青い花

キャシャーンSins主題歌「青い花」がいい歌だなあとは思ってたんですよ。
まぁとりあえず見てください。こんな感じです。

・・・凄くね?
まずなんといってもヴォーカルが良い。確かな歌唱力に裏打ちされた表現で、見事にキャシャーンSinsの世界を表現している。
アニメ自体もそびえ立つ岩肌の存在感といった感じで、有無を言わせない凄みがある。
逃れ得ない「滅び」を前にしたロボット達の執着すべき自身の「生」とはいったいなんなのかという、死を身近に感じない我々こそが問い直すべきことかもしれないメメント・モリ*1の世界はスカイ・クロラにも通じるものが感じられる。
滅び・・・死を前にしたロボットの多くは恐れおののき、根拠の無い噂話にすらすがり生き延びようとする中で、様々な「違う」「生」が描かれる。
ある者は死を恐れず受け入れると誓って恋人と寄り添っていた。だが希望を前にした時その滅びへ向かう意思は容易く揺れ動く。
ある者は生死の狭間に身を置くことで生を感じた。しかしそれ以外の生き方を知らないことに気づいたのかも知れなかった。
ある者は死を受け入れながらも、その限られた時間に成すべき事柄を追い求めた。死ぬだけだとしても、そこに価値を、死を待つだけの世界にあってもなお求めたものは「美」であった。世界に美しいものがある、滅びの世界すら肯定してみせんとする戦いを挑んでいた。
だが「美」などというものを誰もが理解するものか。いや、普遍性のある美を求めていたのだ。しかしそれはかなわなかった。それでも美を求めることそれ自体が、ある者にとってはこの上なく美しいことであった。
求めること。そう、それこそは生きる者の美にして醜。何かを欲することそれ自体は善でも悪でも無い。ただ、手段が害を成すものならば、その害を被るものが黙っていないというだけのことだ。
この世界に普遍的な善悪は無い。個人的な望の交差するただそれだけの世界。それがキャシャーンSins。わかりやすくはない、ということをとてもわかりやすく描いている。いったい誰が正しいことを知っているというのか。
だからこそ、青い花なのである。
何もわからない。わからなくて怖い。だからこの手をただ強く握り返して欲しい。それだけなのだ。たったそれだけだからこそ胸を打つ。

青い花 カラーボトル - 歌詞タイム
それにしてもまったく素晴らしい歌唱力である。
何気ない歌を歌うには実力が伴わないといけない。それをやれちゃうんだからたまらない。

グッバイ・ボーイよりこっちの方が好きだな。なんでもないんだもの。そこにやられる。
僕らはただ生きてるだけで、そこに難しいことは何も無い、ただそれだけを語るのがどれ程難しいことなのか。シンプルにはなれない。だからこそ憧れる。

*1:「死すべき存在であることを忘れるな」とかいった意味らしい。勝利し凱旋したローマの将軍が奴隷に耳元で囁かせたとか。神ならぬその身はいつか必ず滅びる。それを忘れてはならない。