深夜ラジオと2ちゃんねる

深夜の若者向けラジオ番組リスナーって悩んでるヤツとかひねくれたヤツ多いよね。さておき。

    え? 願いはいつか叶うですって?
    あなたはそうやって、望みを口にしただけ。
    いつか叶うとでも思っているの?
    そうやって馬鹿みたいに、口をぽかんと開けながら、
    いつか来る日を待ってるの?
    「いつか」って、いつ? 「いつか」って、いつ?
    大体あなた、今いくつ?

こういうのニコニコ動画とかで「俺涙目wwwww」とかコメント付いたりするもんだけど、コメントした人が実際にニートかっていうとそんな保証は無いわけで、多分嬉々としてコメントしてるのは何らかの勤めを果たしている普通の人なんだろうなと想像したりする。
そうやってからかわれることで当のニートやヒッキー、小森霧タソ*1などが傷ついているかどうかは知らないが、その場に居合わせているかどうかもわからない者を気軽にネタとすることで、それらはその場に居て当たり前のものとして他の参加者に認識されていると思う。
墓場には幽霊が居て当然と考えられるが如く、美少女系のコンテンツにはニートや引き篭もり、物凄いキモオタとかが居て当然という空気がある、と思う。
しかもこういう発言はニュース系で見られるようなバッシングとは違って、何か責任を問うものでは無い。「どうせ居るんだろ?」という当てこすりである。そして笑いはするが嫌悪感の表明では無い。からかいはするが排除する意図は無い感じだ。オタクはニートを容認していると言えるのだろうか?
何か同じ穴の狢というか、下手をすると「なれるものなら自分もなりたい」というような、ニート的なものに対する共感と諦めや不満が混ざったような一種の仲間意識があると言ったら的外れなのだろうか?みんなニートに優しいよな。理解できるダメ人間像っていうか。
そういう消極的に受容する態度っていうのは案外ダメな人の心の支えになったりとかしてはいないのだろうか?
しかもみんながニートは普通に居るって認識してる場所なら、存在を明かさないまでも自分以外の同類がそこに居る可能性を感じられる。居てもおかしくないという場所だ。
見知らぬ他のリスナー達の存在を感じながら深夜ラジオを聴くように、仲間の存在を感じていられるのだとしたら、ネットはニートにとって結構大切なものだ。他の方法で孤独さを癒す者も居るだろうが、オタクにとっては多分こっちの方面が楽だろう。

 かつては人づきあいが苦手な若者たちの『もう一つの居場所』が若者文化の中にあり、秋葉原もその象徴だった。今はオタク文化もネット文化もまったり戲れる場所。被害者の一部がそうだったように秋葉原も今は友達と連れ立っていく所だ。友達がいない者には秋葉原でさえ居場所にならない。

宮台さんはこんな風に思ってるけど、ネット文化は結構居心地の良い『もう一つの居場所』じゃないのかなぁ。

*1:開けないでよ。