RD面白いなぁ

驚く程面白い、激オススメ!っていうような感じではないけれども、見ておいて損はない佳作を毎週きっちり提供って感じが良い。毎週次の展開が楽しみでワクワクしてたまらないっていうんじゃなくて、今週はどうくるのかな?お手並み拝見・・・みたいな。ささやかだよね、なんかこう派手さはないけど、RDみたいな作品があると嬉しい。

先週・今週にしても素晴らしかった。
義体化して視覚を得た先天的に盲目の少女。なんてSFなテーマなんでしょう。身体の機能だけが追加されても脳味噌がそれに対応しないと意味が無いんですよね。PCにハード追加したけどドライバーが入ってないみたいな。
そして余計なものを追加したことで失ってしまった感覚が彼女にとってはとても大切だった。
想像した通りだったのは空の色だけという彼女が「地平線を触ろうとしている」シーンは印象的ですねぇ。全てがそれまでと違う世界。戸惑いと現実感の無さ。これが本当に世界なのか、触れるものなら触って確かめたかったのかも知れない。結局彼女にとって「見えるもの」なんて何より不確かな存在でしか無かったんですね。
それから完全純正律でヴァイオリンを弾きこなすクシマ・・・らしいっちゃらしいよなw
純正律について説明されたソウタもミナモもさっぱりわかんねぇって顔をしていたわけですが。

純正律(じゅんせいりつ)は純正調とも呼ばれ、ある基本音を起点として、音程が協和する(周波数の比が簡単な整数比になる)ように、音階の各音を順に採って決定していく音律で、音階の各音を幾何学的に決定できるために純正律と呼ばれる。 一般に純正律といえば、完全純正律(ツァルリーノ音律などとも呼ばれる)を指すことが多い。これは完全5度を2:3、長3度を4:5に取って長音階を、完全5度を2:3、短3度を5:6に取って短音階を得る方法である。

純正律の長所は、協和する音の組がたくさん存在することであり、これは調律の容易さを産む。特に協和音程は耳に聴いて心地よい。

短所の一つは、音の組によっては、周波数比が複雑な比になるために音が響き合わないことであり、場合によってはウルフ音と呼ばれる特徴あるうなりがあらわになることもある。

もう一つの短所は、同じ音程であっても幅(周波数比)にばらつきがある、つまり音の並びが不均等であるために、転調・移調がしづらいことである。

これらの短所を解決しようとするものが、平均律である。

なるべく和音が綺麗になるようにある音程と和音を作る音程の周波数を決める。だけど良く使う和音を綺麗に作ったらあんまり使わない和音が綺麗に鳴らなくなったりしちゃうらしい。
なので、

なお、クラシックのピアノ曲においては、純正律で濁った響きとなる上記和音を全く使用しない楽曲が少なからず存在していることを楽譜上で確認できる。白鍵を上記の長調純正律に合わせ、黒鍵をピタゴラス音律で調律する方法(キルンベルガー第1法)で快適に演奏可能な楽曲の例を以下に示す。

 ウェーバー(Carl Maria von Weber (1786 〜 1826)) 作曲
   舞踏への勧誘
 ショパン (Fryderyk Franciszek Chopin (1810 〜 1849)) 作曲
   変ニ長調op.64-1 「小犬のワルツ」 
 リスト  (Franz Liszt (1811 〜 1886)) 作曲
   パガニーニ練習曲 第3番(ラ・カンパネラ)

なんてことに。楽器に合わせて曲を作ってしまいました。
で、普通使われるのは平均律

十二平均律とは、1オクターブを12等分した音律である。

一般的に、2音が単純な周波数比にある時、美しく響く、いわゆる協和した状態になる。このような音程を純正音程と呼び、調律法ではこれを利用して音律を定める。例えば、ドとソの幅にあたる完全5度は、2:3(1.5倍)の周波数比である。また、1オクターブは1:2(2倍)となる。しかし、このような純正音程で通常の西洋音階を作成しようとすると矛盾がおこる。例えば、完全5度は12回上方に積み重ねると、12種類全ての音を経由して7オクターブ上の音程に到達する。しかし、周波数比の3/2は12乗しても2の7乗にはならない。このように、ある音程(例えば5度)を全て純正に保とうとすると、他の音程(例えばオクターブ)が純正にならないといった現象が避けられない(ピタゴラスコンマ、シントニックコンマ参照)。

純正律平均律の試聴もできます。

ミが違うのしかわからなかった・・・

他のは違いがわからなかったけど、これだけ純正律がなんというか尖った響きになってますね。それが美しくないというわけか。まぁわざと崩した響きが「尖ってる」ならそれは濁った響きなんだろうな。
まぁともかくクシマは音楽理論に基づいて完璧に演奏したということになっている。でも音楽を構成する要素を数学的に記述することが音楽を語ることではないわけです。美しく感じる音はわかっても美しく感じる音楽がわかったわけじゃない。あくまでそれは一部分だから。
フレットによって決まった位置を抑えるギターと違い、ヴァイオリンは奏者の思ったように微妙な音程のコントロールができます。*1だからクシマは望んだ音を完璧に出して見せたのでしょう。でもそれは優れた芸ができるということでしかないことを誰よりも本人が知っていた。
「自分には才能が無い」と言って音楽を辞めたクシマ。では才能とは何なのか?クシマに言わせればそれは「探求を続ける情熱=愛」だそうで・・・しかも「私に才能はあるだろうか」というハルに向かって「愛の無い人間などいない」とかなんとか。かっこ良過ぎだろお前。

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*1:だから素人が触っても不協和音ばかり鳴るわけだが。