イルカにカンガルー?自然な出産?

分娩のひとつの方法として水中出産を行うところがあります。自然分娩のひとつの方法として広まっているような面もありますが、人間は陸生動物であり水中で出産することは「自然」ではありません。水中出産は自然分娩ではありません。

こんなことわざわざ書かなくちゃいけないなんて・・・

「4日間水中分娩を行って」子宮内感染をおこし、「重症感染症のため,日齢5新生児死亡」。 よっぽど病院のごやっかいにはなりたくなかったんでしょうね。  繰り返しますが、これは「妊娠初期より助産所で管理されていた」「助産所からの母体搬送」例です。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1243559151#CID1243565029

出産に伴う感染症は洒落にならない。昔はこういうので沢山死んでたんですね。

水中出産が不自然だというのは、本当に仰るとおりです。
『人間はカバではないのだから』と仰る産科医の方もいました。
しかし、産科医の方の中でも意見の割れるところなのか、推奨している施設は実際にあります。

水中出産、それも自宅で、更に無介助でと、ミクシー内でもコミュがありますね。
恐ろしいです。

ある方からのご報告で、自宅出産での水中出産をされた方が、予後に問題が生じてしまい、保健所に通告したところ、
『自宅出産は管轄外』
といわれたそうです。
この方はきちんと助産師の介助をしてもらっていました。
しかし、不衛生な器具を使ったりしています。
それでも、自宅では管轄外なのです。

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「管轄外」って一体何がどうなるんだ?

なんというか、産褥熱は医師が手を消毒すれば防げるというゼンメルヴァイスの発見はもう150年も前の話なのに、どうなってるんどしょう。
直感的には「水中」は衛生上かなり危険に思えます。そして、ゼンメルヴァイスは要するに「不衛生な出産は死の危険と隣り合わせである」ことを示したわけです。衛生の問題をクリアしつつ水中でとなると、かなり大掛かりな設備がいるのではないでしょうか。

「水中」指向は、まったく理解できません。

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産褥熱なんて昔の言葉に聞こえるのに。水中出産で復活なんてことになるのはバカらしい。

私が第二子以降を分娩した大きな病院では、水中出産を推奨していました。(今はわかりません)
上記で書いたように、別の産科医の方と話して、そこでも推奨していると伝えたら、
「あのくらい大きな病院なら、消毒はしっかりとされているから大丈夫だろう」
というようなご意見でした(消毒以外の点でも、マンパワーなども含めて)。
実際に病院で使われている水中出産用の風呂は組み立て式で、その都度、しっかりと洗浄、消毒がされています。
助産院の中には、普通の風呂で行われている場合もあり(自宅は当然)、そうなると、殆どの風呂の構造上、細部にまでの洗浄も消毒も不可能です。
ただ、水中は最初は綺麗でも、母体にはどんな菌がついているかもわからないし、場合によっては旦那さんや助産師の方が加わるわけですから、どんんだけ消毒しても、回避仕切れる問題ではないですよね。

消毒だけの問題をとってみても、自宅や、助産院では無理ではないかと言っていました。
特に自宅となると、集合住宅だとタンクの不衛生さはどうしようもなく、風呂の構造だけではない問題もあり、かなり危険だそうです。

しかし、その不衛生さを松の成分で…とかと、アロマ程度でなんとかしようとしている事実があります。
(松以外も使われています)
それを助産師が指導していることでもあるのです。
(無介助分娩の場合でも、情報源は似たようなものです)

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自宅の風呂にアロマオイル・・・プロのやることかソレ。

仮説のひとつ「生後間もない幼児は水を怖がらず、水中で反射的に息を止める能力を持っている」について。
「生後間もない幼児」というのがどの月齢かわからないのですが、普通「生後間もない」といえば「新生児」(生後28日まで)のように思いますが、この時期の赤ちゃんは、モロー反射があるのでお湯に入れようとすると反射でびっくりして泣き出したりします。その状態で「水中では息を止める能力があるから」と、かまわず顔をお湯につけたら・・・あえいで窒息すると思います。

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新生児の肺呼吸がどのように開始するか、まだはっきりわかっていません。出生時のさまざまな感覚的刺激(冷感、低酸素)や、産道外へ出ることで胸郭の圧迫がとれるためなど、考えられています。

呼吸運動だけでなく、「あえぐ」様子も見られます。声は出ていないけれど「呼吸をしそうな」動きですが、母体から顔が出ただけであえぎが見られる赤ちゃんもいますし、顔を出しただけで「おぎゃー」っと第一呼吸を始める赤ちゃんもいます。
水中では、声はださなくともあえいでいる可能性はあります。
水中分娩の記事を読むとみな水中から上がったら元気に泣き始めたというものばかりなのですが、きっと苦しい目にあった赤ちゃんもいるはずです。

ヒトはやはり、母体から出たらすぐに空気を吸えるほうが良いと思います。


お産の児頭娩出間近になると、お母さんの肛門は児頭で押されて哆開(しかい)します。当然、大腸菌とかお湯に混じります。
いまだかつて、肛門をしっかり閉じたままお産になった方を見たことはありません。

危険ばかりじゃないの。

「育児文化研究所関係の死亡事例は六県にわたっており、七事例を知ることができました。このように件数が整理されております。この六県にわたる七事例については、子供は死産または新生児死亡という診断で全員亡くなっておられる。母体についても大出血で病院搬送、また一人は精神不安定の状態になっているというような報告がなされております。[中略]
 このような未必の故意が疑われる案件が多いにもかかわらず、難解なのは、児が死亡した場合、母親自身、自分が未熟であるために子供が授からないのだ、そのことは母親である自分が悪いという洗脳とも思われる指導があり、父親、母親ともに被害者としての自覚に乏しく、事故後も会員であり続ける例もあり、今後もこのような事故を起こさないような保証がない案件なのではないかなと思っております。」

反社会的カルトと断言する事に躊躇する必要を認めず! ...と、思ったら、なんとこの「研究所」、と学会のお墨付きでした。
「おっと、名称に騙されてはいけない。この育児文化研究所、実はUFOカルト団体なのだ。UFOに乗った宇宙人が人類を救いに来る、といったことを、セミナーを受講しに来たお母さんたちに大真面目に教えているのである。」ートンデモ本の世界で山本弘さんが書いておられた。 まだ妊娠もしていない胎児との対話も可能と主張している、アレだったんですね。 こんなバカにそそのかされて水中出産をして、子供を...

とにかく「信じる」人はなんても信じちゃうんですね。 まさかここから UFO につながるとは思わなかった...

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「育児文化研究所」はUFOカルト・・・

この育児文化研究所からは、紙おむつやめてという本も出てますよね。
http://www2.dango.ne.jp/ikuji/ikuji3/sensei/books.htmlLink

今までの常識が通用しない世界で混乱している妊婦や乳児を抱えているおかあさんたちに、布オムツ奨励とか母乳で子育てという、育児産業でよく使われている手法から近づかれると、本人も気づかぬうちに別世界に足を踏み入れてしまうのだと思います。

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酷い、酷すぎる。こうして段階的にニセ科学の深みへはまっていくんだなぁ。

胎児が娩出され、胎盤・卵幕が娩出されると、子宮内膜は血管の断端が露出した大きな傷と同じ状態になります。水中出産では、その状態に大腸菌などが混ざったお湯が直接触れることになります。
また、卵管を通して、そのお湯などが腹腔内に入る可能性もあります。
「自然な状態」で卵管から腹腔内に外部のものが入る状況はあり得ません。また、裂傷部も菌に汚染されることになります。重症化しやすい条件が重なります。

分娩での母体死亡をゼロにできない理由のひとつに、「羊水栓塞」という致死的な状況の発生があります。胎盤が娩出したあと、胎盤が脱落したあとの血管の断端から羊水の成分などが母体の血流に入り、血栓を作ってしまうのです。本当にまれな疾患です。水中出産では、その状態を起こしやすいといわれています。

水中出産では、介助者が児を受け止める場合もありますが、たいがいは「母親が自分で赤ちゃんを取り上げる」ことに意味を持たせています。
通常は、赤ちゃんが生まれ、胎盤が出て・・・その状況の時に、大出血の可能性をいつも頭に入れながら介助しますが、水中ではその観察が遅れます。出産後の異常出血は、1〜2分間であっという間に500ml以上の出血になります。水中から、産婦さんを引き上げて出血に対応するまでに、おそらく1L以上の出血になります。通常、1.5L〜2Lの出血になるとICUの管理が必要になる可能性が高くなります。

以上のように、子宮内感染、出血、羊水栓塞が母体側のリスクです。

新生児側は、第一呼吸が遅れることによる新生児一過性多呼吸、感染による敗血症です。
ヒトが羊水中から出て、肺呼吸をするというのは最も劇的なことでこれが安定しないと赤ちゃんは、自分の体温を維持することも、おっぱいを吸うこともできません。呼吸が安定しないと、がたがたと全身状態が悪化していきます。
分娩台で、おかあさんに抱かれて家族の祝福を受けて「鼻が低いわね、誰似かしら」など喜びに満たされている間も、スタッフは常に赤ちゃんの呼吸が安定しているか確認しています。

新生児の感染には生まれて数時間ぐらいから症状が出始める早発型と、レジオネラの症例のように数日以降発症するものとあります。新生児は感染に対する抵抗力が十分でないので、敗血症や髄膜炎をおこします。
呼吸障害と感染が合併すれば、赤ちゃんにとってはかなり厳しい状態だと思います。

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なんというハイリスク出産。くわばらくわばら・・・

カンガルーケアーについても、「自然」「不自然」の考え方が錯綜している印象です。

NICUの早産児のように生まれたときから保育器内で呼吸器やモニターに囲まれた赤ちゃんには、ひとの肌のぬくもりを感じる機会があるというのはとても大事だと思います。この場合、モニター類を装着した上での抱っこなので、安全の確認が行われています。

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これぐらいならアリかな。

出生直後の新生児を、室内で(母の体温とタオルをかけて保温しても)裸のままにしておくことによる低体温と、腹ばいの状態での呼吸抑制の危険がカンガルーケアーの危険な点ではないかと思います。

出生直後の赤ちゃんの状態は、一見元気でもほんとうにさまざまです。
産声のあとしっかり呼吸が安定して「泣かない」赤ちゃんもいれば、胸式・腹式の呼吸をしながら呼吸を整えていて「泣けない」赤ちゃんもいます。
腹ばいにすると胸部腹部ともに圧迫されやすいと思います。
「気づいたら真っ白になっていた」状態で気づくことが多いと思いますが、その時点で20秒以上の異常な無呼吸があったのだと思います。
NICUの場合、酸素濃度センサーをつけたままなので、未然に防ぐことができます。
カンガルーケアーを勧める研究会が、安全のためのモニター装着を提案していますが、モニターまでつけて実施して得られる「自然な」あるいは「豊かな」母子関係の早期確立とは、本当に必要なことなのか問いなおす必要があるのではないでしょうか。自然に生まれて問題のなかった赤ちゃんに、発見が遅れれば蘇生術が必要になるようなことは無意味以上のことのように思います。

余計なことして危険を増やすのが「自然」とは。
こちらはちょいと変わって胎盤の話。

弟の研究室に来ていた留学生の方のご実家が内陸部で病院をされており、そこで出産があった折にはご実家の方がゆでて食べられていると言ってたそうです。風邪をひかなくなるとか、そういう理由で昔からある習慣のように話していたと記憶しています。その留学生自身はそのことについてどう考えているかというと、リスクが高いので止めて欲しいと思っていると聞きました。彼が学位を取得して帰ると医科大学が造られ教授になるという話も聞いていたので、西洋医学の教育をうけた人が戻り、これから教育に当たっていくことによってこういう習慣は少しずつ無くなっていくかもしれませんね。

それとは別に、日本でごくまれにでもそういう行為が行われているというのは、もしかしたら古い習慣も一部にはあるかもしれませんが、あまりにも自然から離れすぎて自然を知らないような人たちが、自然っぽいものにあこがれてやっているのかもしれませんよね。

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胎盤食べるとか。古い習慣じゃなかなかやめないだろうなぁ。風邪をひかなくなるというのは母なる力とかそういう類だろか。

牛のBSEに対し、羊のスクレイピーは感染性のある胎盤を食べることによって感染し、子宮内での垂直感染もあるとのこと。
動物が胎盤を食べることは自然なことでもありますが、自然は新たな疾患や感染物質をも作り出すものなのですね。

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衛生検査してるわけじゃないんだから、食べるのは「食肉」と比べてリスクが高いよなぁ。

妊婦の死亡数は出産10万件あたり6件以下と極めて低い。
しかも死亡率が高かった頃と比べて出生数が減っているから、同じ割合で比較した場合に実際の数は少なくなる状態。1%でも1000の1%は10で100の1%は1。
さらに、一人が出産を経験する回数が減っているので、一人当たりのリスクも減っている。
・・・にもかかわらず。

なんというか、医療不信から謎の「自然なお産」を選ぶかたがたもおられるようです。最新の医療に頼らないのであれば、今のこの低い妊産婦死亡率の恩恵にあずかることはできません。

個人的体験のレベルでは「産科に行かずに自然にまかせたけど、問題はなかったよ」ということになるわけです。1000件中999まではそういう体験になります。ただ、そういう例をたくさん集めてくれば、実は死亡率が高いのだということがわかります。
 
自分が問題を感じなかったからといって、同じことを他人に薦めるとしたら、相手に数十倍のリスクを押し付けていることになります。でも、たぶんほとんどの場合には問題が起きないでしょう。リスクを押し付けたことにも気づかないのでしょう。
個人的体験で語るというのは、そういうことです。

医療事故のリスクが嫌だから、なにか別の「自然っぽい何か」を選ぶというのは論理的に間違っています。

あるリスクのある行為を避けて別な行為を選ぶということは、別のリスクを選ぶことである、というのがわかってないのかなぁ。片方避けたら安心するみたいな。
人間て結構「何かやった」ということに満足してしまうから片手落ちになるわけだな。

多くの人が得る情報は、自身や口コミも含めた個人的経験と、マスメディアの流す情報がほとんどでしょう。そうすると多くの人にとって「個人的経験」ではない情報というとマスメディアの情報となってしまいますが、それはあまりまともではないし、むしろ事故がレアになるにつれてニュースバリューが上がってしまいますね。むろん、重要なのは信頼に足る統計情報であり、今は主体的に調べれば容易に得られる物ではありますが、この手の「被害者」はこういう物から遠い人達である様に思われ、そこが問題の難しいところかと思いました。

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ニュースバリューか。リテラシー教育必要かねぇ。

国立感染症研究所感染情報センターのHPに麻疹の予防接種について、統計とその有効性が書かれています。
大阪周辺で流行した1999年は、麻疹による乳幼児死亡が約30人いらっしゃいます。このときの予防接種率が70数%です。
副作用の統計も載っていますが、H10年にワクチンが改良されて以来副作用の報告は半減し50例程度、その大半が発疹、発熱などです。
この流行翌年の大阪周辺の方へのアンケートでは、ワクチンに否定的な方は0.2%、ワクチン未接種だったのは保育園通園中や若い母親などで接種の機会を逸したことなどが理由とされています。

麻疹による乳幼児死亡は年によって大きく変動があり数人だったり、30人だったりですが、いずれにしても「個人の体験」では実感は得られないことでしょう。たとえ、小児科に長く勤務する医療従事者でも、体験する方は「まれ」だと思います。
私達産科に勤める者が、直接(他のスタッフの体験ではなく)自分自身が産婦さんの死や新生児の死に出会うことが少なくなったように。

反対に、予防接種や薬害の重篤な副作用例は大きく報道されます。
これは情報として必要で正しい部分もありますが、一般の方にはやはりネガティブな印象のみ残ることでしょう。「自分の子供が副作用にあったら」という方が、「自分の子供が麻疹で死ぬのでは」と想像するよりも現実に近そうな感覚だと思います。

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放っておけば高いリスクが低くなることより、何もしなければゼロのリスクが新たに発生することの方が目立つんだよな。効果は前者の方が高くても。
ある薬を使ったからとかいう理由で新規に発生するものは「量」で評価しないで良いからわかり易いんだろう。

ちなみに以下は自然出産にとりくんできた助産師の正木かよさんの著書、「夫婦でいいお産をしよう」よりの引用です。

P32 自然出産の意味を勘違いしないで
...
今から二〇余年前、ラマーズ法による自然分娩を求め、出産場所として助産所を選んだ女性たちは、自分の出産は自分で獲得するものである、という信念で、妊娠中健康保持にも積極的に取り組んでいました。自然分娩を追求していても、決して医療を否定しているのではありません。「産む性である女性として自分に携わっている力を信じたい。そして、出産という大仕事を任せてみたい。もし、自然に進まない場合は、医療のお世話になりましょう。」と、出産をお手伝いする助産師と、出産する女性の共同で、安全で快適な出産を追求していました。
しかし、最近、自然出産とは、自然の成り行きに任せる出産だと勘違いしている人が多くいて、心配しています

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あれま。自然出産の先駆者から批判されてんじゃん。
ちょっと危険の認識に絡んで地震の話。

阪神大震災について

当時、関西出身者になぜ関西では地震が起こらないと思っていたかたずねたことがあります。その中に、関東の方では、東海大地震が来るとずっと言っているのに、関西ではそんな警告もないから安全だろうと思っていた人もいました。
変に一地域だけ警告すると他の地域の人が安全だと誤認することもあるようです。

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ある人が地震について関東と関西で同じ警戒水準だと想像しているとすると、あるレベルの危険を関東で警告して関西で警告しない場合、関西には危険が無いと感じてしまう、ということか。
さて「人工的医療」と「自然」の出産それぞれはどうか?同じ警戒水準だと想像していないか?「人工的医療」だけが警告している危険があるんじゃないかな?それは「自然」が安全だということにはならないのだ。

ちょっと話がずれていまいますがせっかくの機会ですので、助産院の活用について書かせてください。
産科医不足の状況ががようやく一般の方に浸透してきましたが、だから助産院の活用を・・・というのは、もしかすると周産期医療レベルを昭和30年代にぐらいに落とすことになるかもしれません。
現在産科の先生方の3分の1ぐらいが、60代以上の先生方と聞いています。その年代で、365日、24時間の体勢をとっていらっしゃる先生方がたくさんいらっしゃいます。
あと10年後、産科医が増えず減少した時に、「お産は助産師だけで大丈夫だから」と任されたときに、周産期死亡率はぐんと上がるでしょう。
「正常なお産」とは、出産がすべて終了した時に初めて「正常だった」といえることで、妊娠経過が順調だから「正常になる」とは言えません。
また、当然妊娠中のお母さんのさまざまな努力や信念とも無関係に起こり得ます。
赤ちゃんが無事生まれて、胎盤が出てほっとしたところで致命的な出血を起こすこともあります。医師と協働しているから、すぐに対応できて異常にならなかった分娩は相当な数だと思います。
出産中の急変、産後の出血は1分2分の対応が大事です。医療から距離があればあるほど、死へのリスクは高くなります。

「正常分娩は助産師で」というのは、戦前に「無資格者による介助ではなく助産婦で」という意味のスタートだったのだと思います。
「正常分娩は産科医がいなくても、助産師だけで」というのであれば、昭和30年代の母体死亡年間2000人の時代になることでしょう。

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助産所には嘱託医が必要ということになってますが、つい最近まで、産科に無関係なお医者さんでもよかったんですよね。事実上、単なる名義貸しで、医療との連携が取れてないのが普通のようでした。
現在、経過措置として、地域病院による名義貸しを認めているようですが、これも連携が取れているとはいえないですよね。

おそらく、いわゆる助産所医療機関と物理的に離れているもの)は、日常の健康相談・管理に業務範囲を留めるのが安全なんじゃないかと思います。
お産が正常かどうかの判断は、地震予知と一緒で、結果論的にしかわからないようですね。例えば、お産の後で、胎盤とつながっていた子宮の血管がうまく閉じないと、大量に失血してしまうことになるようなのですが、それは、実際に問題が起こってからしかわかりませんしね。

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近くに産科医がいないとまずいなぁ。うちの近くの産婦人科も取り壊してしまったけど。10年後どうなってるのか。

私の家内も助産所にお世話になりました(出産は病院でした)。
育児のよき相談相手、という感覚でしたね。

助産所に足繁く通っている患者さんの中には、医師等の説明不足に起因する不信・不安を抱えている方が少なくありません。
こういう方々に、助産師が不適切な情報を吹き込むことで、その後の育児においても「予防接種は怖い」「抗生物質は服用しない」「自然万歳(なんのこっちゃ?)」という保護者が生み出されているという現実があります。
助産師がホメオパシーや個人的経験談(通ってくる患者から得た「自然」の成功談や、西洋医学への不信等)を不安を抱えている保護者に吹き込むとは、ビリーバーを生み出す絶大な効果を発揮していると思います。

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相談相手、ね。それは必要かも知らんが中には問題ある人がなぁ・・・まぁそれ言ったら医者にもいるか。

お母さん、赤ちゃんの悲しい死をできるだけ減らすためには、助産院を開くことではなく、産科医・小児科医を減らさないこと以外にないと思います。
現在助産院での出生は、日本の出産の1%程度です。助産師だって多くないので、助産院が産科医の仕事を減らせるほどの分娩は請け負えないでしょう。
助産院は300軒弱ですが、ゆっくりかかわれるお産のために月に2〜3件程度しか受け入れていないところが多いようです。これを「もっと助産院で産みなさい」となって分娩数が増えれば、助産院自体もサービスの低下となるでしょう。またそれだけ異常分娩になって搬送しなければいけなくなる割合も高くなることでしょう。

産科の先生方にしても、それまでの経過がわからないまま急変して搬送されてくるのを受け入れるより、妊娠中から関わっている方が早く対応できます。

医師ときちんと連携をとっている助産院もあると思いますが、助産院の非難ではなく、自分自身が開業することを想定したらリスクが大きすぎます。
助産院は医療処置ができない。
母子の生命を預かる場で、それは安全性と言う点で、それこそ致命的ではありませんか?
これだけ医療のリスク管理が言われている中で、たとえば嘱託医の病院に5分で搬送できる場所にすること、あるいは総合病院付属にすること・・・など、厳しい条件があっても良いのではないかと思います。
そして効果の不明な民間療法などを安易に勧めない、という条件も是非必要と思います。

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なんか深夜に受け付ける医療センターの話思い出すな。爆弾の導火線に火をつけて渡してくれるとかなんとか。対処不能な患者ばかり引き継がれてもたまらんわな。

お産ライターというような職業があったり、とにかく出産は、病院の外でお金になるものだとおもいます。
助産院では医療行為が出来ない、“私たちは見守るだけ”だというようなことを仰っているところが多いのに、病院並みの料金です。
自宅分娩は、結構な割合で助産院で産むよりも高いです。
流行つつあるという“プライベート出産”では、「ただいるだけの助産師にお金を払うのも損だ」という意識程度で選択してしまいそうになっている方もいます。
そこに、“神秘的”だとかという言葉を付け加えているだけです。
海辺で産むとか、実話であります。

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「出産は金になる」か。医療・健康に関わるニセ科学的なものは悪徳商法と結びつくってことで、「お産」も魑魅魍魎に狙われているわけだなぁ。全てが悪意ではないだろうけど、区別も困難だろう。

子供が死んだという経験がないことは幸せなことですが、人の不幸を聞いても『都合が悪い存在』としかおもえない人こそが不幸だとおもいます。
助産院が今のまま存続するのは問題が多すぎるとおもいます。
また、産科医療の崩壊を助産院が食い止めるとはおもいません。
助産院での事故を経験されている方は“自己責任”で苦しんで、公に出来ないケースが多いです。

自然出産コミュニティの話はなんか不気味だなぁ。自分達のコミュニティを守る為に危険を隠蔽するなんて、何の闘争してんだ?
それと知らず選択して後で身をもって危険を知るなんて最悪だよ。

第一子を産んだ町の産科医さんは駅前の大きなビルで、何十人という妊婦さんを抱えていると思うのですが、医者は一人だけで、とても大変そうでした。いざ出産の時も陣痛の始まった妊婦さんたちが順番待ちで、流れ作業的に扱われたり、しんどかったようで、同じところで産みたく無かったようです。近くの産科医で空きベッドを探したりしたのですが、なかなか見つからず、うちに出会ったのが助産院でした。
私自身や、弟の出産を見守った姉(へその緒は姉が切りました)にとっては良い経験でしたし、連れ合いにとってもゆったりとした気持ちで過ごせ、産後も楽だったようです。
このことが、自分たちにとって良い経験であることに代わりはありませんが、今回いろんな意見や、琴子の母さんのブログも見せていただいて、もし仮に、人にたずねられて経験を伝えるようなことがあったとしても、慎重に言葉を選ばなくてはと改めて感じました。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1243007559#CID1243451081

混んでるせいで流れ作業的なのがイヤだから助産院。やっぱり産科不足だよなぁ。

無資格者が臍の緒を切るのは違法行為です。
看護師の内診問題を大騒ぎする助産師、助産院、助産師会がまず、自分達の行動を見直すべき項目でもあります。
もしもお姉さんが有資格者であれば別かもしれませんが、多分そうではないでしょう。

小さなことを、重箱の隅を突っついてとおもわれるかもしれませんが、臍の緒を切る行為を軽視していることへの警鐘も鳴らされています。
夫であろうと誰であろうと、無資格者が切るのは違法だということをマスコミもいうべきですが、テレビでも“素晴らしいお産”かのように臍の緒を切る場面を堂々と放映しているくらいですからね。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1243007559#CID1243477979

なるほど。へその緒切るのも医療行為ね。

ここまでコメントされた方の内容を読んでも、「自然なお産」という言葉はとても幅広く人それぞれのイメージかと思います。

「自然なお産」には、市民運動的な背景、流れがあります。
70年代に医療の中での患者の権利への目覚め、医療消費者運動として病院でのお産への不信や批判が出始めました。
80年代には朝日新聞に連載された「お産革命」を機に、医療機器(分娩台を含む)に囲まれた「病院での産まされるお産」への批判、反対に「あたたかいお産」の助産院への期待が、自称バースコーディネーターという人たちの活動を通して、広がっていきます。
日本だけでなく、世界中で施設分娩への移行期だったので同じような運動があり、後押しされました。
90年代以降には、「自分らしいお産」ということでアクティブ・バースや水中出産、アロマセラピー、カンガルー・ケアー、さまざまな演出が広がっていきます。

病院は「不自然なお産」で遅れていたかというと、そんなことはありません。
もともと日本の産科の先生達はお産は助産師にまかせて生まれる時に登場されていましたので、私の病院経験でも経過が問題なければ赤ちゃんの頭が見える頃に医師を呼びます。
医師が必要以上に手を出すことはなく助産師に任されているので、助産院vs病院のような言われ方をすると、「私たちだって院内『助産院』だよね」と揶揄していました。
それが最近、36.TBNさんが紹介されているような、「新しいシステム」のように持ち上げられている院内助産院の語源です。
90年初めには、立会い分娩、母子同室もすでに多くの病院で取り入れていましたし、病院側もどんどん変化しています。

では、助産院と病院の分娩の違いは・・・となると、やはりどれだけ産婦さんのそばに付き添えるかというマンパワーの問題だと思います。
「人手不足」
「病院なんかで働いていられない」と辞める助産師の原因のひとつだと思います。
「病院ではつらいお産の間、ひとりにされた」「ゆっくり話を聞いてもらえなかった」
だから助産院はいいのよ・・・という方向になったのだと思います。

残念なのは、ここで病院はなぜ産婦さんや赤ちゃんに十分関われないほど人手不足なのか、どうしたら十分なスタッフが確保されて産む人も介助する人も満足できるのか解決しようという方向に行かなかったことです。
皆さん、新生児は入院患者数に含まれていないことをご存知ですか?
たとえば30人の入院患者さんと15人の新生児がいても、その病棟の入院患者数は30人としかみなされません。基準看護で看護スタッフの配置数はこの入院患者数で決まります。
「大事なわが子のために、是非看護スタッフをを多くするように改正してください」という声が高まれば、この「自然なお産」の流れも違っていたのではないかと思います。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1243007559#CID1243563740

「医療消費者運動」「お産革命」「バースコーディネーター」そんな背景が。
同じ助産師でも病院だと忙しすぎて辞めてしまうというのはなんかおかしなことになってるな。

出産は病気ではないというのが現行医療保険制度の前提のため、新生児は患者ないので、保険上の入院患者としては算定しません。(NICUなどに入るような医療保険上病気として認められる場合には、入院患者として数えます)

出産にかかわる人件費は私費で全てをまかなわないといけないので、本来は配置基準とは関係ないはずです。ただし、本当の入院患者向けの治療があるので、そちらから最低限の看護師が決められます。病院が自己負担をもとめて適正な人数を配置するのではなく、いままでは、医療保険用患者の看護師で回してきてしまったのですね。
だいたい助産院と病院で費用が一緒というのがおかしいです。本当は病院側の費用はもっと高くなってないと。

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「普通に産まれた赤ん坊は健康だから看護師要らないよね」ってをい。どうにかならないのかこの制度。

長女は大学病院で生んだんですが、外来と病棟での勤務体制を一緒にして、急にお産が始まって病棟に上がっても、誰か必ず外来から見知った助産師さんがいる・・という感じにされてました。
やはりお産は心細いものですから、どなたか必ず、自分の細かい事情を知ってくれている人がいるというのは・・私にとって心強ものでした。

また持病を抱えながら妊娠してる方のハイリスク外来もあったので、
外来から患者さんには受け持ち助産師さんがいて、細やかに話をきいていたり、経過の気になる妊婦さんが外来に来ていると、受け持ち助産師さんは、病棟勤務の夜勤明けに外来にちょっと顔を出されて相談にのっていたりされていました。

二つ目の次女、長男を生んだ病院もいつも丁寧にDR、助産師さんとも話を聞いてくれて、産後は母子同室で、毎日かならずおっぱいマッサージを時間をかけてやっていただいたり、母乳についての相談もよくしてくれてました。私にとっては妊娠から産後の一ヶ月健診までも含めて、長いマラソンコースを伴走していただいた、アットホームな場所・・といった
感じでした。

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病院によって色々なんだなぁ。

そうなんです、前から疑問だったんですが「お産は病気ではないから
保険は適応されない」といわれますが
確かに疾病ではないんですが、身体にかかる負荷は疾病寸前の症状がでるよう思います。
悪阻だったり腎臓にかかる負担であったり・・それに出産には出血のリスクがともないますし、何より、お産は24時間いつ起こるかわからないものです。
対応するDRやスタッフも人手のいるものであるので、大切な人手の確保としてもっと産婦人科の診療報酬を高くして、産婦人科の方々の努力が報われるような体制になったほうがよいのに・・と思うんです。
安全を守るにはコストと人手がかかると思うのに・・。

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診療報酬のことを医療保険からの報酬ととらえると、保険の適用外なので多少増やしても、出産のための人員強化には向かいません。

ある程度の人数をちゃんと用意するのであれば、米国並みの100万円が妥当なんじゃないでしょうか。それを半額で請け負っているのですから、そのぶん産婦と医療スタッフとのやりとりにかける時間が減るのは当然でしょう。また、医師を雇わないですむ助産院は品質を落とすことで、患者との対話する時間を維持してるのでしょう。

ただ、各病院が適正な価格まで値を上げたら、ますます、貧乏人が代替医療に流れるだけな気もするんで難しいですね。

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産科関係のブログで、分娩1件にかかる費用は60万程度で多くの施設は持ち出し分が多いと書かれていました。

出産一時金は35万から38万になり、さらに40万ちょっとに値上げされます。(いい加減な数字ですみません)
これは、分娩があるかぎりゼロにはできない脳性まひの赤ちゃんとご家族のための補償制度が始まったためです。
3万円を妊婦さんが民間の保険会社に支払うという、ややこしいシステムです。国が最初から分娩費と補償制度に責任を持てばわかりやすいのに、やはり分娩は自費という方法を急激に変えられないからでしょうか。

院内助産院や助産所を賛美する背景には、自費で、医療費削減にもつながるからではないかと、思えます。

助産師の会陰切開・縫合を解禁しろという議論が、医療現場からでなく経済諮問会議というところで話し合われたことを考えると、あながち突飛な想像ではないのでは・・・と思います。
今、助産師が完全に独立しにくい理由に、会陰裂傷が起きた時に軽いもの以外は医師の縫合が必要であることが大きいと思います。
イギリスの助産師のように縫合術をできるようにすれば、助産師だけで完結できるお産が増えるので、医療資源を使わなくて済むということでしょう。で、経営には飲食業やらドラッグストアーなども参入OKという時代がくるかもしれません。

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なんつーかやっぱ医療費削減とか出てきますか。自己負担増やせば今度は少子化問題に繋がるしなぁ。貧乏人が病院に行けないなんてアメリカ並みの社会はイヤです。

冷たいのは病院ではなくて家族ではないかと思えるんですね。自宅だって家族が全く非協力的だったら冷たい雰囲気ですよね。病院が冷たいと感じるのは、他人の病院スタッフが家族の愛情の肩代わりまでしてくれるので、家族は何もしないでよいと勘違いしてるからじゃないかという気がします。病院が提供するのは専門的で安全なサービスで家族の愛情とは別種のものですよね。病院を利用すればそういうサービスが付加されるだけで、家族の愛情が減るはずはないのですが。

医者は冷たいけれど、ホメオパスは親身になって話を聞いてくれるなどというのも、なにか満たされないものがあるからじゃないかという気がします。詐欺もそういう心理に付け込むわけですし。

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高度な医療施設程患者の満足度が低いって話があったな。期待してる「サービス」の質が違うわけね。

まず、妊婦検診は14回の検診のうち
今まで5回の公費負担だったのに加えて、残りの9回を国と地方自治体とで半分つづ負担となるようです。
財政状況の悪い自治体もあるので、お住まいの場所によっては完全に無料化にならない場合もありえます。

駆け込み出産などの対策の意味もあるでしょうねぇ。
妊婦検診は赤ちゃんにとっても、お母さんにとっても大切だから
きちんと受けて欲しい事です。病院側だって患者さんの基本データをしっかり確認して妊娠の経過を知っておくことは、いつはじまるか、何が起こるかわからない妊娠中やお産にとって大切な資料になっているものでしょう。

そして、平成21年10月からは、各医療保険者から直接病院などに出産育児一時金を支払う仕組みになるようです。
出産費用踏み倒し防止の意味合いも濃いのでしょうか。

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をを、色々やってるじゃないの。だったら少し病院の費用が高くなっても良い?

医療者は、第三者
でも、家族とはちがうけど病院にいる、身近な第三者として
相談できたり、自分自身の位置確認みたいことさせてもらったり、
家族とは違う温度で牽引してもらったり・・とその第三者として
患者の家族だった私はフォローをいただいて助かっていたようにおもいます。
本来なら、患者さん本人が歩かれる道だから、ご家族と、医療者と
形の良い正三角形でお互いいられたら、良いバランスだと思うんです。
その家族とのバランスなどが何かの原因でくずれちゃうと、より不安が強くなって
過度に家族的なものを医療関係者に求めてしまうのかなぁ・・と。
その不安につけこむ不届き者がいるんだなぁ・・・と。

でも、やはり
一部ですが、キツイ発言の医療者や、心をどこかに置き忘れたような
医療者もいます。私も母の闘病中にでくわしました。
そういう一部の不届き者がニュースとして取り上げられると、また口コミ
とかで流れると、
一部が全体のイメージと刷り変わってしまうでしょうか。
病院でのお産が冷たい・・・というのもそういった刷りかわりのなかで
広がっていったんでしょうかねぇ。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1243007559#CID1243695685

「身近な第三者」ね。そういうとこも求められるのがプロですか。患者が安心して協力的であるというのも大事なことだしなぁ。