身体のリズム

こんなのがあって。

ここの主はダンス習ったこともあるということで、色々言いたいことがあるのはまぁ当然なのかもしれない。
しかし俎上に上げられるPerfumeは不憫な気がするな。アイドルグループって「訴えかけるようなダンス」しなきゃいけないの?楽しそうに変わった振り付けで笑顔振り撒いてて何が足りないのかわからん。
どうしてダンサーという表現者であることをPerfumeに求めるんだろう。好きなものに自分の理想を重ねてしまう困ったファン心理なのだろうか。
まぁそんなのはともかく、言ってることはわかる。

それから次に教わったのは、ダンスのリズムというのは裏を打つのがだいじだということだった。拍と拍のあいだの裏を打つこと。「1 and 2 and 3 and 4」の「and」の部分を意識すること。そうすると、ダンスが格段に格好良くなるのだということだった。

舞踏家の最上和子が某冊子に書いていたことが「裏を打つことの大事さ」と重なるように思う。
拍の間の裏を打つというのは動きを分解することではないだろうか。
舞踏はゆっくりと動く。その遅さは演じる者を惑わせる程に遅い。あまりにも遅い動きをするとどう動いていいのかわからなくなる。動きがとてつもなく細かく分解され、自分が普段どうやって動いていたのか知らないことに気が付く。
それを改めて知るために舞踏家は十分も二十分もかけてゆっくりと「ただ座る」「ただ立つ」ことから始めて自分の身体と対話していくのだという。あなたはいつもどうやって動いているの?という自身への問いかけをするうちに、身体がどう動きたいのかわかってくるらしい。そして自分自身の動きたいように動いている時、身体の中に永遠を感じる喜びがあるというのだが、身体が自然に動こうとするのを感じることは、自分の中に自然と生命を感じるということなのだろう。

ダンスというのは、当たり前のことかも知れないけれども、「動き」と「静止」とから成り立っている。そして、多くの人の陥る弊害というのが、「静止」の部分をないがしろにしてしまうということだ。ここの部分がすっぽり抜け落ちた人というのは意外に多い。それは初心者のみならず、かなりの上級者であってもまま見られる現象だ。

止まることも舞踏家にとってはただ事ではないらしい。なんでもただ立っていてはいけなくて、絶えず微妙に揺れているとか。けれどそれは「止まっている」ことを意識して「動いている」のだ。止っていようとして無意識に揺れるのではなく、無意識の揺れを意識して行う。だから間違って「揺れてしまって」はいけない。
ダンスの素早い動きから一瞬ピタリと止まってまた動き出すというようなやり方とは大分違うが、静止を意識するという点は似ている。

ダンスというのはリズムなんだけれど、ダンスが上手く見えるコツというのを、先生が一つ教えてくれたことがある。それは「緩急」をつけることだった。同じリズムを取るのでも、機械的にたんたんと平均的に取るのではなく、拍と拍のあいだに緩急をつけると良い、その中に波を持たせるととても格好良く見えるし、気持ちが良いのだということだった。

きっと拍の間を可能な限り分解していくことになるんだろう。8ビートで踊っても、そこから外れることなく1拍を32とか64分割まで分解して自在に緩急をつけてやることで、8ビートに縛られていながら身体は自由になれる。
そうやって身体が踊りたいように踊らせてやると気持ち良いのだろう。自然に踊るというのはリズムを外れることではなく、リズムの中で自由を獲得することなのだ。きっと。

追記

操作間違えました。直したらトラックバックが二つに。ごめんなさい。