兵器はむずかしいアルね。
    大体槍が出現したのもたしか室町の終わりごろ(他の軍事国家の軍隊では槍は相当早期から主力だし)。
    それと刀は 腰反りの深い太刀⇒なまくら大刀⇒鋭く軽い刀
    と変化したが、もと大刀だったのが研がれたりして軽い刀や脇差しみたいになったものも
    あったみたいですね。めったに人を切らないなら鏡剃刀みたいな刀の方がいいですからね。
    前の方も言っていましたけどやっぱり刀は改良・改造より洗練に進んだ感じかも。大体主力自体が
    弓・刀から弓・槍・鉄砲に変化しましたから、刀自体を改良する必要があまりなかった
    のでは?
    刀展なんかをみると鎌倉時代の刀でも相当がっしりした作りのものもありますね。

    日本刀は近代兵器としてはもちろん通用しないだろうが、それは西洋だんびらとか中国の刀とかも
    同じなので、それをもって日本刀はクソ、と断言するのはどうかねえ。

    それにしても大渦よりの来訪者様とツールドンさんの知識は本当にすごいっすね。
    皮肉じゃなくてマジでスキがない!! 

鎧や槍との関係が見えると面白い。

304 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/01(火) 06:34
    そう、確かに武器というのは使う場所でそれぞれ違うでしょう。
    ですが現実において何もかもを「有効な場面もある」からとい
    って抱え込むのは不可能ですよね。
    何もかもが自由になり手にはいるわけでない以上は価値の低い
    ものから消えるわけです。

    各自が私弁の武器を持ち寄った雑多な集団、ではなく組織的な
    軍隊で兵器を支給し訓練する、という形式になってからは刀剣
    類が「兵器」として扱われていたことは洋の東西を問わずほと
    んどなかったのでは。
    現代においてたとえば拳銃などは状況によっては有効と見なさ
    れていますが兵器としての価値は零落していますよね。
    だから兵士には装備もされていませんし訓練もしていません。
    あるいは弩の類も軍隊によって使われる状況もあるようです
    がこれも兵器としての価値は…ですよね。
    拳銃が有効、拳銃じゃないと困る場面というのは確かにあるで
    しょうがだからといってその装備にリソースを使い訓練にコス
    トと時間をかける軍隊は存在しない、あってもごく一部ですね。
    刀剣は同じような立場にあったと思いますよ。 

うーむ。もはや刀剣全体が微妙。大抵サイドアームなんだよなぁ。

331 名前: たけぽん  投稿日: 2001/05/23(水) 14:24
    以前、ニューギニアだかどこだか忘れたが、
    日本軍に奇襲され、重機関銃の砲身を軍刀で(刀身だけそれなりの名刀なのか?)
    ぶった斬られた米兵の話を聞いたことがある。
    その米兵は、驚愕のあまり、そのことを自身の本に記したそうだが、
    誰か詳細を知っている人はいないですか?

    また、砲身加熱で多少は斬りやすくなってはいるだろうけど、
    重機関銃の砲身を切断することのできる刀剣は他にもあるのでしょうか? 

怪しい伝説(MYTH BUSTERS)で検証してたな。

銃身の切断は、大戦時のブローニングの切断を試みるが、当然失敗。グラントの発案で、加熱をしたり、加熱と急冷却を繰り返したり、と試してみるが、最後には折ることが出来たが切断はできなかった。より小型の銃身ということでトミーガンを対象にしてみるが、こちらも切断はできずぐにゃりと曲がっただけ。まあ、刀は金属を切断するための道具ではないので当然と言えば当然。

http://d.hatena.ne.jp/k-takahashi/20070707

加熱と冷却を繰り返して劣化させた銃身が折れて飛んでったんだっけか。引き切りは考慮してなかったし刀の品質も不明。
これもすごい。

実験:クレイモア(西洋の大剣)で日本刀を切る。(打太刀クレイモア、仕太刀日本刀)
結果:打太刀…無傷。仕太刀…無傷。
日本刀の倍はあろうかという厚みと身幅の剣を持ち出してきて日本刀にぶち当てようとする実験メンバー達。
みんなもう半笑いだ。
さすがにこれは万事休すかと思われたが、なんと日本刀はこの一撃をくらってもぴんぴんしている。
スローで見るとレピアーがしなったように日本刀もほとんど円弧を描くが如くにたわんでいる。
だが破砕されることなくびよんと元に戻った。なんというしなやかさだ。

http://mugendun.blog.shinobi.jp/Entry/665/

さすが伝説バスターズ。無茶しやがる。しかし日本刀がレイピアのようにしなるとはなぁ。

335 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/05/23(水) 18:09
    >333・334
    簡単ですよ…まずあなた方が安い日本刀を買う、古武術の師範に稽古を頼む
    まず刀を切断されます。私は一度やられてます。
    また戦国時代の旗竿などに使われているバネは刀で割きます。日本で一人だ
    け作っている方がいますので、調べて見に行くと良いです。 

実験でも受け側が折れてるから、ぼーっとしてると折られるってことかな?

365 名前: 名無し三等兵  投稿日: 2001/05/31(木) 17:51
    そういや、以前テレビで防弾チョッキの性能をアピールする映像を見た
    外人レポーターが防弾チョッキを着せたダミー人形を日本刀で斬るんだけど
    まるでバットの素振りをするかのように水平に斬ってたのには萎えた
    防弾チョッキは表面が切れただけ。刀はグニャグニャに歪んでたな。


366 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/31(木) 17:57
    >>356
    ったく。南蛮人は、よう…
    そういえば防弾チョッキは刃物に弱いとかいう話もあったけど、
    そのチョッキは防弾鋼板とかセラミックプレートが入ったやつだったのかな?


367 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/31(木) 17:58
    防弾チョッキ相手なら、突かなきゃダメだわな


368 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/31(木) 18:00
    >>367
    しかし突いてブチ抜いてしまったら番組として失敗と思われ(^^


369 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/31(木) 18:05
    相棒と遊んでて、防弾チョッキの上からナイフで刺してみたら
    通っちゃって死んじゃったってアメリカ兵の実話があったなあ。


370 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/31(木) 18:15
    てことは、防弾チョッキではボウガンの矢は防げない?メモメモ
    スレ違い失礼。
374 名前: 大渦よりの来訪者 投稿日: 2001/06/01(金) 12:01
    >373
    繊維で受け止めるタイプの奴だと、刃物で突かれると非常に不味い。
    あれは繊維で回転する弾を引っ掛けて、体の中にめり込んでこないようにして
    衝撃を拡散させるわけだから、刃物で刺されたらそこで終わり。


375 名前: 373 投稿日: 2001/06/01(金) 12:12
    >>374
    サンクス。鏃は刃物と同等と考えていいんだね。ネタに使えそうだ。
    投げナイフとかは・・ちょっと威力が足らんか。 

鎖帷子・チェインメイルも突かれると壊れるというが、現代版鎖帷子か。切断に耐えれば良いという発想では紙製の鎧なんてのもあったとか。
そういえば日本の戦いには盾が出てくるイメージが無い。

14 名前: 槍師 投稿日: 1999/12/27(月) 13:35
    古代日本(大和朝廷くらい?)の武装は、矛+盾でした。
    それが両手持ちの長刀→槍に変わったため、盾が使われなくなったのだと思います。
    槍が使われるようになったのは、威力重視のため(両手持ちのため刺突が速い、間合いが長い等)。
    盾が使われなくなったのは、武器に両手がふさがれたから。

    ※矛:片手持ち
     槍:両手持ち
     おおざっぱですが、この分け方で間違いはないはずです。念のため。

    ※※刀剣がメイン武装になったのは、せいぜい江戸中期くらいでしょう。
      武士の通称の変遷でも分かります。「弓取り」→「鑓師」→「二本差し」
      戦場では甲冑を付けるので、刀剣ではメインにはなれません。

    ※※※一応、新紀元社の武器読本(みたいなの)を参考にしてます。 

弓取りというように弓を射ることが多かったし、太刀を使うまで右手は手綱。そんなわけで左右の手を馬手・弓手という。

20 名前: いちおう歴史科卒  投稿日: 1999/12/29(水) 03:04
    でも、ファランクスでは、槍と盾と短剣を装備してたよね。
    これは完全に憶測だけど、日本の地形とか、体格の問題では?

    盾、重たそうなんだもん。
    ・遠征する距離が長くなる=持ち運ぶのがウザイ
    ・戦の規模が大きくなる=長く駆けずり回るのは、メチャ体力を消耗する
    盾を持たないほうが有効だったのでは。

    ただの鉄じゃなくて鋼をつくる技術は、日本は世界でも最高水準だった
    から「作れなかった」ということは無いと思う。
    ヨーロッパで鋼が浸透していくのは、16ー17世紀。日本は鎌倉時代
    から鋼をふつうに使っていた。このへんも何か関係あるかな。 
22 名前: 1  投稿日: 1999/12/29(水) 12:37
    盾は普通木製です。
    金属でできているのは大抵表面だけです。
    中まで金属の盾が、皆無だった訳でもないようですが、
    青銅あたりまでが妥当なところだったようで。

    盾が重たそうというのは、山地戦の多い日本では重要な
    要素になるかもしれません。
    多少とも急峻な地形を歩く時に、片手を空けるのはとても
    大切なことですから。新しい視点が増えました。 

地形はあるな。

25 名前: プラウラー  投稿日: 2000/01/08(土) 05:03
    日本にも盾はあります。陣地の回りに木の板を立てている絵などを
    見たことはありませんか?あれがそうです。

    あと、TVドラマでの城攻めなどの映像で、上から雨あられと降り注ぐ
    矢を木の戸を2〜3人の兵士が頭の上にかざしているのを見たことは
    ありませんか?

    剣道の経験があればわかりますが、歩兵戦になると、盾があるのも
    良かれ悪しかれです。ていうか、両手で刀を持っていたほうが断然、
    良さそうだ、と経験上、想像します。

    基本的に歩兵が持つ盾の用法の第一は飛来物からの防御です。
    映画「ブレイブ・ハート」を見ると、それは西洋においても同様の
    ようです。
    古代の方形陣営も同様です。

    そういった用法においての日本の盾は前記した通り、必要な分の発達
    はあったのでしょう。

    つまり、日本にも盾はある。ただし、西洋と発達の仕方が違うだけなのです。 
27 名前: >15 投稿日: 2000/03/20(月) 20:46
    司馬遼太郎の小説で読んだんだけど、
    槍を投げて敵を倒しても「犬槍」と蔑まされ、
    手柄にならなかったらしいよ。 

西洋の投槍というのは盾に刺さった槍を投げ返されないように、抜けにくく壊れ易いものが作られたとか。そんなのいっぱい受け止めると重くなるので盾を捨てるというがどこまで本当だろうか。

29 名前: あ  投稿日: 2000/03/21(火) 11:56
    以下、主に『平家物語』『太平記』の時代の話です。戦国時代については存じません。
    ご指導願います。

    >陣地の回りに木の板を立てている絵などを見たことはありませんか?
    軍記物語では、両軍が「楯を並べて対峙する」場面が多くあります。
    手楯を持って戦う場面もあります。新田義貞灯明寺で戦死した原因は「楯を持っている者がいない」からでしたね。
    ただ、楯が無くとも、「鎧突」で矢を防ぐ場面もありましたね。「空き間を射させず、裏も掻かせず」ですね。

    当時の合戦における初期段階は「楯突戦」であり、百メートル足らずの距離を介しての「矢継ぎ早」な矢戦です。
    弩を使っていたら「クレシーの戦い」になるでしょう。 

「鎧突」というのは鎧を揺すって矢を防ぐことを言うらしい。

31 名前: あ  投稿日: 2000/03/23(木) 08:48
    接近戦を想定し、膝鎧・籠手が発達するのは、南北朝時代以降です。 

発達したってことはその時代に接近戦が目立ち始めたってことか。

37 名前: 名無しさん  投稿日: 2000/04/24(月) 18:34
    戦国時代の軍忠状?にでてくる死傷者の原因を分析した本を
    最近読んだのですが、
    矢、石、鉄砲など飛び道具によるものが6,7割ぐらいであり、
    槍がその次、刀傷は殆ど無しだった。
    その本によれば、白兵戦は滅多に起きるものではなかったとのこと。
    基本的には飛び道具が主戦力であったとか。これは鉄砲が入る前も後も同じ。
    また、接近戦の基本は槍であって、それでぶったたくのが多かった。
    刀は首刈りの道具でしかったとのこと。また、首刈りも傷ついて弱った奴や、
    死んでしまった冷え首(本当は卑怯)を取るのが多かった。
    首刈りが一番簡単な恩賞の取り方だったとのこと。
    日本刀って曲がりやすいし、枝の部分やツバが簡単に壊れてしまい、
    取り扱いが難しい武器だったので、これで命のやり取りはしなかった。
    それに戦闘時に騎馬武者は馬から下りて戦うのが普通であり、フロイスなんかも
    日本人の下馬して戦うやりかたを不思議がって記録にのこしているとのこと。

    TVなんかで見る戦闘場面は江戸時代の講談の影響をモロに受けて
    実際とは随分違うみたいです。騎馬軍団による突撃なんて無かったとのこと。

    盾の問題で日本刀とのからみで考えるのは誤りの元かも。


38 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/25(火) 00:25
    >日本人の下馬して戦うやりかたを不思議がって記録にのこしているとのこと

    でも、それって実は普通なんじゃないかな?
    騎兵の最大の長所って機動力なんだよね。
    いざ乱戦のさなかに突っ込んで行ってそこで戦うとなると、
    馬に乗ったままでは向きを変えるだけでも一苦労(ここらへんの描写が歴史ドラマって曖昧)だし
    槍や弓の格好の餌食になっちゃうし、あんまりメリットないんじゃないかなあ。
    第一に白兵戦場(や敵陣)まで少しでもはやく到達するための手段と言うかな。
    馬上で手綱を引っぱって、操馬しながら乱戦の中で器用に戦うなんて考えただけでほとんど無理やね。
    戦場の馬なんて興奮しまくりやろうし(w。
    PS2の”決戦”の「豪腕」つかった時の3Dアニメみたいな感じなんじゃないかな〜。

    まあ騎兵の運用法はいろいろあると思うんで、騎乗したまま(突破とか奇襲とか)っていう
    場合ももちろんあるだろうけど。西洋の騎士に比べると日本のそれは、(騎兵としての)機能的に
    そんなに特化してないみたいだしね。 

なるほど。投影面積が大きくなるとか考えると馬上はよろしくないな。
騎乗したまま腰反りの太刀を叩きつけるというのはほとんど無かったことなのかな?

42 名前: 名無しさん  投稿日: 2000/04/25(火) 11:57
    平安、鎌倉、室町くらいまでの時期だと騎兵は騎乗したままで戦うことも多かっただろうな〜。
    そう考えられるキーワードは、「大鎧」、「一騎討ち」なんかね。
    戦国乱世にくらべて、源平合戦時代の戦ってかなり優雅だったらしいから。
    やはり元寇や、足軽の登場なんかが戦術の変化に大きく影響していることは確かですな。
    ただフロイスの目にした戦も極限られたものだと思うんで、武田滅亡のころ
    くらいまではTVなんかで見る騎馬軍団も結構いたのかもよ。 

戦闘集団の構成が大きく変わった時期はどの辺だろう?

44 名前: 名無しさん  投稿日: 2000/04/27(木) 12:14
    武田だって馬に乗っていたのは将校級だけでそんなに騎馬武者が
    多かったわけではないのでは?騎馬武者一人に従者が数人従って
    いるのが点在しているって感じのイメージではないかなあ。
    騎馬武者だけの部隊なんてありえないでしょう?
    馬は上級武士の戦地までの乗り物であって戦闘具ではなかったはず。 

騎馬だけで行動するのでなければ、あまり移動速度に差が出ると隊列が延びて問題になる。迅速な移動というよりも体力の温存と輸送力に寄与したと考えるところか。

48 名前: 名無しさん  投稿日: 2000/04/28(金) 12:32
    >馬は上級武士の戦地までの乗り物であって戦闘具ではなかったはず。
    賛成。
    鎌倉にて発見された骨から推測するに、新田義貞の鎌倉攻め当時の馬の体格は、
    身長百数十センチ、体重三百キロ程度。

    武士の体重・物の具・馬具をあわせると、馬にかかる負荷は百キロ程度。
    馬自身の体重における三分の一に達する。

    鐙の形状といい、これじゃ疾走は無理ですの。 

当時の馬はロバぐらいってヤツか。暴れん坊将軍とかかなり有り得ないイメージなんだろな。

55 名前: 名無しさん  投稿日: 2000/04/29(土) 18:35
    兵器としての製造コストを考えても、
    槍>刀
    でしょう。
    槍は長いほうが間合いを伸ばせて有利。
    長い槍は片手では持てない。
    両手持ちになるので、盾不要。
    飛来してくる敵の飛び道具は、ベトナム兵の兜のような幅広の笠兜で
    はじき返す(鉄砲玉は難しいが)。
    これが足軽・雑兵たちの基本戦術だったのでは? 

ファランクスは飛び道具も槍で落とすことが期待できるようだし、矢が十分防げるなら槍で間合いを保つことが他の武器に対する有効な防御なので盾は要らない。

59 名前: 名無しさん  投稿日: 2000/04/29(土) 22:31
    盾の効果は、当然敵の攻撃を受けるためなのですが、
    日本において、左手装備(利き腕でないほう)を前提にした盾が無かったのは、
    「鈍器タイプ」の片手武器が発達していないことも原因では?
    西洋においての「メイス」「モーニングスター」「片手斧」らしい武具は、
    弁慶の七つ道具にそれっぽいのが出てくるほかは、あまり見られません。
    刀vs刀、刀vs槍、では刀による受け流しが可能ですが、
    刀vsメイスでは、刀でメイスを受け流すのは辛く、身をひいて避けるか、
    盾による防御をしなければ反撃ができません。
    しかし、日本ではそんなシチュエーションの戦いは起こらなかった。
    また、刀での戦いは先手必勝なので、そのスピードを追及すべく、
    相手の武器との間合いを取ってからの、踏み込んでの攻撃!
    に重点をおいたので、盾の装備は考えていなかった。
    と思います。

    時代劇などでは、腕に篭手を付け、一応の防具としていることがありますが、
    時代考証としては、正しいのかな。 

そういえば棍棒や斧の類は聞かないな。あ、鬼が持ってるような金棒とか?

64 名前: 54  投稿日: 2000/05/01(月) 11:21
    >上古の世に本朝において盾が使われたことは間違いない。

    戦国時代以降のことは存じ上げませんが、鎌倉時代においては、
    鎧の構造は、機動性を犠牲にしてまでも弓矢からの防御を重視したものにて、接近戦を想定したものになっていません。
    『平家物語』(延慶本)では、楯がしばしば登場します(据え置き型の大きい物から、手楯まで)。
    『蒙古襲来絵詞』においても、使用されているのは主に弓矢です。

    膝鎧・籠手が発達したのは南北朝時代以降ですが、
    日本刀の発達と歩を合わせたと考えてよろしいのでしょうか。

平家物語に手持ちの盾が。

65 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/27(土) 06:32
    刀と槍についてなんだけど、津本陽の柳生兵庫介なんかを読むと圧倒的に
    槍が強いみたいな描写があったけど。津本陽は自らも剣術をおこない、現
    在の柳生宗家の人とも交流があるみたいだから、それなりに根拠があって
    書いているんじゃないかな?
    でも、不思議なのはなんで槍術より剣術のほうがメジャーなんかな?


66 名前: >65 投稿日: 2000/05/28(日) 03:37
     槍は実戦での主戦兵器。

     刀は所詮サイドアーム。

     剣術がメジャーになってくるのは江戸時代からだよね。
    室町期や戦国期の剣術は、結局卑しい歩卒の技でしか
    なかった。戦国武将達は趣味で剣術を学ぶものはあっても
    本気で極めた奴は少ない。足利義輝なんか異常だよ。
    本来「武将」は自ら刀を取って戦う身分ではないのだから。

     それが江戸時代になり、一種の精神的修行と結びつけられて
    「剣道」となり、戦わない武士の「ファッション」というか、
    武士のスタイルの一部として「たしなみ」になったんだと思う。
    柳生の存在も大きいだろうね。

     #「戦わない」というのがポイントだね。

     純粋な戦闘技術としての槍術は近代になって銃剣道として
    ちょっと復活したけど、剣術は省みる者もなく廃れた。
    剣術が格好だけのもの(といっては言い過ぎだけど)だった
    証拠じゃないかな。

     あ、これはもちろん集団戦闘での話だよ。本来軍勢の中の
    一員として戦う義務のあった武士にとって・・・です。



67 名前: >66 投稿日: 2000/05/28(日) 08:56
    なるほどなるほど。
    剣術が栄えるのは江戸期以降なんですね。
    たしかに、剣術が一番活躍するのは幕末期の人斬りテロぐらいだもんな。
    まぁ携帯用武器としてはすぐれてたのかも。

結局サイドアーム。槍が小銃刀は拳銃って喩えは上手いな。

68 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/29(月) 02:56
    平安・源平争覇時の騎兵戦では刀は片手(右手)持ちだったらしい。
    でも反対の手(左手)では盾を持たずに、弓を構えており、弓のほうが攻撃のメイン。
    だから「騎射戦」と呼ばれる。
    徒歩戦においても弓の打ち合いがメイン。接近戦になればまずは薙刀、次に太刀を使用。
    つまり、まず弓を使用している時点で両手を使用せざるを得ない。
    だから木盾もあるにはあったが地面に据える方式にならざるをえない。
    おまけに第二順位の薙刀というのも両手用なので、盾を持つ余地がない。
    自然第三順位の刀を片手持ちにする意味が無いというわけ。
    この頃の武士はあまり専門化されてなくて、トータル的な能力が優れていないといけなかったから
    一人で弓から薙刀からすべて扱えなければいけなかったのだろう。
    時代を下って、兵の役割が専門化してきてからも、メインの接近戦武器は結局のところ槍。
    普通に考えたってリーチといい扱いやすさといい、接近戦武器では槍が最高だろうからね。
    槍や薙刀がずっと接近戦の主力武器で来た以上、盾を持つ余地など無かったんだろう。 

弓の次は薙刀だったのか。

79 名前: わかたける大王  投稿日: 2000/07/05(水) 21:32
    騎馬の戦闘は新しく、それ以前は歩兵です。4世紀末、倭の軍が高句麗
    に大敗した事件がありましたが、これは倭の歩兵が高句麗の騎馬兵に蹴
    散らされたからだ、と考えられます。

    日本刀のそりは新しく、以前は直刀です。突くほうかな。

    たしか「将門記」にも、多くの楯を固めて防備の陣をしいた記事を
    読んだ記憶があります。

    邪の帝王さんの言うように、隼人の楯は有名です。

    弥生時代は、木製の楯がいくつか発見されているはずです。長い楯です
    が、手持ちのタイプです。当時は、矢とともに石や土の弾が雨あられと
    飛んできましたので、それを避けることが大きかったのでは。

    弥生時代の戦闘形態は、数年前にちょっと考えたことがあるのですが、
    左手に楯と右手に剣を持つ戦士がいたのかどうか、結論を出しかねまし
    た。 

また古い時代に遡るもんだ。どうも盾は飛び道具を防ぐものなんだなぁ。
今度は個人サイトで。武術の知識がある人のようだ。

 熊手愛好の理由は、鎧を着込んでいますから、突いたり切ったりするよりは海に落とした方が手間がかからないことと、相手の船の舷側を捕まえるのにも使えるからですが、そういえばTVでは見ませんね。

 なによりも、竹製の熊手の場合、錆びずに単価が安い上に水に浮くというコストパフォーマンスの高さがあります。

 あまり考えたくないでしょうが、浅瀬で海戦をやるのでなければ、海に落とした刀や槍の類は回収不可能ですから、コスト意識がないと長期間戦い続けることはできません。

 ところで、時代劇の刀法と海賊刀法がどうちがうのかというと、1本の場合は、刀を時代劇のように刀として使わないというところが最大の違いです。

 つまり、柄の部分を上手に使い、棒としても使えないと実戦では役に立たないというのが海賊刀法の基本です。

 刀は武士の魂かもしれませんが、海賊にとっては、刀は所詮いつかは錆びる物という発想がありますから、分類は基本的に消耗品です。

 銘刀が嫌いというわけでは無いのですが、有名な刀工の作った希代の銘刀といったところで、海戦で竹製の熊手に絡め取られれば海へポチャンということになりますから、あまりありがたがりません。

 2本と言うと宮本武蔵が開発したようなイメージがありますが、倭寇の昔から瀬戸内西部から九州北部にかけての海賊が2本使うことは珍しくなかったようです。

 これは、1本を盾の変わりに使うのが特徴で、別に二人同時に斬りつけるという使い方をするわけではありません。

マンゴーシュスタイルみたいですね。

文字数制限で切れていたことに気付きました。何書いてたんだ?

*1:柄の横っ面にある彫り物みたいなヤツ。もともと目釘と一体だったものが分離して装飾品になったらしい。

*2:刀身の根元とツバの間にある金具。刀身を固定しているので重要。

*3:柄と刀身を繋ぐピン。

*4:ゲーマー的には女神転生でおなじみという。

*5:両・片手兼用と言われる剣。重量バランスが良いとかで日本刀ライクな感じがする。名前の由来にはラテン・ゲルマン風の雑種という説もある。

*6:足軽の槍に似ている。

*7:刀身の根元が持てるようになってる。ここを持つと柄が長くなったようなもので振り回し易い。