自殺

硫化水素、綺麗に死ねると思ってやるんだって、本当なんだろか。手軽さが受けてる面もあるのか?
練炭の時は掲示板で仲間見つけて一緒に死ぬなんて話もあったなぁ。
「綺麗に死にたい」にしても「一緒に死のう」にしても、なんつーか甘いこと言ってんなって感じがしてしまう。
誰からも理解されない不幸な人間同士、悲劇の主人公として美しく死ぬ。なんかそういう中二病全開なこと考えちゃってるんじゃないかなぁ・・・ってつい思っちゃうんだよなぁ。

まぁ死のうと思うからにはそれなりに辛いこともあるんだろうが、悩みなんて案外時間が経つと解決しちゃったりするもんだし、自分で自分を縛って逃げ道塞いでる事も多いものだと思う。
本当にどうしようもないんだったら、他人が考え抜いた末に死ぬしかないと判断したことを止める気なんて僕には起こらないけど。
例えば金子みすずという詩人は若くして自分の命を絶ったけれど、彼女は大正時代の人だから女性に今ほどの自由は無かっただろう。
http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm
彼女は心惹かれる相手がいたにも関わらず、店を継ぐ為の結婚をした。
家庭を顧みず遊郭通いの夫から淋病を移されても家庭を守ろうとしたが、この夫は妻が心の支えにしている詩作と文通を禁じた。
さらには離婚の話が進むにあたって、娘を引き渡すように要求された。
この人生で彼女の望むものはことごとく周囲の思惑で奪われていったが、自分の命だけは自分の思い通りにしたというわけだ。
娘を巡って徹底的に争うという選択もあったかも知れないが、そうするにはあまりに穏やか過ぎる人だったようだ。
自殺する中学生やなんかは、本当に死ななきゃいけないだろうか。
「必死で生きようとする」のが嫌だから死ぬ、そんな感覚だったりしないだろうか。
この時代のこの国は、辛いことがあっても逃げようと思えば逃げられる可能性が高い。プライドを捨てさえすればかなり自由なはずだ。迷惑かけても、ダメな奴扱いされても、構わないと思えば逃げられる。
死ねば普通の親は悲しむ。自分が親だったら子が死ぬまで気付いていなかったことを悔やむ。だから死ぬ前に、死ぬぐらいなら引きこもったり犯罪に走る方が親にとってマシかも知れないってことを考えるべきだ。子供なんだから、所詮「子供扱い」なんだから、そんなに完璧じゃなくて良いはずなんだ。
学校行かなくて深夜ラジオ聞いてたって結構なんとかなるし。ま、ケースバイケースだけど。
理解者が居ないのが辛いなら、今はネットもある。昔ながらのラジオで深夜番組リスナーの交流なんてのも今だにある。掲示板で死ぬパートナーを見つけるぐらいなら、生きるパートナーを見つけることだってできる。どれだけ多様な人間が居るかを知らないまま死ぬべきじゃない。
死ぬ時には怖いとか悲しいって気持ちもあるはずだ。そんな思いを耐えなくても済むかも知れない。
周囲が受け入れてくれない者同士の繋がりなんて、いくらでもある。作れる。一度そう信じてみれば良いのに。死ぬのだって大変だろ。
生きてりゃ勝手に死ぬんだから他のことを先にやって、それでもダメだったら最後の選択で良い。逃げちまえ。