まとまりなどない

こっちで触れてたネタ中心で。だらっと。

まず、

まぁ月光仮面とか昔からあるようだし、行かないのと比べてどっちが悪いということでもないけれど。でもそんなに面白いネタじゃないよね。「何やってんの?」って感じ。
選挙に興味があるならせめて又吉イエスとか新風とか当選しないところに投票して「事実上の反対票」にするべきなんだろうな。ネタで選挙行った人に望むべくもないが。
しかしらきすたで疑問を感じるのはむしろこれ。

治安がどーとかは偏見だと思うが、あの絵馬はなんだ。
遊びで祖国の伝統文化壊してんじゃねぇ。
他人が大事にしてるものを壊してるんだという意識はないのか?神社の景観ってのは信心深い人にとってどれくらい大事なものなのか、信仰心の無い自分には量りかねるが。
少なくとも自分達が理解しない文化に対する配慮というものが欠けているだろう。オタクに対する偏見が有ったとしても、こいつらだって同じ穴の狢ってワケだ。
盛り上がって色々なものが出てくるのは楽しいが、こういうのは歓迎しないね。
あとこれも酷い。

横浜市桜木町」ってのはいつからメルボルンになったのか。
いやまぁメルボルンにしてもグローブトレッカーってディスカバリーチャンネンルの番組で見ただけだが。メルボルンは移民が多くて貧困層が助け合いながら暮らしてたりしつつ、異文化の交流とやらで妙な物が多いらしい。スラムの若者が敬虔なユダヤ教徒でラビと知り合いだったり、不思議な感じ。新しいとんでもないのもある。液化窒素に卵付けて食べたりするの、あれなんだっけなぁ。
グラフィティ、スプレーで壁に絵を描くヤツも非常に盛んで、大体どこに描くかは決まってて、前のヤツが描いた絵の上に追加したり、自分の方が上手いと思えば容赦なく塗りつぶしたりもするとか。んでライブやってるラッパーがパフォーマンスの一環として「アーティスト」招いたりもすんのね。
まぁメルボルンにしても公認してるわけじゃなかったと思うが。苦肉の策だよな普通。壁だって所有物なんだぜ?

ネットの影響ねぇ。でもネット層でも人気の番組って結構あるみたいなんだよな、バラエティで。
タグ トリビアの泉
タグ リンカーン
タグ 探偵ナイトスクープ
タグ ダイバスター
ほらほら、面白そうではないですか。
まぁ何が嫌って「ネットで十分」と思わせてしまうようなどうでもいいタレント中心のトーク番組とか、コミック原作かなんかしらんがアニメよろしく金髪パーマの獣医がいたりして実写のリアリティを軽視したドラマとか、スポンサーに媚びて情報としての価値が無い広告番組と化した健康番組とか・・・どうも作る側の都合が見え隠れしてる気がして好かん。

むしろアニメの良作が多くてゲームやる時間が取れない件。
アニメといえばこんなのがあった。
ロボットの合体設定は「スポンサーに取り入るためで、何の必然性もない」らしい - [ 悠 々 日 記 ]/ YUYUKOALAのブログ

確かに一見無駄に思えるような変形をするロボットを
各所でよく目にすることがありますが、それを
「スポンサーに取り入るためで、何の必然性もない」
と制作スタッフが認めてしまうのも、なんとも複雑な心境です。

コメント欄でも賛否あるようですけど、何をいまさら。
押井さんだって「スポンサー騙して金を出させるのも仕事のうち」みたいなこと言ってたし、あのエヴァンゲリオンの人気キャラ綾波レイだって、最初は主人公としてスポンサーに提示されたってのは割と有名な話だろう。もちろん何食わぬ顔して暗い顔した少年に変えて、元主人公には「いくらでも代わりがいる」なんて言わせてしまうわけだが。そんな庵野監督が意識したと言われる富野監督だってコレもん。
Vガンダム考察
スポンサーと闘ったからってここまでキワモノになるのが凄い。駄作でなく怪作になるところが堪りません。
まぁ、作家としてワガママを通すことがファンに期待されているようなところのある富野さんよりも、天使の卵で好きなもの作って干されて以来、「一応スポンサーに義理は通す」という押井さんの方がアニメ監督という職業としてプロと呼ぶに相応しいかな、という気はしますが。富野さんは富野さんだからそのままでいて欲しいけどw
押井さんが正座して見ていたというウルトラセブンの実相寺監督も「制約の中で何を表現するか」を考え成功したんですよね。コミックリュウで追悼特集があってインタビューが載っていたんですが、何よりもまず予算がなかったと、これも有名な話ですが。
ただ、そこでクオリティを下げるということはしない。陳腐な演出をやるぐらいだったら「やらない」という選択をできたのが凄いところ。特殊効果や着ぐるみに金をかけられないなら脚本と撮影技術でカバーするという気合、そして「先鋭的な演出をしても子供の感性でついてきてくれる」と子供を信じて正面から対峙したこと。「毎週勝負だった」と語っているのだから、当時少年だった押井さんが正座して見たのも当然。