タモネ申

なんか物凄い勢いで袋叩きだったのが懐かしいですが。
「懲戒免職してもー?」「いいともー!」
とか想像してしまいますね。ええ、とってもガイシュツです。タモ神様は左右で一組の金剛力士像みたいなシロモノなのです。
まぁとにかく、この人に対して「何らかの処分をすること」に反対する人は相当少ないと思います。自分も「まぁ処分はされるだろ」程度に思って色々な人の意見を眺めていたわけですが、処分される理由ってのはこんなところでしょう。


世間から、

  • こういう立場でアホな発言されると他の国から突っ込まれそうで怖い
  • 軍人が国に逆らったように見えて怖い
  • 前述のような目で見られて自衛隊が非難されることが怖い、又は鬱陶しい。


「いらんことするな」みたいな。多分その程度。

まぁ自分も、弁護士の発言見てそっちに引っ張られそうになった感とかあるものの、一緒に「懲戒免職にしろ!」とか言わなくて良かった。え?もう片足突っ込んでる?・・・じゃあ引き返したいんですけど。
とりあえずこれ。

たとえば、「日の丸は国旗で君が代は国歌だ」という政府見解があったとして、「それを認めない」という論文を公立校の教師が発表しても私は別にいいと思います。ただ、それで「卒業式で日の丸掲揚を拒んだり、生徒に君が代を歌わせない」となると、これは懲戒しないといけませんね。

タモガミさんは、まあ細かい問題はいろいろあるみたいですけど、基本的にちょっとトンデモがかった論文書いただけなのに、懲戒免職だの退職金没収だのとか言ってる人はいったいどういう根拠で言ってるのか教えてもらいたいところです。

本当はもっと早く反応したかったんですが、随分時間経っちゃったなぁ。
要するに思想とか言論の自由はどこまで許されるかって話で、いっくらなんでも論文書いたら懲戒免職ってことないだろうという話で、当のタモさんもそこを突いていたわけですが。
ここら辺はこちらがとても参考になります。

まあその、田母神俊雄・前空幕長の懸賞論文問題については、当該「論文」自体についても懸賞論文に応募したという振る舞いについても「あほやな」の一言で終わりだと思うわけである。その後の処理として空幕長を解任されたということも、定年退職という扱いになったことについても、後述する通り理解できるというか、やむを得ないのではないかと思うところがある。だがしかし退職金について「自主返納という本人の判断を待ちたい」と防衛相が発言する(Nikkei Net)というのはいかんでしょう。というのは行為とダメージの均衡という話ではなく、適正手続due processの問題。

まあそもそもあほおであるというのは分限処分の問題であって懲戒処分の対象ではないのであるが、仮に懲戒するとしてどのような理由でどのような処分が科せるかということが問題になるだろう。

(略)

あるいは、今回問題となった田母神氏が空幕長というまさに組織の模範を示すべき立場であったことを考えれば責任は重く、処罰もそれだけ重くなるべきだという考え方も適当であろう。しかしそれでもなお、まあこれで懲戒免職に持ち込むのは無理やなというのが、相場というものではあるまいか。

なお空幕長の職を解くことについては人事異動の問題であって、「懲戒処分としての降任」(「階級又は職務の級の一級又は二級だけ下位の階級又は職務の級にくだすものとする」自衛隊法47条1項)に当たらない。幕僚長は階級ではなく官職であり(階級としては空将のまま)、「職務の級」は「事務官等」に対してのみ適用される概念だからである。従ってこれについては、権限の乱用に当たるような場合であればともかく、職務の性質を考えれば政治上の問題について内閣と意見を異にするとか、防衛大臣との信頼関係が築けないまたは失われたという程度の理由で十分であろう。それは単なる「配置換」の問題であって不利益処分ではなく、今回はたまたま幕僚長以外の官職に配置換されると定年に達してしまう状況だったというだけのことになる。この項続く。

なあるほど、「階級」としては「空将」から落ちてないんですねぇ。
例えるとしたらプロジェクト外されたけど降格されなかったって感じなんだろか?懸賞論文の件で取引先が怒っちゃってさぁ、みたいな。別に悪事を働いたわけじゃないもんなぁ。
で、さらに。

さて問題はようやく冒頭の浜田防衛大臣発言になるのだが、上述の通り不利益処分を科す場合には当事者に対して十分な適正手続を保障することが実定法上も行政法の基本原則からも求められるところ、当該発言はそのような手続の保障抜きに実質的に懲戒免職に類似した不利益を当事者に課そうとするものであって、看過できないということになる。適正手続を保障したプロセスが対象者の側の事情によって行えなくなった(たとえば、不正をした職員がその発覚前に辞表を提出し、承認されてしまった)ような事例であればともかく、今回は懲戒処分に至るプロセスを取ることは可能であったし、当事者としてもそれを希望していたわけである。にもかかわらずそれを断念して当然の定年退職という事態に至ったのは防衛省側の事情であり(それがreasonableな選択だったということも上述したのだが)、それによって生じた問題の責任を当事者の側に一方的に押しつけることは間違っている。

私としては、政治的中立性の問題に対する意識を欠落させた幕僚長がいるというのも困った状況だと思うが、due processへの理解を欠いた防衛大臣がいるというのはさらに恐ろしい事態ではないかと思うわけである。

あらら、矛先が変わっちゃいましたね。
この辺り某弁護士先生は、ひき逃げ犯については法に照らしてどの程度の求刑が妥当か値踏みしていたにも関わらず、ことが自衛隊となるとすぐさま懲戒免職・退職金無しって言い出して自衛隊法の参照なんかした形跡が無いという辺り日本の軍事アレルギーってのは酷いもんです。
毎日新聞相手の電凸ではこんな感じ。

俺:…次行きます。コレが最後ですので、キチンと回答して下さい。
最後の方の文章に、
『最大の問題は、ゆがんだ歴史認識を持ち、政府見解を否定する人物がなぜ、空自のトップに上り詰めることができたのか、ということである』
と書かれてます。つまり毎日新聞社は、

『思想に問題がある人間が、自衛隊の要職になれたのは大問題だ』

という見解だって事で良いですか?

読:はい、そうですね。

「そうですね」って思想が問題なんですか?w
さて自衛隊法。
軍事板FAQに掲載された過去ログで該当部分が出てました。

288 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/03(月) 00:06:00 ID:???
>>282
公の場に個人の意見・信条を述べる場合に届け出するのは自衛隊のルール
それは言論統制とは言わない
田母神空幕長は、自衛隊内部の講演などで以前から似たようなことを語ってきたが、
今までは問題になっていない
つまり、外に出さない内部的なものなら、特に発言内容や思想・信条に規制はなかったってことだ
ましてや、政府見解と違うことを言ったのなら、批判されてもしょうがない
自民党だって、党の方針である郵政に反対したら党を追放されたろ? 

987 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/11/04(火) 01:00:51 ID:???

はいはい、自衛隊法執行令にそのものズバリがあったので貼っておきますね。

>十三  政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、
>回覧に供し、掲示し、若しくは配布し、又は多数の人に対して朗読し、若しくは聴取させ、
>あるいはこれらの用に供するために著作し、又は編集すること。

これですね。

    第四節 政治的目的及び政治的行為
(政治的目的の定義)
第八十六条  法第六十一条第一項 に規定する政令で定める政治的目的は、次の各号に掲げるものとする。
一  衆議院議員参議院議員地方公共団体の長、地方公共団体の議会の議員、農業委員会の委員又は海区漁業調整委員会の委員の選挙において、特定の候補者を支持し、又はこれに反対すること。
二  最高裁判所の裁判官の任命に関する国民審査において、特定の裁判官を支持し、又はこれに反対すること。
三  特定の政党その他の政治的団体を支持し、又はこれに反対すること。
四  特定の内閣を支持し、又はこれに反対すること。
五  政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること。
六  国又は地方公共団体の機関において決定した政策(法令に規定されたものを含む。)の実施を妨害すること。
七  地方自治法 に基く地方公共団体の条例の制定若しくは改廃又は事務監査の請求に関する署名を成立させ、又は成立させないこと。
八  地方自治法 に基く地方公共団体の議会の解散又は法律に基く公務員の解職の請求に関する署名を成立させ、若しくは成立させず、又はこれらの請求に基く解散若しくは解職に賛成し、若しくは反対すること。

(政治的行為の定義)
第八十七条  法第六十一条第一項 に規定する政令で定める政治的行為は、次の各号に掲げるものとする。
一  政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること。
二  政治的目的のために寄附金その他の利益を提供し、又は提供せず、その他政治的目的を持つなんらかの行為をし、又はしないことに対する代償又は報酬として、任用、職務、給与その他隊員の地位に関してなんらかの利益を得若しくは得ようと企て、又は得させようとし、あるいは不利益を与え、与えようと企て、又は与えようとおびやかすこと。
三  政治的目的をもつて、賦課金、寄附金、会費若しくはその他の金品を求め、若しくは受領し、又はなんらの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与すること。
四  政治的目的をもつて、前号に定める金品を国家公務員に与え、又は支払うこと。
五  政党その他の政治的団体の結成を企画し、結成に参与し、又はこれらの行為を援助すること。
六  特定の政党その他の政治的団体の構成員となるように又はならないように勧誘運動をすること。
七  政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物を発行し、編集し、若しくは配布し、又はこれらの行為を援助すること。
八  政治的目的をもつて、前条第一号に掲げる選挙、同条第二号に掲げる国民審査の投票又は同条第八号に掲げる解散若しくは解職の投票において、投票するように又はしないように勧誘運動をすること。
九  政治的目的のために署名運動を企画し、主宰し、若しくは指導し、又はこれらの行為に積極的に参与すること。
十  政治的目的をもつて、多数の人の行進その他の示威運動を企画し、組織し、若しくは指導し、又はこれらの行為を援助すること。
十一  集会その他多数の人に接し得る場所で又は拡声器、ラジオその他の手段を利用して、公に政治的目的を有する意見を述べること。
十二  政治的目的を有する文書又は図画を国の庁舎、施設等に掲示し、又は掲示させ、その他政治的目的のために国の庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。
十三  政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図画、音盤又は形象を発行し、回覧に供し、掲示し、若しくは配布し、又は多数の人に対して朗読し、若しくは聴取させ、あるいはこれらの用に供するために著作し、又は編集すること。
十四  政治的目的を有する演劇を演出し、若しくは主宰し、又はこれらの行為を援助すること。
十五  政治的目的をもつて、政治上の主義主張又は政党その他政治的団体の表示に用いられる旗、腕章、記章、えり章、服飾その他これに類するものを製作し、又は配布すること。
十六  政治的目的をもつて、勤務時間中において、前号に掲げるものを着用し、又は表示すること。
十七  なんらの名義又は形式をもつてするを問わず、前各号の禁止又は制限を免かれる行為をすること。
2  前項各号に掲げる行為(第三号の場合においては、前項第十六号に掲げるものを除く。)は、次の各号に掲げる場合においても、法第六十一条第一項 に規定する政治的行為となるものとする。
一  公然又は内密に隊員以外の者と共同して行う場合
二  自ら選んだ又は自己の管理に属する代理人、使用人その他の者を通じて間接に行う場合
三  勤務時間外において行う場合

興味のある人はこっちと合わせて読んでみるといいかも。

しかしこれって大分古い話になったのにまだくすぶってるんですよねぇ。てことでいろいろ見ていきます。

 一部では、「政府見解を遵守しないコトと、業務に従わなかったコトとは別だから問題ない」というロジックで田母神発言を擁護しようとしている言説が見受けられますので、それは違うコトを今日は説明しておきたいと思います。
 中には、国歌斉唱の時に起立をしなかったり歌わなかったりする教師は、業務命令に従わなかったから問題なのであって、田母神氏の問題とは別問題だと擁護している人がけっこういたりするのですが、これは政府見解を遵守するというコトを業務だと思っていないコトから発生した勘違いと言えます。

 例えば、一般人や、外国人からでもいいでしょう、公務員が仕事中に電話か何かで「日本政府は先の戦争についてどう考えているのか」と聞かれた場合、どう答えるのが公務員としてのあり方でしょうか。
 それはもちろん日本政府の公式的な見解を述べるのが当然の行為です。
 もしいきなりここで、「日本の過去の戦争は正義の戦争だった」とその公務員の一個人の考え方を述べ始めるというのは、甚だ不適当です。
 いくらその公務員個人がそのような考えを持っていたとしても、公務員として働いている間は、政府の見解を述べるのが当然です。

まぁ懸賞論文ということなんで、職務中に電話って例えは違うように思いますけども。問題は航空幕僚長という立場ですが、これについては、はなはだ疑わしいとはいえ一応「肩書きは伏して選考した」ことになっていますからねぇ。
それに処分について問題とすべきなのは内容ではなく立場・肩書きなんですね。
あくまでも「幕僚長が」歴史認識に関わり政府決定と異なるという意味において「政治性の有る」論文を発表したという点によって、その内容の真偽・価値とは一切関係無く処分しなければならないと。

 これには論文の内容は全く関係ありません。
 ですから、元幕僚長の論文が、論文として素晴らしいモノであってもそうでなくても、納得できるモノであってもそうでなくても、更迭そのものには全く影響を与えません。
 むしろ、今回の件について内容について触れるコトは、問題の本質を歪めてしまいかねず、あまりいい批判の方法ではないと考えます。
 もちろん中身について批判したいというのであれば、それは当然中身について触れるのが本筋ですが、しかしその場合は幕僚長の更迭という事案については一切関係なく触れてはなりません。
 もし「幕僚長の論文は陰謀史観ばかりでバカバカしい内容だ。この程度の認識しか持っていない人が幕僚長を務めているのは不適当で、更迭は当然だ」という批判をしてしまえば、案外この手の言い方は多いのですが、こういう言い方だと、では陰謀史観ではなくキッチリと科学的検証が出来ており、内容も納得いく内容の論文であれば、幕僚長の職を考察される謂われはないとなってしまいますし、これはつまり、内容さえ正しければ役人が政治家を超えても構わないという論理になってしまいます。
 そしてそれは、言うまでもなく民主主義の精神から逸脱する考え方でしかありません。

さて、大事なことには触れましたし後は袋叩きタイムですw

内輪での会合や非公式の場なら、いくらでも自らの思想を語り、議論でも何でもすれば良いと思います。本来、シビリアンコントロールは、自衛官一人一人の思想信条を規制するものではないですから。今回の問題は、幕僚という立場にある人物が、公の場で現在の政府見解と違う発言をした所にあるわけで、田母神前空幕長の北朝鮮云々という発言は問題のすり替えに過ぎませんね。

もっとも、彼は確信犯なのかも知れませんが、国家最大の暴力装置である軍隊の上層部に居る人物が、シビリアンコントロールを軽視した言動を行うのは問題であり、何らかの処分が必要になるのは当然のことだと思います。

エライ人は大変なんだおw
あさおとかいう麻雀が強そうなおっさんも漢字間違えただけで報道されまくりなんだおw
そらそーと湾岸戦争で似たようなことがあったそうです。

一番の致命的は発言はTIME誌にも書かれてあるとおり、イスラエルからの助言を受けているとほのめかす事でした。当時、イスラエル軍将官が親交のある米軍将校に勝手な助言を行っていた事は事実でしょう。ですが聞き流せば問題とならないのに、空軍参謀総長が肯定的にイスラエル側の意見を紹介していたら、それが作戦に採用されると見られて当然です。政治的にあまりにも不用意な発言でした。イスラエル自身にとっても、この戦争でイラクからスカッドミサイルによる攻撃を受けた事を考えれば、開戦前にイスラエルか関与しているような言質はなるべく取られない方が懸命です。フセイン個人や家族を空爆で暗殺しろと発言した事も問題ですし、空爆のみで戦争に勝利できると豪語する事も問題でした。そもそも権限も無いのに自分が政府からの足枷無く爆撃目標を選べると言った事も問題です。

デューガン大将の発言内容は殆どハッタリで、この戦争の手柄を空軍で独り占めにしたいという幼児的な欲求から来るものでした。一部では「デューガンは戦争前に機密の作戦情報を漏らしたから解任された」と勘違いしている人達もいるのですが、真相はこんなものです。利己的な欲求で空気の読めない発言を繰り返し、政府の立場を拙くさせた愚者は解任されて当然です。

政府見解と全く異なる主張を行った将官が即刻、解任される。この点においてデューガン空軍参謀総長と田母神前空幕長の更迭劇は共通しています。勿論、状況は全く同じではありませんが、政府の意向に沿わない意志を示した事で処断された意味で、同様のケースです。これについて「個人の見解だから」という言い訳は通用しません。政府にダメージを与えた、あるいは与えかけた時点で、それは処断されて当然です。

タモさんのは「とんでもない馬鹿言ってる」で済むからここまで致命的じゃないと思うけどw
そして第2弾。

2003年にドイツ陸軍軍特殊部隊KSK(Kommando Spezialkrafte)の司令官ラインハルト・ギュンツェル准将が、反ユダヤ主義的発言を行ったCDU(キリスト教民主同盟)のマルティン・ホーマン議員に共鳴、激励の手紙を送った事で解任されたケースが存在します。

ギュンツェル准将は在任中の1995年にも「私の隊員にはスパルタ人、ローマ人、武装SSのような規律を要求する」と演説して批判を浴びていたそうです。軍を辞めた後は学生組合(Burschenschaft)などでの講演活動などを続けていて、「ホロコーストの唯一性といった歴史観戦勝国に強制されたものだ」などと発言し、益々主張が先鋭化されて右翼勢力の偶像となっています。

田母神俊雄・前航空幕僚長も、これからそういった道を歩んでいくのでしょう。ただし論文内容からして、前途は多難であることは間違いないでしょうが。

こっちの方がそれっぽいですね。うん。
それからタモさん「違う人も同じようなことしてるじゃん」と噛み付いたようなんですが。

田母神前空幕長はどうやら勘違いをしているようで、五百籏頭真・防衛大学校長が田母神論文騒動以後に毎日新聞にコメントした最近の批判記事と、2年前の小泉内閣メールマガジンに掲載された内容とを取り違えてゴッチャにしている模様です。しかも内容自体をよく確認していないのか、「防大校長が政府の政策に真っ向から反対している」等と、事実とは異なる見解を述べています。

誤認かよw

そして『この扱いの差は一体何なのでしょうか』という投げ掛けについても、空幕長と防大校長では身分も立ち居地も違う、という事が言える筈です。防衛大学校は士官養成学校であると同時に学問と研究の場でもある為、学者の主張は学問の自由の範囲である程度容認されます。一般国立大学の教授が幾ら政府方針に反する主張を唱えても解任されたりはしません。防衛大学校はそれより制約はありますが、研究の名目で政府方針と異なる見解を述べる事は可能です。ですから仮に防衛大学校長が学者として一つの戦略論として「イラク派遣をすべきではない理由」という論文を出しても許容される可能性はありますし、田母神論文防衛大学校の学者として出した論文であるならば、許容されていた可能性はあります。ただ逆に「こんなものは論文とは認められない」と、政府方針云々以前の次元で、学術的要素の問題で学者としての資質が問われてクビにされる可能性は高まりますが。

結局「立場」というものを軽視しているのがまた浮き彫りに。
でも研究だからって言っても許される限度があるということで、中国の話が。

そこで例となるのが中国の朱成虎・国防大学防務学院長の場合です。朱成虎防務学院長は以前から先制核攻撃論を持論として度々陳述しており、その内容はすこぶる過激なものです。中国政府の基本方針が先制核攻撃の否定であるのに対し、朱成虎防務学院長の主張はそれを完全に逸脱しています。

すごいんですよ。山あるし人も一杯いるから撃ち合ったら勝つだろみたいなw

ただ、朱成虎防務学院長は少し調子に乗りすぎたようで、英語に堪能な同学院長は香港で英米の大手マスコミを集めて会見を開き、その場でアメリカを名指しし、台湾問題でアメリカ軍が介入してきたら、それが通常兵器によるものであっても、中国は核攻撃による報復攻撃を行うと表明したのです。これが2005年 7月14日の出来事です。アメリカ政府は朱成虎防務学院長の発言が中国の政府方針とは異なる事を理解して特に相手にせず、中国政府も何時もの事だと放置していましたが、大手マスコミの目の前で名指しで主張した為に騒動になり、アメリカ議会は下院が中国政府に対し朱成虎防務学院長の発言の撤回と免職を要求する決議を採択しました。

中国政府は暫く相手にしていませんでしたが、アメリカ議会からの圧力に抗しきれず、最終的に以下のような対応を取っています。朱成虎防務学院長は、アメリカ議会から免職要求を受けた初めての人民解放軍の将軍です。

あーこの人も「海外に発信」したがっちゃうクチなんだねー。

いくら国防大学の教授としての研究であるから政府方針と違っていても構わないといっても、モノには限度があったのが朱成虎防務学院長のケースです。

事が国防に及ぶと研究者だからじゃ済まないんですなー。なんとも。
あとすごかったのがこれ。歴史観の講義だってさ。

コミンテルン陰謀論を教えている講師がいる・・・とてもじゃないですが軍隊の将官に施す教育ではありません。何処の民族右翼過激派の勉強会ですか、これは。

当然ですがそのような教育方針自体がおかしいのであって、科目自体が無くなるか、講師の選任方法が統幕学校長の独断で行えないように多重チェックを通し監視する事になります。科目自体要らないと思いますけどね。

なんで歴史観なんぞ教わらなきゃいけないんだろか。歴史じゃなくて歴史「観」の講義って。

 歴史観・国家観の科目は、田母神氏が統幕学校長時代に新設したもの。同氏は講師の選任にもかかわったとされ、08年度の講師6人のうち2人は、「自虐史観」によらない教科書づくりを掲げる「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長と理事を務めている。

ひぃぃぃ。

なお田母神前空幕長は隊内誌「鵬友」04年3月号で以下のような事を述べています。

身内の恥は隠すものという意識を持たないと自衛隊の弱体化が加速することもまた事実ではないか。反日的日本人の思う壺である。

http://15b-nakama.hp.infoseek.co.jp/Tamogami/2004_03Tamogami02.shtm#No7

(IEじゃないと正常に表示しません。)

軍事機密は非公開が当然であり、軍事に関する事は徹底的に隠匿してくださって結構です。ですが、身内の恥を隠すのも有事の時の軍事機密保全の練習になるから、普段から軍事に関係無いことでも積極的に隠匿しろ、ですって?

ああ、この愚か者をクビにするのが遅過ぎました。

空自学校長が部下にセクハラの疑い 更迭、報道発表せず : 朝日新聞

空自空将補セクハラ:空将補を懲戒へ 浜田防衛相に報告せず : 毎日新聞

これも田母神前空幕長の方針だったのですね。・・・本当に馬鹿じゃなかろうか・・・結局のところ、田母神前空幕長の歴史観とは、「日本の恥は隠すべきであり、それを公開するのは自虐史観である」という事なのでしょう。あまりにも小物臭くて涙が出てきます。とても人の上に立つ器じゃないです。どうしてこんな人を出世させてしまったんだろう・・

ニュース記事のリンクは切れています。
恥を隠すなんて方針決めたら駄目に決まってんだろw
さて今度は論文です。

 率直にいえば、雪斎は、この論稿には高い評価を与えられない。「不可」に限りなく近い「可」というところである。「不可」にしなかったのは、「自分と意見を異にする論稿は、否定的に評価する」真似は、したくないからである。少なくとも、懸賞論文で「最優秀」を取るようなものではあるまい。選考した人々の見識は、どうなっているのであろうか。
 というのも、これは、雑誌『正論』辺りに載ったならば、航空幕僚長が書いたということを除けば、他の論稿に埋没するような「没個性的な」中身であるからである。とある漫画家の漫画に影響されて、保守論壇の作品に触れ始めた若者が、そういうものを必死になって真似して自前の論稿を書けば、こういうものができるという風情であろう。要するに、この論稿を航空幕僚長が書く「必然性」が、まったく判らないのである。

「そもそも、貴官が、それを語って何の意味があるのか」と雪斎は、いいたくなる。
 これは、中山成彬国土交通大臣の失職と同じ趣がある。
 要するに、「文教族とはいえ、国土交通行政を所管する立場の人物が、安易に所管外のことに言及してよいのか」ということである。所管外のことに口を閉ざせということではない。所管のことに精力を傾注しない真面目さが疑われるということである。もっとも、石破茂農相のような人物ならば、所管外のことでも軍事を語るのには、違和感を覚えないけれども…。
 こうした「時と場所と場合を」わきまえない論稿や発言は、それに共鳴する人々からは「正しい議論」と評されても、「賢明な議論」とはなりえない。 雪斎は、政治家や政府高官の発言は、「時宜を得た」ものかどうかで先ず評価されるべきであると考えているので、「正しい儀論」と「賢明な議論」を比べれば、「賢明な議論」にこそ高い評価を与える。田母神論稿も中山発言は、「賢明な議論」ではないのである。
 しかし、多分、保守論壇方面は、「自分に近いことを言ってくれた」ということだけで、彼らを擁護するのであろう。もしかしたら、保守論壇方面は、此度の紛糾にも、左翼層の「悪意」をかぎつけるのかもしれない。保守論壇方面にとっては、政治上の「慎慮」に対する認識は、もはや希薄なものでしかないのであろう。こうして、ますます保守論壇方面は「蛸壺」と化す。

「下らないもの書いて物議をかもしてる暇があったら仕事しろ」ですかw
内容より時と場所、っていうのは政治ですなー。

やえがビックリしているのが、田母神氏の中身のついて評価している人が少なくないというコトです。
 確かに、過去の日本の戦争を何かから何まで日本が悪かったんだと断罪しまくる戦後民主主義の歪んだ見方を否定したという点に関して言えば、賛同を得られる一定の層があるというのは事実です。
 でも、その事実だけをもって、中身のある賞賛されるような言説かどうかはまた別です。
 簡単な話、日本の戦争は自衛戦争だったんだ正義の戦争だったんだと主張する人というのは、ネットにはいっぱいいます。
 最近更に国士気取りの人が増えてきていますが、そういう人はだいたい似たようなコトは言っています。
 しかしだからといって、世間を騒がせるぐらいの評価に繋がるのか、懸賞金を得られるぐらいの評価なのかどうのは、全然別問題です。

なんでも2chでは軍事板だけが最初から笑いものにしていて、それ以外だと半数ぐらい支持されてたとか軍板過去ログのどっかに書いてあったよーな・・・
この辺からはタモさん自身に矛先が向いてまいります。え?今までも向いてた?

私にとって田母神氏の歴史認識自体はまったくどうでもいいことである。
どんな歴史認識でも内心にとどめている限り、「大日本帝国の戦争は全て正義だった」と思おうが「日中戦争コミンテルンの陰謀」と考えようがとりあえず問題ない(あくまでも「とりあえず」であり本当は困ったことだが)。邪馬台国が九州にあったのか大和にあったのか、それとも東北とか沖縄にあったのか、という問題が現実の国防とは無関係であるのと同じ程度にどうでもいい。
だが、航空幕僚長の要職にある軍人が自らの歴史認識を公表することで政府に余計な手間をかけさせる、国政を混乱させる、任務に支障をきたすのは全く愚かなことだ。余計なことをして自軍に損害を与えるのはフォン・ゼークト言うところの「無能な働き者」である。関西弁で言えば「いらんことしい」だ。幸い日本は平和なので、最悪の「無能な働き者」もゼークト式に射殺されることはない。更迭と定年退職という処分で退職金を受け取る田母神氏は恵まれている。要職にあるものの無能はそれだけで罪だ。田母神氏の更迭は歴史認識を議論するまでもなく必然である。

あたりまえのことだが、航空幕僚長の任務は「国を憂えて『正しい歴史認識』を広めようとする」ことではない。敵対する航空機やミサイルを日本の上空から排除して国を守るのが仕事だ。そのために必要な装備を整え訓練して有事に備えるのが何より大事である。
自衛隊員が誇りを持てる『正しい歴史認識』がないと国が守れない」と田母神氏は主張しているそうだが、「馬鹿じゃなかろうか」としか思えない。誇りの持てる歴史がないと国が守れないならドイツはどうなんだろう。ナチを賞賛することは法律で禁じられているけれど、ドイツの将軍が「第三帝国の栄光がないと国が守れない」と泣き言を並べたなどという話を聞いたことがない。
自衛隊に入ったことのない私には言う資格がないかもしれないが、「そもそも歴史ロマンチシズムに頼らないと士気を維持できないようでは軍人としてたるんでる、腕立て百回!」という感じだ。

これまた「黙って仕事しろ」ですな。

田母神氏がどうしても「正しい歴史認識こそが国防の基本だ」と信じるのであれば、装備や人事、予算や計画といった雑事は人に任せて全力を挙げて歴史研究に取り組めばよかった。幕僚長を辞して防衛省防衛研究所戦史部に移動を申し出るとか、あるいは制服を脱いで近代史研究に情熱を捧げるとか。そこまでやるのであれば私とて「ああこの人は本気なんだな」と敬意を抱くこともできる。
だが田母神氏が実際にしたことは、仕事の片手間に資料もろくに調べず(本人談)、そこらの本から都合のいいところばかりつまみ食いしたような数ページの「論文」を書き、かねてより親しかった会社社長の主催する懸賞に応募して300万の賞金を得る、ということだ。
みみっちく、薄汚く、潔さのかけらも感じられない。こういう軍人が自衛隊の高位にあり、愛国者を自称し、そしてそれに喝采する人が少なからずいる、という現実は私の想像力を超えている。もう笑うしかない。

この「立場を利用した感」がひしひしと伝わってくる感じ、たまらんのです。
こんなのスルーしろったって到底できないw
さらに核武装論でも迂闊っぷりを発揮。

質問自体が引っかけなのに気付かないとはなんと迂闊な人だろう。
「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」
こんな仮定にはまったく意味がない。
「1945年当時の司令官だったとして」は戦史研究で普通に行われる仮定だから問題ないけれど、「米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合」という仮定はまったくのナンセンスだ。マンハッタン計画の規模、技術、予算を少しでも知っていれば戦争中の日本に原爆を作る可能性などこれっぽっちもなかったことは明らかだ。「沖縄水上特攻に出撃したのが大和じゃなくて宇宙戦艦ヤマトだったら」というのと同じくらい空想的で、まともに答える意味のない質問である。

仮想戦記ものの小説レベルですか?w

田母神氏が賢い軍人であれば、「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」という質問に対して「空想的すぎる質問なので答えられない」とかわしただろう。あるいは「大日本帝国に原爆を作って運用するほどの実力があれば、無理して真珠湾を奇襲したりミッドウェイでボロ負けしたりしません」とユーモアにすることもできる。
「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」という答えは下の下である。それは、「核の使用を肯定したから」ではなく(それは核武装論者なら当然のことだ)、空想と現実の区別がついていないからだ。
引っ掛けの空想的仮定に「マジレス」したことで、田母神氏の核武装論の現実離れした空疎さがはっきりした。私は核武装論には反対だから「それ見たことか」と思うだけだが、真剣に核武装が必要だと考えている人たちこそ田母神氏の浮かれた考えに厳しく釘を刺したほうがいい。

真剣な人は嫌な顔したろうなw
んで続き。

日本チームが8対0で負けていて9回裏の攻撃になったとする。黒柳徹子は「9人全員がホームランを打てば逆転できますね、原監督はホームランのサインを出すんでしょう?」と訊くかもしれない。そんなとき真面目な解説者なら「9連続ホームランは確率が低すぎて作戦として成り立ちません。打線をつなげる、ランナーを貯める、相手ピッチャーを揺さぶって勝機をつかむのが指揮官の仕事です」と説明するだろう。ユーモアのある解説者なら「9連続ホームランですか、すごい発想ですね。私たちにはとても思いつきませんよ」とジョークとして対応する。
「もちろん9連続ホームランを狙いますよ、勝ちたいですからね」と素で同意する解説者がいたら視聴者はびっくりする。「この人は正気なのか」「酒でも飲んでるんじゃないか」「そんな作戦で勝てるはずがない」と呆れるはずだ。

「敗戦まぎわの日本に原爆があり、広島・長崎の報復としてアメリカに落とすかどうか選択できる」という仮定は「9連続ホームラン」と同じくらい、いやそれ以上に現実味がない。単なるフィクション、気楽なジョークとして面白がるのがせいぜいで、軍事のプロが真面目に答えるような話ではありえない。
ところが元航空幕僚長の田母神氏は「9連続ホームラン」レベルの与太話にうなずいてみせたのである。これが呆れずにいられるだろうか。

実は軽く流したつもりだったりなタモさん。

田母神氏は制服を脱いだとはいえ航空幕僚長まで務めた軍事のプロのはずだ。プロが真面目に核武装の必要性を訴えるとき、「9連続ホームラン」レベルの与太が入り込む隙があってはならない。「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」という質問をされたとき田母神氏は「私は真面目な話をしている。核武装は現実に可能であり日本に必要なんです。ふざけた質問をされるのは心外だ」と怒ってもよかった。
ところが彼は、「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」と素で肯定した。トンデモを鵜呑みにしたのである。その瞬間「田母神氏終了のお知らせ」のチャイムが鳴り響いた。歴史認識が偏っていても、政治的配慮ができなくても、軍事のプロとしての識見があれば最低限の敬意を持つことができる。だが、核武装を訴えつつ与太話にうなずいてみせるようなタワケモノは軽蔑するほかない。迂闊にもほどがあり、愚かさにも限度があるというものだ。

まさかとは思うが真剣に当時の技術力で可能だと思ってるなんてことは無いだろうな。
いったいこのドジッ娘ぶりどこからくるのか。

おそらく田母神氏も、自分自身がお調子者であることを知っているのだろう。それくらいの自己認識ができなければ航空自衛隊のトップまで上り詰めることはできない。自らの性質をコントロールし、武器として生かして「あいつは面白い男だ」「なにか大きなことをやってくれそうだ」「田母神に期待しよう」という雰囲気を盛り上げたのだろう。陽気な男は好かれやすい。
「空軍」のトップということで、ドイツ第三帝国空軍「ルフトバッフェ」の総帥、ヘルマン・ゲーリングをつい連想してしまう。ゲーリング知能指数が高く陽気でエネルギッシュな男で、「ふとっちょ」「ヘルマンおじさん」などと呼ばれてドイツ国民になかなか人気があった。だが航空行政と軍事指導では無能で、ルフトバッフェを強化するより混乱させ足を引っ張ることのほうが多かった。
念のために言っておくと、ゲーリングを連想したのは田母神氏をナチ呼ばわりするためではなく、「お調子者の空軍トップ」という点が似ていると感じただけである。私は彼らのイデオロギーではなく能力(無能さ)をなによりも重視する。

自分がお調子者であることを知り、それをコントロールしてきた田母神氏は立派である。私には真似できない自制心の持ち主だ。だが、彼が「将」となり航空幕僚長まで上り詰めたとき、つい気が緩んだのではないか。大きな肩書が付くとどうしても人は自分を立派だと思い正当化したくなる。「調子に乗って失敗してはいけない」という自制心よりも「調子よくやっている人(国)を騙すのは悪いことだ」という自己正当化と「敵」への批判に傾く。
そういう心理状態で日本の近現代史について考える。「日本は立派だった、正しかった。悲惨な戦争になったのはコミンテルンの陰謀のせいだ」という「正しい歴史認識」は田母神氏にとって心地よく思えただろう。あとはアパ「論文」まで一直線だ。

平和で良かったなあ。好かれるけど失敗も少なくない人で済むもんな。

世間では田母神「論文」事件について語るとき彼の歴史観を問題にすることが多い。右派は「これこそ正しい歴史認識だ、田母神氏は立派だ」とほめたたえ、現実的な保守派と左派は「偏っている、事実認識から間違っている」と批判する。
だが私は田母神氏の歴史観そのものは「論文」問題の中でいちばん論じる価値がないと思っている。かの「論文」は田母神氏自身が認めている通りの安直なものだ。右寄りの本から都合のいい二次資料をツギハギしただけの代物で、まともに擁護したり批判するに値しない。

それよりも「田母神タイプの人物に国防の責任をゆだねていいのか」「お調子者がトップになると防衛力は強まるのか弱まるのか」を論じてほしい。歴史認識問題は形而上学だが、国防は鉄と炎を制御する現実の問題だ。
私にとって田母神問題とは歴史認識問題ではなく、なによりも「ゲーリングの尻尾」問題なのである。

妙に勝って喜んでるうちに破滅へ向かうんじゃないか・・・ってそれ昔の日本?
対比して前も出てきた、いおきべさんの人柄。

五百旗部の風貌と雰囲気は、不敬をおそれずに言うとご今上(天皇陛下)に似ている。いかにも柔和で考え深そうだ。立派な先生に教えられる防衛大学校の生徒がうらやましくなった。
その生徒はというと、素直で真面目そうだがいかにも幼い感じがする。威勢のいいイデオロギーや「正しい歴史認識」に対して免疫がなさそうだ。タイの士官学校に留学した生徒が「政府より国王に忠誠を誓う姿に感動した」と言って五百旗部校長に「戦前の日本もそうでしたね」とたしなめられていた。どうも危なっかしい。五百旗部校長が「広い視野」を教育方針にしたのはまったく正しい。生徒たちはどうか五百旗部校長の意を汲んでしっかり学んでほしい。

初代防衛大学校長の槇智雄は生徒に「服従の誇り」を教えたそうだ。これも民主主義国の「軍人」に必要な覚悟である。とはいえ、プライドの高い若者に「服従を誇りに思え」と言ったら反発されるかもしれない。「ヨーロッパの騎士が貴婦人に仕えるように国を守れ」といえば素直にわかってもらえるだろうか。あくまでもジェントルに優しく貴婦人をエスコートするのが若き騎士の神聖なる義務である。

「仕える」って本当は自ら認めて選んだものに仕えることなんだろうな。
「個」がもてはやされる一方で、何かを選んで従うということは軽視されるって風潮か。