勉強ができると異物になる

勉強ができる子供はいじめられるという、個人的な体験に基づく話。

人は自分が理解できないことを理解できる人間に対して、自分とは違うと思ってしまう。
実際のところ「違い」はあるのだろうが、それは長く培ってきた(例え子供でも数年間「図鑑を見て育った」といった差が有ればかなり「違う」)ものの見方や考え方の差だと思う。
勉強ができる子供というのは他の子供にとって違う世界の人間じゃないだろうか。
「勉強できない子」が頑張っているつもりで首をひねって考えても分からないことが「勉強できる子」には分かってしまう。そこでもし、自分も理解できるように努力しようと思えば、できない子ができる子になるのかもしれない。しかし別に好きでもないことの為に努力なんかしたくない。
しかも「勉強ができるようになる方法」なんてその子はきっと思いつかない。体力なら分かりやすい話で鍛えまくれば足が速くなったり腕相撲が強くなったりするし、スポーツだってまずは練習量をこなすのが先決だ。
ところが勉強となると単純に量をこなしてどうこうなるものでもない。勿論慣れるということも大事だが、だからといってひたすら算数のドリルをやれば良いっていうようなものだろうか?
単純な計算に強くなったり歴史の年号や理科の元素記号が暗記できたりすると成績は上がるにしても、そこまでだ。そこから先は「理解」が必要になる。それ以上「単純な努力」をしても頭打ちで、勉強ができる子には近づけない。
じゃあどうすればできるようになるの?
そんなこと考えると、勉強でも悩んだのにまた悩むから、いっそ考えないで「勉強できるのは頭のつくりが違う」とでもしておけば楽で良い。あるいは「あの子は勉強できる家の子だから」でもOK。
大人でもこういうのはある。制度や法律が難解で「既得権益を守る為にわざと複雑にしている」と言うじいさんを僕は知っている。このじいさんは911陰謀論を信じているのだが。
陰謀論や偽科学が流行ることと根は同じじゃないだろうか。理解できないことを理解するために新しい思考法から身に着けるより、陰謀だとか頭のつくりが違うとか理由をつけて思考停止した方が楽なはずだ。
ちなみに僕は学歴なんぞとは無縁だけど、小さな自分に図鑑を見るのが好きだった。
特に金属の塊みたいな機械や雷の写真が載ってるようなヤツや、天体写真なんか眺めてたような。あとライフ誌の「物質の話」に載ってた元素標本。水銀とか綺麗だった。
そういう子が学校に行くとテストの点は良い。教えてないこと知ってるから。
もしかすると「教えてないことを先に知ってる」のは、テストの点とかで勝つ為に先回りしていると思われちゃうかも知れないな。そして「競技」だったら勝負するのは当たり前だけど、勉強は勝負じゃない。勝負じゃないのにあいつは勝とうとしている、なんて思われたら厄介だ。「競技でもないところで勝てる勝負を挑もうとしている」なんていわれのないことを想像されたら困る。
まぁ僕の場合はいじめられるとかせず「物知り」って言われてたけど。知識自慢って子供にもあるよね。図鑑とか好きな子はそういうやり方もあるな。トリビア的なものも仕入れておいて、あいつは学校の勉強じゃなくても色々知ってるヤツだって印象付けちゃえば良いかも。