犬と猫と人間と

※酷い間違いがあったので訂正し、新たなエントリとしました。「犬と猫と人間と」しろえもんと二人のインストラクター - neko73のつめとぎご指摘感謝します。



ラジオで伊集院光が映画の話をしていた。
知っているもいるだろうが、伊集院光が自分のラジオ番組で何かの評価を口にする場合、ほぼ本音のトークが聴ける。
映画のタイトルは「犬と猫と人間と」伊集院も犬を飼っているから興味があってもおかしくない。なる程動物モノか。しかしそこは伊集院光、自分が犬を飼っていることで贔屓目になるのは分かった上で差し引いて語るだろう・・・なんて思って聴いていたらどうも本気で感動したらしい。
リスナーなら百も承知だが、伊集院光はひねくれ者を自称するぐらいだからそう簡単に映画で感動などしてくれない。そのひねくれ者がどうだ、「号泣した」とか言ってるじゃないか。そりゃ一体どうしたワケだ?
そういうワケで急にこの映画が気になった私は、ユーロスペースでの公開が終わる前ギリギリに間に合うタイミングで見に行ってきた。「犬と猫と人間と」を。

映画の内容は物凄く大雑把に言えば社会派ドキュメンタリーだ。

日本の動物を取り巻く環境は悲惨と言って良い。現代の日本はペットの数が15歳未満の子供を上回るというペット大国であり、産業規模は2兆円に迫る勢いだという。そして犬の総数をイギリスと比較した場合日本がイギリスの2倍であり、その処分数は15倍になる。割合で言ったら7.5倍になるわけだ。ペット処分大国である。

このような事実に関わる以上、明るい作品になる道理が無い。この作品を観に行った人の多くがそうだと思うけれど、いくらか情報を仕入れたら大体内容の見当は付く。わざわざ重苦しい作品を観に行くのだから、なんとも言えない心持ちで映画館に足を運んだ。

しかし、違う。何がどうして違うのか。

映画の冒頭にも収められているけれど、この作品を作ることになったきっかけが良い。
いわゆる「猫おばあちゃん」であるところの稲葉恵子さんという人がいて、飯田監督が前作「あしがらさん」の舞台挨拶に訪れた下高井戸シネマで、なんと直接声をかけて映画製作を依頼したのだ。
稲葉さんはもう先が長くないと感じていたようだ。数年前に乳癌の手術をしており、転移の心配も無いとは言えない。間もなく満期を迎える生命保険があって、それを資金に充てるとか。家族の了解も得ている。
監督がそのお金を動物愛護団体に寄付した方が良いのではないかと言ったら、稲葉さんは「関わっていた団体もあるけど、信用できないところもあるから」と答えたそうだ。自分で良いのかと聞く監督に「人を見る勘は良いから」なんて言ってのける。内容はおまかせするからと言って一つだけ出した条件は「自分が生きている間に見せてくれれば良い」という約束。

そんな具合で、他に作品制作を抱えているワケでなし、自分の作品に対する報酬としては相当な多額であるし、断る理由も特に無い。ならやってみようかという意外にも軽い気持ちで始まった映画製作だった。
「なんでそんなに猫なんでしょうね?」と聞いた監督に稲葉さんは「人も好きですけど、人間よりマシみたい。動物の方が」なんて答えたのだけど、監督にはその意味が分からなかった。

これがもし動物愛護活動にどっぷり浸かったような監督で、大上段に構えて「俺が教えてやる!」という態度になるような人だったら、稲葉さんは依頼しなかっただろう。稲葉さんはきっと、みんなに考えて欲しかった。自分の頭で。その為に必要なものが何であるのか、飯田監督の作風を見て気が付いたのに違いない。
なんて、ただの偶然かも知れないけどね。

結局どんな映画になったのか、まずは予告編を観て欲しい。

長いね。4年だって。そんなに旅しなきゃいけなかったんだ。あまりにも色々なことを知って考えなければならなかったんだろう。沢山の現場が出てくる。避妊手術と堕胎をするボランティアの獣医、行政を動かした愛護団体の代表者、多摩川の猫を世話する写真家夫婦・・・「日本の犬には生まれたくない」と語るマルコ・ブルーノ氏は日本の状況にショックを受けて動物支援活動を始めたという人で、彼が「地獄」と語るのは犬の多頭飼育が崩壊した現場、通称「犬捨て山」のこと。

この映画の内容というのは、こういった問題にいくらか関心を持ったことがあれば知っている内容の繰り返しになるという部分がある。
だけどそれだけが全てじゃない。様々な現場で悲惨な状況を目の当たりにするその度に、そこで現実に立ち向かっている人達の姿も見ることになる。
「犬と猫と人間と」は文字通り犬と、猫と、そして人間の映画である。
これから印象的な場面とそこで取り上げられた問題について詳しく触れてみたいと思うのだけど、普通の映画であればネタバレというヤツだから、まだ観ていない人は注意してくださいとなるところだろう。
だけど、この映画で取り扱ったのは、既に知られた問題であると言えるし、この映画を魅力的な作品にしているのは、それらの問題に立ち向かっている人間の見せる強さであり、その人々が動物に向ける愛情であり、その人間と動物の関わりを見つめる飯田監督の眼差しである。だから、内容を詳しく述べたとしても、この映画の魅力が損なわれる性質のものではないと思う。内容をいくら言葉で説明しても、生き物とそれに関わる人々を追い続けたこの映画の表情を語り尽くすということはないだろう。それでも知りたくない人はこれから上映される映画館に足を運ぶか、全国上映の終了後にリリースされる予定のDVDを手に入れて内容をその目で確かめて欲しい。多くの人になによりも映像を観て貰いたいと思う。

劇場情報は時々更新されている。東京では渋谷ユーロスペース吉祥寺バウスシアターの放映が終了したが、年明けから渋谷UPLINK Xで放映される予定。


また、監督も度々言っているけれど、辛い内容を扱うということで敬遠されがちなのがこの作品だ。動物を好きだから観たくないという人が多いという。でも、辛いことばかりじゃない。きっと共感できる作品になっている。
例えば捨てられた子犬を養う為にお年玉を注ぎ込み、世話をしながら里親を探す子供達。この映画には動物が好きで助けたいという気持ちが絶えず流れている。少し痛みを添えながら。
それでもやっぱり観たくないという人にはそれ以上薦めるべきではないのだろう。飯田監督は無理に観て欲しいとは言わないし、稲葉さんもきっと押し付けがましいのは好きじゃないだろうから。

「可哀想だから観たくない」という人には、とりあえず監督自身が完成した作品について語った言葉で判断して貰えば良いと思う。

視点・論点2009年09月18日

ニュース番組に出演した模様


舞台挨拶


飯田監督の人柄は良くわかると思う。


こちらは映画プログラムにも収録されているインタビュー。

けっこう難しいなと思うのは、
犬や猫を好きな人たちの気持ちです。
殺される命は減らしたいよね、かわいそうだよね、
できることがあれば協力します、チラシを人に撒いたりもします、
でも、私はそういう辛い場面は見ていられないから行けない、
という人がけっこういるんですよ。
そういう人に、わざわざ見てもらう必要はないじゃないか、
という考え方をしてもいいんですけれど、
僕は、やっぱり見てもらいたいんですよね。
辛いだけではないし、
薄っぺらではない骨のある「希望」も入れたつもりです。
それでもこの映画を見て、立ち直れなくなるのだろうか、という。
そこを勝負させてほしい。

勝負してます。本気です。

処分する現場の実情

動物に関心があったわけではないという監督はまず、街中で動物を連れた人にインタビューするなどしていた。しかし勉強を重ねるうちに「処分」の現場を見る必要があると感じたのだろう。監督は動物愛護センターに取材を持ちかけたが何度も撮影を断られた。
無理も無い話ではある。インタビューに応じた職員は「放送されると可哀想だと抗議が来る」と話していた。犬や猫が一箇所に集められて殺される現場など、誰が見ても酷いものだと感じる。下手にメディアで露出しようものなら抗議が殺到し業務に支障が出ることは目に見えている。余り感情を表さず淡々と語る中で「尻拭い」の言葉が印象に残る。
そんな中、千葉県動物愛護センターは撮影を許可してくれた。
これから処分されることになるはずの犬を撮影する監督。「あまりに人を求めるので思わず手を出してしまった。」とナレーションを入れる。そして「もうすぐ死ぬのだと思うとたまらない」とも。やがて職員に「動物は好きですか」と質問する監督。誰もが好きだと答えていた。ある職員が心情を吐露する。「好きだからこそ自分の手でやりたい」「動物が嫌いな人に酷い扱いをされるぐらいなら自分の手でやりたい」動物愛護センターの職員には獣医師もいて、自分の手で子猫に麻酔薬を注射し、一匹ずつ安楽死させていく様子も撮影された。

「崖っぷち犬」でメディアの注目を浴びた徳島県動物愛護管理センターも撮影に応じている。
聞けば、この施設には炭酸ガス処分を行う設備が無い。それというのも施設設立の際に反対が有って、処分を行うなら施設自体を設置できないという状況だったらしい。結局施設にはレールの上を自走する「鎮静器」*1が設置されている。処分対象の動物が中に入って蓋を閉じると、待機しているトラックに積まれて施設外に移動し、火葬場に到着する前に車内で炭酸ガス処分を済ませるのだ。
なんという歪んだやり方だろうか?呆れる他はない。しかしこの結果をもたらしたのは殺処分反対の声である。
増えすぎた犬や猫を施設内で殺すことはできない。しかし収容数に対して譲渡数は数パーセントに過ぎず、処分しなければ膨大な数の動物で溢れかえってしまうのだ。反対するならお前が死ぬまで面倒をみるか里親を見つけろと乱暴に言えばそういう話である。

命に線を引くこと

監督は動物愛護の現状を肌に感じるべく、愛護団体*2の近くに事務所を構え、長期間通い詰めた。
こちらでは野良猫を捕獲し、避妊/去勢手術を実施している。
捕獲したメス猫が既に妊娠している場合、元々子宮全体を摘出する避妊手術はそのまま堕胎手術になる。「これだけは何回やっても慣れない」と言う獣医に断り、子宮に包まれたままの胎児を触ってみる監督。まだ暖かく、間もなく産まれるところだったのか動きさえする様子に「これは間違いなく命そのものだ」と語った。
捕獲は簡単な罠を仕掛けることによって行われる。面白いように引っかかる猫達はなんだかマヌケ
で、映画館でも笑い声がしていた程。しかし回収し中を確認する作業は笑えない。中で子猫が産まれていることも少なくないのだ。
産まれたらどうするのか?「もう溜息ですよね」と獣医。罠の中で産まれた子猫達は深い溜息に迎えられ、保護施設で育てられる。一方では産まれる間際だった子猫が子宮ごと摘出され死んでゆく。その差は回収が行われる朝、出産が間に合うか間に合わないか。そこでは命にタイムリミットがある。

CCクロというボランティア団体*3では行政*4と協力し、譲渡支援を行っている。
代表を務める松田さん*5は先陣を切り手本を示すような人物で、自分から行政に働きかけて協力を取り付けたというんだからすごい人だ。「行政は言わなきゃ動かない。文句を言わなきゃダメ。どんどん文句を言って動かせばちゃんとやってくれる。今は大したもの。よくやってる。」*6そんなことを言う松田さんは行政に対して影響力を持っていて、保護動物が譲渡対象になるか処分されるか、松田さんの評価によって運命が分かれたりする。
それならば甘めに評価して処分が減るように努めているのかといえばさにあらず。むしろ逆だ。
感情に流されて甘い評価をすれば問題が起こる。一匹の譲渡犬が問題を起こせば譲渡犬全体の信用が損なわれる。今目の前にいる一匹を救おうと情けをかけることが、これから救われるはずだった何百、何千という犬の命を損なうことに繋がると松田さんは考えている。だから評価は極めて冷徹であり、譲渡が不適切と思われれば率直に伝えるのだ。それで殺されると分かっていても。
松田さんは殺処分を「止むを得ないこと」と捉えている。自身の愛護活動の中で安楽死を引き受けてくれる獣医を探したこともある。

やはり約30年以上前に 私は生涯感謝し続けるお一人の獣医師に助けられました
今では想像すらできないくらいに 当時は遺棄も放棄も多く ボランティアが歩けば動物に当るといった状況であり 道端の段ボール箱はかならず開けて確認したものです
予想どうりに殆ど動物が入れられていました 生体であり 死体となっていたり 今では実感できないことと思います 過剰な表現と思われるでしょうね
そして 動物の感染症(テンパー パルボ)にかかった動物たちは治療にも 安楽死処置にも協力を得られ難い状況でした
そのような時にそのお方は「どうしても死を強制しなければならない状況にある動物を少しでも安らかにしてやれるのであれば私の技術を提供します」と言い切ってくださり何所でも安楽死処置を敬遠され途方にくれていた時 当に地獄で仏のようでした

http://s-ma.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-9db2.html

時に命を奪うことが正しいこともある。その決断をすることは苦しいが、そこから目を背けることはより多くの苦痛や死となって現れてしまうだろう。
多くの動物愛護団体は空想を語っていると松田さんは言う。殺処分ゼロなど現実を見ていない、空想に過ぎないと。
このような取り組みにも疑問を呈している。

「よいこともされている半面 保管状況は映像で見る限りではネグレクトであり 全ての受け入れ拒否は行政機関としての責務を果たされていない」と申しました

http://s-ma.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/sma-793a.html

自分も「簡単に受け入れないと分かったら持ち込まずに捨てるだけではないか?」と疑念を感じたクチだが、松田さんは受け入れた動物の管理体制にも疑問を感じるようだ。とはいえ行政が変わろうとしていること自体は評価して良いようにも思う。まだこれから改善の余地があるということだろう。
ただ、殺処分「ゼロ」はやはり無理がある。それを実現するには譲渡不可能な問題を抱えた動物までも処分せずに死ぬまで面倒を見なければならない。余程数が減れば可能かもしれないが、現在の状況を考えて現実的な選択とはとても言えない。
救える命と救えない命の間に線を引くこと。災害や紛争の現場で医療を行う際の「トリアージ」みたいだが、それぐらい動物を取り巻く現状が過酷だということだろう。救うべき対象が多すぎる時は優先順位を付けるしかない。

「殺処分ゼロ」は「戦争の無い世の中」みたいなもので、理想としてはアリだが実現を前提として行動できる指標ではない。
子供がエベレストに登ると言っても「もっと大きくなったらね」と言われるようなもの。ずっと未来にもしかしたら有り得るかもしれない可能性でしかない「夢」だ。

だけど夢に近づいていくことはできる。ロンドンには野良猫が居ないという。路上で暮らす猫は保護され、里親が見つかれば引き取られていく。病気や怪我を抱えていても、理解のある人間が引き取るという。ただ、こういった取り組みをする為に多額の予算*7が認められているイギリスと比べるのは、まだあまりにも早すぎる。

犬のしつけ

「しろえもん」という犬が出てくる。監督が通い詰めた団体の保護している犬で、ものすごく元気な上に人を見るとはしゃいでしまう性格をしている。その様子は微笑ましいがそれだけで済まないぐらいに力も強い。
きちんとしつけることができないまま希望者に引き取られたが、結局手に負えず返されてしまった出戻り犬である。なんでも散歩中あまりに引っ張るので手首を傷めたとか。
この犬のしつけにトレーナーが招かれ、団体職員も指導を受けて改善していくことになる。
方法は古典的なもので、言うことを聞かない時は叱るというやり方だ。ただし単に叱りつけるというワケではなく、引っ張ると首を締め付けるという鎖でできた首輪を使う。孫悟空みたいだと思った。
見ていて痛々しい感じで、職員もあまりやりたくない様子なのだが、トレーナーは「痛みには鈍感な生き物なのでショックを与えるだけ」だと言う。
(山本央子と書いていましたが間違いの指摘がありました。山本氏は逆に褒めてしつけるトレーナーであり、全く逆の方と間違えるという大変失礼な扱いをしていました。申し訳ありません。)*8
実際に指導をしていくと確かに大人しく散歩をするようになったようだ。しかし首輪を外すと途端に言うことを聞かなくなる。相手によって態度が違うようでもある。
本当にこの方法で良いのだろうか?監督は疑問を持ったようだ。ある日、カメラを前に置いて自分の感じたままを職員と話す。カメラ越しに問い質すということはやらない。自分も画面に映る形で、現場に居る人間同士の意見交換という雰囲気だった。
職員の間でも疑問があったのだろうか。やがて別のトレーナー*9が招かれた。こちらは褒めるやり方。望む行動が得られたらフードを与えて褒める。違う行動を取ったら取り上げて「アレェ?」と言って分かり易く間違いであることを伝えてやる。この方法は犬も人間もストレスが無い。結局こちらに切り替えて上手くいったようだ。
この方法は「陽性強化」と呼ぶようだ。現在主流となっているもので、動物愛護センターでも陽性強化の方法が紹介され、講習会もある。

この「陽性強化」が主流であるとされる時代に尚 チェーンカラーによる首締め上げの「恐怖訓練」が「専門家」と名乗る人によりされている現実もまざまざと見せられました
それも動物愛護を名乗る施設においてです
問題行動の矯正により社会化の強化を図りたいと言う思いであったのでしょうが 犬に恐怖を与え 人への不信感を募らせ 自ら社会化を否定されているような行為です

http://s-ma.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-b4ca.html

犬は人間とちがいます。
「ぼくが悪いことをしたからおこられたんだ、次からしないようにしよう」とは考えられないのです。
それより、できるだけ失敗させないように気をつけてあげてください。
そしてじょうずにできたときに、うんとほめてあげること。
そのほうがずっと近道です。

http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/c_eisi/aigo/rensai/kouza4.html

しろえもんの態度から考えると、叱る方法は番犬を作るには向いている。主人に従う一方で他の人間には従わず、自分の仲間と認めない人間がテリトリーに入ってくれば警戒と敵意で迎える。そういう犬を育てるにはあの首輪が最適なのではないだろうか。(番犬にしても信頼関係が無ければ良い結果にならないとご意見を頂きました。確かに高いレベルの番犬にはならない様に思います。)
しかし現代のペットとして暮らす犬に求められるのは、そういった限られた人間への隷属ではなく、見知らぬ人間が大勢居る場所で迷惑をかけず落ち着いていられる、人間全般を信頼した犬である。
ちょっと名前で検索してみると、山本さんが講師を務めるセミナーの参加者がブログに感想を書いている。その内容を見ると、しろえもんに対して行ったような厳しい体罰型のしつけは薦めていないし、リードを緩めて犬を引っ張らないようにする「Jリード」を推奨していたりする。ただ、持論としてその犬に資質が無ければ高度な社会化を行いセラピー犬などにすることはできないと考えているようだ。勿論そういった仕事をさせるには向き不向きがあるだろうけれど、従順な態度を取る犬を作り出すことが基本に置かれているかのように感じないでもない。
しかしこの辺りは簡単に判断してはいけないのかも知れない。仕事を持つ犬のストレスというのは犬自身にとって許容できるものなのだろうか。盲導犬など高度な仕事になるとよりストレスは大きいはずだ。彼らは犠牲になっているのか、良いパートナーなのか。人間が自分を必要とすることに犬は喜びを感じるのだろうか。
ともあれ、普通の家庭でペットとして暮らすなら陽性強化で良いと思う。
(訂正エントリも作りましたが、山本氏も陽性強化のトレーナーです。信頼関係を重視する方なので、単に従順な犬を求めているのではなく、人間を信用した犬が喜んで従うことを求めているのでしょう。旧式の体罰を行うトレーナーが誰なのかは分かりませんが、批判が集中することを避ける配慮でしょうから「誰であるのか」を問題にすべきではないと考えます。)

半世紀見てきた「業」

日本動物愛護協会附属病院で1977年まで勤めた前川さんという獣医師が出てくる。彼は「人間の業」と口にし、戦時に行われた犬の「献納運動」について語ってくれた。
皮は飛行服、肉は食用にとうたわれ、お国の為に犬を納めなさい、応じないのは非国民とやったようだ。しかし前川さん曰く「どれだけ活用されたか疑わしい、体の良い狂犬病対策。」だという。
これを聞いて押井守の立喰師や鉄人に出てくる戦後の野犬狩りを連想した。あれはオリンピックに向けて欧米の人々を迎えるべく路地裏まで清潔にしようという話で、当然狂犬病対策も含まれる。
前川さんは移り行く時代の中、動物愛護協会の同じ敷地で、捕獲された犬の処分と治療を両方経験したのだろうか。人間に余裕が無ければ動物は守られない。社会が狂えば動物も悲惨な目にあう。
人間が作る社会で生きている以上、動物と人間の関係はどうあっても人間が主で動物が従だ。動物の問題と言ってもその主体は人間である。
この映画は動物の映画だけど、それ以上に人間の映画になっている。「犬と猫と人間と」というタイトルに偽りは無い。犬と猫のことを考えたら、人間のことも考えていた。片方だけでは終われなかった。そんな映画だった。

「好き」と「大切」は違う

こちらは飯田監督と「富士丸探検隊」の穴澤さんの対談記事。富士丸というのは保護されていたのを穴澤さんが引き取って飼っていた犬で、対談直前にこの世を去ったそうだ。買う以外の選択肢もあると主張する穴澤さんにとって、ペット産業の問題も扱ったこの映画は共感できる内容になっている。

穴澤 映画の中では、飼いきれなくなったからと犬や猫を施設に持ち込む人たちにも話を聞いていますよね。

穴澤 基本的にそうした人々が口にするのが「しょうがないのよ」という理由じゃないですか。でも、「しょうがない」と言ってしまえば、なんだって「しょうがない」のひと言で片付けられてしまうと思うんです、僕は。

穴澤 だって、どんな理由があるにせよ「手放す」「捨てる」という結論にいたるということは、そう いう選択肢を元々持っているからでしょ? いや、わかるんですよ、家庭の事情や、経済的な理由があることは。だけど、選択肢として持っているから、そうい う結論にいたるわけで、「何が何でもなんとかする」と思っていれば、その結論には至らないわけじゃないですか。もちろん、これが、きれい事だということは わかるんですよ。だけど、人間なら誰しも、自分が選択肢として持っていないことはしないと思うんです。

映画には離婚して生活保護を受けることになった女性が登場していた。飼い犬の処分は忍びなく愛護団体に持ち込んだのだ。どのような事情があるのかはわからない。ただ、無理できる年齢ではなさそうだったし、何らかの形で人を頼るしかないのだろう。なりふり構わなければ、誰かに迷惑をかける解決策というのもあるかもしれない。そうすべき、とは言えないのだけど。

飯田 もしかしたら、単純に「動物が好きだ」という人は、「捨てる」ことがあるかもしれない、と僕は今、どこかで思ってますね。
穴澤 あぁ、「好き」と「大切」は違うということですか?
飯田 人間関係でもそうですが、「寂しさを埋めてくれる」「何かをしてくれる」など、相手から 自分が何かを得られるかどうかが、その相手との関係性で重要なことになってしまう、ということは誰しもにある部分ですよね。でも一方的に求めているばかり では、関係は成り立たないわけです。それが犬や猫に関していえば、自分の力だけでは生きていけないのだから、飼うのならば、本来は「守ってやる」「大切に する」と思えるかどうかが大事ですよね、たぶん。そう思わない人は、「好きだけど」捨ててしまえる。

最初は誰でも好きなだけなんだから、それ以上になる過程があったかどうか、なのかな。

飯田 僕も、穴澤さんがおっしゃった部分には正直ジレンマを感じます。ただ、現状をもう少しマシにし ていきたいと思うときには、まずその現実を知ってもらわなければ、どこから変えていいかもわからないと思うんです。たしかに、動物を捨てるような人はこの 映画をわざわざ映画館まで足を運んで観ないと思います。でも、この映画を観てくれた人が何かを考える。そこから少しでも、何かが変わるきっかけができるの ではないかと…だから映画にする必要はあると、僕は考えてはいます。

多くの人が知ったら、多少は変わる、と信じたい。だから沢山の人が観て欲しいと思う。

飯田 今ね、この映画の宣伝活動をするなかで、動物好きな人ほど「私は可哀相すぎて観られない」とかいわれちゃうんですね。
穴澤 でも、僕の感想ですけど、観た後に落ち込むような映画ではないと思いますよ、内容の割にはね。怖がって観る勇気がないという人には、怖がる必要はないといいたい。出来れば観て欲しい。

このページの最後にある画像で犬を抱いてたたずむ子供達は、捨てられていた子犬の里親を探す為にお年玉を使って面倒を見ている。自分達のお金を使って始めたという、その意思を受けて周囲の大人も動かされ、協力して里親を見つけることができた。
惨状を目の当たりにしても、だから何とかしてやりたいという人達が居るから希望を持てる、そんな映画の内容を象徴するような画像だと思う。

感想

こういった問題に関心があって映画館に足を運んだ動物好きの人達の意見・感想を集めてみる。

きっと、涙が止まらないに違いないと、私は厚手のタオル。詩音ちゃんママはティッシュを箱ごと持参したけど、思ったより大泣きはしませんでした。愛護センターの処分の画ももちろんありました。辛いシーンも隠さず描いています。でも、監督が極端な動物愛護の人じゃないことが、かえって冷静な映像を映し出せたのではないかと思います。私たち犬猫大好き人間はとかく「かわいそうな部分」を強調してわかってもらいたい、こんなにひどい、こんなに残酷と訴えたくなってしまうのですが、彼はスタートがニュートラルな分、偏らず冷静でそして学ぶ姿勢で「犬猫大好きじゃない人と同じ目線」で書けているように思えました。もちろん、何年にもわたる取材の間に、彼は犬や猫に心を寄せるようになるのですが。

まず無心に観て、それから考えて欲しい。そういう映画ですね。

私がもし監督なら、
怒りと悲しみばかりが先走り、
過激な作品になって、
こんなふうには撮れないだろうと感じました。


飯田基晴監督は、
きっと一人でも多くの人に
観てもらうことに意義があると、

4年もの間、
悲惨な現実と向き合い、
ご自身の中から溢れる
あらゆる思いや憤りを
冷静に受け止めながら、
使命と感じて撮影されたのではないか、
と私は推測します。

4年間もかかって撮影した膨大な量の映像を編集することになって、やろうと思えばいくらでも過激に、動物愛護の側から社会を攻撃する内容にできた。でも飯田監督は問題を指摘こそすれ、攻撃はしない。現場に溶け込んで取材していても、それを映画として仕上げる段階で動物愛護の側には立たず、部外者である自分は非難される社会の側といったところだろうか。

多分、この映画を観に来てるお客さんは、この映画を観る必要のない人たちだ。

わざわざこんなつらい映画を観るために休日の午前中を費やすんだからね。

ヒリヒリヒリヒリと心がつねられるような痛みを感じる。

「もらい泣き」というよりは、人間であることを懺悔するような、いやーないやーな涙が湧き出てくるのだ。

確かにちょっと、いやかなり痛い映画かも。

日本はペット大国ではあるが、ペット天国ではない、と映画は言う。食料にされるわけでもない動物が、人間の都合で大量に買われ/飼われ、捨てられ、殺される社会はまともだろうか----。

 僕はある時期、愛犬雑誌のライターをやっていたことがあり、いわゆる愛犬家や獣医師を取材した経験が何度もある。動物実験の現場は何十カ所も訪れた。いわゆる屠畜場で、ウシやブタが解体される一部始終を見たこともある。捨てられたペットの殺処分は、ある人が撮った映像でなら見たことがある。去勢手術はこの映画で初めて見た。まだ小さな猫が麻酔注射で「安楽死」される様子も。

 この映画の主人公はもちろん捨てられたイヌやネコなのだが、捨てられた人間たちの姿も、わずかだがスクリーンに登場するということは、僕だけでも書き留めておこう。

監督の前作はホームレスの映画というワケで。
多摩川でホームレスが世話をしている猫が居て、台風で一緒に流されてしまった。人も猫も行方不明。人の方が大きな被害だったようだけど。
猫の写真を撮り世話をする小西夫妻*10によれば、野良猫のほとんどは1年ぐらいで死んでしまう。ホームレスの小屋は外よりずっと暖かかったんだろう。

あとは、個人的には、徳島の女の子たちが
拾った仔犬たちを育てているところで
「もらってほしくて」って言ってたのに、
実際に犬がもらわれていくときに
すごく泣くんですよね。
あそこでウルッときて(笑)。

大事だから預けるんだけど、大事だから悲しくなっちゃうんだよね。

ぼくがこの映画を観て思ったのは、
「オレはいつ大人になったんだ?」
ってことなんですよ。

子どもであることも
素敵なことがいっぱいあるし、
大人になんかならないほうが
いいこといっぱいあるんだけど、
自分より弱いものとの関係では、
大人にならないということは
いけないことだと思ったんだよ。

「自分より弱いものとの関係では、大人にならないということはいけないこと」
感情だけでは責任取れませんからね。何ができて、できないのか。白黒つけないといけなくなります。

犬や猫のことを考えるのは、
きっと、人間を考えることより、
少しだけシンプルなんだ。
でも、ほんとうは、この映画は
「オレは人間を考えてるんだよ」
ってことなのかもしれない。
この入口から入っていくと、
いろいろわかるんじゃないかな?

昔はやっぱり、
犬猫のことを考える前に、
人間が生きるほうが大変だったといわれてるから、
より弱いものが粗末にされていたよね。
自分が幸せじゃないほうがいいのか、
といったら、そんなことはない。
この映画は、
答えが出ないタイプのことを含んでるんだけど、
答えが出ることも含んでます、という気がします。
まずは、捨てないことだよね。

ペット産業の問題とか、結局人間の社会がこうなってますという映画だから、改善の余地はあるはずなんです。

家族として犬を飼うという発想は、
昔はなかったような気がします。
犬はもともと、
猟犬や番犬としていたんだよ。

仕事をする犬。牧羊犬とかどういう扱いだったんだろう?

うん。だから、
間違ってるとか、正しいとかいうことよりも、
社会にある考え方の一部を
人は心の中に持つものなんだね。

今は動物を家族として扱う考え方が多くなってきたから、こういう問題が表面化してきたんですね。
処分自体は昔から、それこそ国が呼びかけてやってたのであって、それで問題にならなかった時代もあった。

監督は訴えてないもんね。
ただ、「あ、そうか」って言ってる。
映画としてほんとうによかったと思うのは、
「なぜ作ったか」ということが
映画の中に入っていたことです。

もしも映画が
「私はそのことを知りたいと思った」
という監督の独白ではじまっちゃったら、
いい心とかいい映画を作るために
映画を撮った、みたいなことになります。
でも、この映画は見事に、
受け身からはじまってるんです。
最初さ、観るの、
ちょっと気が重くなかった?

映画を作った人も頼まれたんだなぁ、
と思ったら、
ものすごく楽になったよね。

「観た人が生き物を大事に思って欲しい」という以外、何も方向付けがされていなかった。だから多面的になったんだろうな。

最初に夢と希望ありきではじまってたら、
それに合わない現実に対して
もっと怒る映画になっていただろうと思います。
だけど、この映画は、
「どうしたものかね」という感じで
はじまったから、ありがたかったです。
それに、徹底的に優しいです。

‥‥なんだろう?
この映画に出てきた人たちに
共通する部分がある気がします。
つまり、みんな、
考え方を言ってるんじゃなくて、
実際にやってるんだ、ということなのかな?

途方に暮れてとにかく取材してみたら、頑張ってる人達が一杯いたんですね。その人達のことを知ろうとして寄り添うような目線だから良い。

監督は、撮影していて
気になったところがあっても
なんだか、闘わないんだよね。
そのへんの感じがおもしろかった。

一緒に考えましょうっていう感じなのが飯田さんらしさ。現場に溶け込んじゃってる。

これから死ぬんだよ、
という犬もたくさん登場したけど、
それが、ほかの犬と
おんなじかわいさなのな。

怖がって震えたりしてなくて、
なんだか無心の目をしていて、
かわいかったんだ。
監督さんって、たしか
ホームレスさんの
映画を撮ってたんだよね。

それを観て、あのおばあさんが
映画制作を頼んだのかもしれないね。
犬や猫を見る視線が
人間を見る視線と同じで、
「どうすることもできないかもしれないけど、
 何かできるかもしれないじゃない?」
という感じが表現されていると思います。
だから、ぼくらも、
これを観たから立ち上がろう!
ということではないんだけど、
まず、自分の周りにいるものは、
ということは考えますよね。

よく「考えさせられる映画」って表現があるけど、まさにそれ。結論ありきで訴えるんじゃなくて、どうしたら良いかということは観た人に投げちゃう。そういう映画です。

*1:炭酸ガス処分を行う容器をこう呼ぶようだ。

*2:財団法人神奈川県動物愛護協会

*3:「神戸市犬譲渡会支援グループCCクロ」改め「神戸市動物管理センター譲渡事業支援ボランティアグループ社団法人日本動物福祉協会CCクロ」CCはCity Centerの略でクロはしつけ指導モデル犬第1号となった犬の名前。殺処分から救命譲渡への方針転換を記念してこの名を冠している。

*4:神戸市動物管理センター

*5:松田早苗氏。取材当事は代表だったが現在は引退しアドバイザーとしてスタッフの相談を受ける立場。他の活動もしているようだ。

*6:かなりうろ覚えで細部は違うと思うがこんなようなことを言っていた。

*7:よく覚えてないが9兆円とか言ってた気がする。

*8:山本央子。家庭犬インストラクターとして、しつけ教室、問題行動のカウンセリングに従事。 優良家庭犬普及協会常任理事、非常勤講師。My Super Dog主宰。著書「ヘンリー、 人を癒す」http://www.japdt.com/conference/3rd/profiles/profile_yamamoto.html

*9:藤本聖香氏。獣医師、英国APDT認定ペット・ドッグ・トレーナー。2004年に渡英、クリッカーレーニング、問題行動のカウンセリング&トレーニング方法などを学び当地にてAPDT UK(Assocation of Pet Dog Trainers UK)のトレーナー資格を取得、帰国後Canine Relationz DogSchoolを設立する。http://www.canine-rez.com/

*10:西修・美智子夫妻