報道ネタ

誤報っていうかさ・・・

間違うか普通(;´Д`)と思ってたらコメント欄がこのように。

Jinguzi at 2007年12月02日 12:53

たそがれ様

>悲惨な交通事故でも携帯のバッテリーがこのように破裂すると言うことを
>寡聞に知らないこと

ちと気になりましたので調べてみました。
韓国の携帯電話で使われているリチウムイオンポリマーというのは、リチウムをゲル状にした物質で、非常に発火しやすいようです。まぁ、リチウムがゲル状なんだから当然ですが(^^;。

日本では、携帯電話にはリチウムを使う場合、金属しぼりという加工法で1枚の金属板から、箱状の継ぎ目のない型を作り、その中に押し込みます。こうすることで、リチウムが外部の刺激から遮断され、発火しにくくするわけです。ちなみに、この技術は日本の中小企業の特許物であるらしく、ほぼ日本の独占状態らしいです。わかり易い例として、iPodの裏側のツルツルを作る技術といえば、思い浮かぶ方も多いと思います。

はい、何がいいたいかというと、韓国はこの技術を持っていないため、非常に不安定な状態でリチウムを閉じ込めた電池しか作れないようなのです。とどめに日本製品締めだしの影響で、あまり日本製の電池を使えないようです。つまり、全部がそうとは言いませんが、韓国製の携帯電話は、不発弾と変わりません。一寸の衝撃で破裂、発火しかねません(^^;。

さらに元の記事を読んでみると、事故にあった方は重機に引かれたのではなく、重機がバックする際に岩盤と重機の間に挟まれた様です。その衝撃で、携帯電話の電池が破損し、爆発ないし発火したようです。何トンもあるような重機に押しつぶされて、心臓付近で爆発があったら、そりゃ、人死にもでますわな。携帯電話の爆発のエネルギーは、重機に押しつぶされて、人間の方へしか行きませんもの(^^;。

重機を運転していた人間から見れば、事故を隠蔽もしたくなるでせう。確かに自分の運転ミスが原因でせうが、ポケットに携帯電話を入れていなければ、助かった可能性もあるんですから。まぁ、普通に報告すれば事故だけですんで、刑事罰には問われないですんだでせうが、それをしないで自分のミスを隠蔽しようとするのが韓国人ということで(^^;。

>・ADON-K氏推測のように、隠蔽の可能性。
>・彼の国の携帯電話のバッテリーはそれほど激しくない衝撃でもバッテリーが
>破裂するほど安全性に問題のある欠陥商品。

つまり、両方とも成り立っているようです(^^;。

とりあえず、どんなに安くても、LG電子の携帯電話は買うのをやめませう(^^;。
相良 宗介 at 2007年12月02日 14:30

オイラが投下したネタで、皆さん盛り上がってますねぇ…。

jinguzi師匠

ちなみにリチウムポリマー電池は、過充電するとこうなるそうな…
http://www.valley.ne.jp/~h-asawa/ripo1.html
(実験で使用された電池は、かなりヘタった物を使用したみたい)

しかし…この件の真相、
・ADON-K氏推測のように、隠蔽の可能性。
・彼の国の携帯電話のバッテリーはそれほど激しくない衝撃でもバッテリーが破裂するほど安全性に問題のある欠陥商品。

両方正解の可能性が出てきたとは…韓国ってどんだけーw
at 2007年12月02日 16:58

で、容疑者は重機免許を持って無いという新ネタが投入された訳ですか。
事故責任が、携帯→同僚→雇用主とドンドン移り代わっておりますな。

何がなんだかw

愛・蔵田さんのとこ読んでみた

ここでリンクしてた古いエントリ。

なんだかなぁ。韓国人留学生自体は善意でやったとしても、メディアが偏ってるせいで台無しになってたわけか。日韓双方で利用されちゃってかわいそうに。

善意の死ではあると思うが・・・無謀だってのは確かにそうだな。

利用者はつねに危険と隣り合わせているのだ。いつ誰に突き落とされるかわからない、数メートル以上の落差がある線路・階段、時速数十キロ以上で入ってくる、急には絶対に止まれない電車。スリ・チカン・頭のおかしい通り魔。駅は安心して酒が飲める自分の部屋ではない。自らの身は自らが守るしかないのだ。

 なんでもかんでも「ネットカフェに寝泊りする人」を「ネットカフェ難民」という形でクローズアップするのは、「経済的困窮」に苦しみながらもネットカフェを利用しない(利用すらもできない?)社会的弱者に対する視点が欠け落ちてしまうだろうし(←ここかなり重要)、マスコミ報道的には「ネットカフェ難民(ネットカフェで生活する人たち)」というのは映像・記事的に面白い(視聴者・読者の興味を引く)存在ではありましょうが、そういう生活を選んだのか、選ばざるを得なかったのか、各人には各人の事情があると思うのに、「ネットカフェで暮らすかわいそうな・奇妙な人たち」という視点で固定されてしまう。

「絵(映像)になりやすい、わかりやすい人たち」の記号化は、フィクション(虚構)を作る人はあえて避けるか、パーソナリティを立てるかするものなのですが、報道の場合は逆にどうも「あえて記号化してみる」という方向に行っているようで、マスコミ報道の嘘くささは、TVの中で怒ったり泣いたり同情したりしている人の顔を見るたびに、年々ひどく感じるようになりました。そういうマスコミの演出が、事態の深刻さにどの程度対処できるか、というと、単に野党の与党攻撃(批判)の、最初の引っかかりにしかなっていないのですね。その「最初の引っかかり」が「調査」によってミスだったとしても、「マスコミの演出」の責任は曖昧になってしまう。マスコミ報道に対する不信は、まず野党側が持つべきで、「新聞が報道しているのだから与党は調査しろ」じゃなくて、「新聞の報道に基づき調査したらこういう結果になったので与党は対策を考えろ」と言わないと、これは野党不信にもなってしまうわけです。

前のエントリ。いっぱいリンクがあるなぁ。

エキストラ募集のサイトって・・・そういう一般に広く知られてないところで取材協力者募集してんだ・・・んなの客観性に問題あって当然では。

古鳥羽さんとこだけど、まぁすごい執念の検証してるので。

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