芸術家宮崎駿

宮さんはなんであんなに物議を醸すものを作ってしまったかというのはわかる気がする。
結局芸術家なんだろうなあの爺さんは。自分の中にある鬱屈したもの、自分の内側から噴き出してくるものに突き動かされて、もうロクに仕事する体力も無いクセに自分で手を動かさずにはいられない。座ってるだけでも辛いっていうのに。それでも大事なところは自分でやりたいし、人にやらせてもチェックしなきゃ気が気じゃない。そんな感じだろう。
別にそれは良いんだけど。ジブリが芸術家をトップにして個人の才能で回ってたって否定する理由なんか無いし、そういう個人の色が強く出るスタジオも有って欲しい気はする。
ただ不幸なのは宮さん自身が自覚してやってない事なんじゃないだろうか。
「人を楽しませたい」と映画を作る動機を語った宮さん。でも自分の為に作っているように見える。いや、作らずにはいられないというように見える。それでも作るからには楽しんで貰いたいと思ってるのも本当だろう。真心からそう言ってるんだろう。でも自分自身に逆らって計算づくの映画作りなんて出来ないから、「宮崎駿という老人が己を刻印した映画」が出来上がらざるを得ない。一応本人も「どんなに巧妙に隠したって自分が出る」とは言ってたけど、だからって何か手を打つでもなく出るに任せてるわけだ。はたしてそれで子供を楽しませることが出来るのかっていう話。
まぁ大人になって振り返って「あれはなんだったんだろう」っていう映画もアリなんだろうけどね。ただ本人ががっかりしちゃったらしいからなぁ。伊集院光がラジオで語ったところによれば主題歌はガチでウケまくってるのに。映画館だから静かにしろって怒られた子供がトイレで歌ってたっていうんだから大したものだ。
大人の方はなんだかんだ言って楽しんでるんじゃないのかな。良いの悪いのって批評するのも楽しみのうちってこともあるし。だけど何も考えずに見て「楽しかったね」って映画にはならなかった。鈴木Pが動けば違ったかも知れないが覚悟を決めて「宮さんの映画」を作らせたっぽいし。
いっそのこと時間が無い宮さんの手足になる人を付けて予算ももう一回なんとかして、宮崎駿自身の為の映画を作りたいように作らせてみたら面白いんじゃなかろうか。
宮さんと比較される押井さんは理屈でそこそこウケるように計算できる人だけど、才能で作ってるから真似できないと言ったのがデヴィッド・リンチ。そしてポニョを作ってデヴィッド・リンチになり損なったなんて言われちゃったのが宮さん。まかり間違って押井さんもあっと驚いちゃうようなものがこれから出てきたりしないかなぁ。