ボトムズの人

あの1/1ボトムズを作っていた西洋鍛冶の人が当時を振り返りながらのインタビュー。
物作りをしている人の考え方と、ネットで何かを実現するということ、そして対価を得るということ。これも面白い記事です。やっぱり抜き出してたらいっぱいになりました。
ちなみに記事の最後に触れられてますが、ご結婚されたそうでおめでとうございます。

 約1年を費やして鋼鉄製巨大ロボは完成、製作日記は『タタキツクルコト』という本になり、サンライズのアニメ版スタッフが“実物”の見学に訪れ、ついにはサンライズ自身がこの「ボトムズ」を復活させるきっかけにもなった(注:ヨタじゃありません。高橋良輔監督ご自身から直接お聞きしました)。

 ロボットをメインに据えた東京・水道橋の個展では、彼の日記に反応して集まったボランティア軍団が会場設営から運営までを担当、2万1000人の来場者を集める大盛況に。

ネットのことで言うと、思ったよりも自分でちゃんとコントロールできるというか、ネガティブな感じで押し寄せてくるものって、あまりなかったような気がするんですよ。

ブログで「いつ頃来られる予定かアンケートに答えて頂けると、これこれこういう理由でありがたい」とか「これこれの不足、不手際があるかもしれないけれど、これはこういう背景があって」と、いろいろなことをリリースしていったんです。そうすると、すごく分かってくれる。こちらを助けるように動いてくれる。だから、ネットを介してコミュニケーションを密にすごく取れていたような気がしましたね。

密にこっちからコミュニケーションを取ろうとしていくと、意外とみんな分かってくれるというか、すごく好意的に見てくれる。もちろん、ネットだとやっぱりどうしたって非難中傷はありますよ。

実際に、そういう話も聞かなくもなかったし。でも、自分が想像していたより、ネットの世間はこんなに好意的なんだ、なんて。

自分の場合でお話しすると、(制作日誌の公開を)7月に始めて、もう3日目ぐらいに、アクセス数が10万を軽く越え、世間にばっと広がったという、最初にあの怖さを知っちゃったから、ものすごく初めから気を付けていましたね。

 だから、世間様に毒を吐かないように、吐かないように書きましたもん、やっぱり。すごく怖かったから、本当に。それまでは本当にああいう公開の場でモノを書いたこともなかったし、ど素人がやっているから本当に怖くて、もう一度記事を書いたら1時間見直してという感じで、ずっとやっていたので。

会場設営のときも、ずいぶん色々なその筋のプロの人が絡んだみたいじゃないですか。

飛行機の整備士さんとかもいましたね。ゼネコンで「コンクリートにどれぐらい荷重をかけたら壊れるのか」という検査をやっている方もがいたから、「これは床落ち大丈夫かね」なんて言うと「どれどれ、ああ、大丈夫、大丈夫」って(笑)。フォークリフトをどこからか調達してくる人、名刺を作ってネクタイ締めて周りのお店や家に挨拶してくれる人、すごく面白かったですよ。

ここにあるもの全部俺が作ったんだよと言えるのが好きだった。そこから、「全部100%自前」という価値観から、自分が変化できた。それってすごく楽しいんじゃないかと。本当に自分が想像できないことの方が楽しい、というのがね。初めてですね。それも形としてというか、すごく分かりやすい形で見えてきた。

 物づくりの中にコミュニケーションが入ってくるということがこんなに違うものかということなのかな、言葉で言うと。

展覧会って、スポンサーはココログニフティ)なんでしたっけ。

いや、結局もう、お金的には全部自分ですよ、100%。

すごかったですよ。ぶっちゃけた話、活動費と、予備として手元にムニャムニャ円を用意しておいて、それで赤が出なきゃいいななんて思ってやっていたんですよ。で、お土産とカンパを兼ねて、会場とネットとで、ハンマーで刻印したボルトを1個500円で売ったじゃないですか。

それが、思ったよりずっとずっと売れたんですよ。

儲けが出ちゃったんですよ、逆に。

…でもそれ、言っては何ですがプチな儲けでしょう(笑)。

でも普通、個人が展覧会をやったら絶対赤字だから。それはもう間違いないことだから、自腹を切らずに済んでしまったことにびっくりで。

最近、色々な方と最近お話を聞いているとですね、「作りたいものを作ると、今のままだと絶対に儲からない」という話から始まるんですよ、大抵。

儲からない話は会社の中では通らないから、結局やりたくない仕事で、しかもあんまり報われないみたいな形になって。でも、一方でなにかを作り続けるためにはどうしてもお金って必要で。

そこら辺は常にテーマじゃないですか、本当に。だから結局、「やりたい物づくり」って純粋なプロではないわけじゃないですか。いつもアマチュアリズムの最先端を走っていっちゃうので、そうなるとどうしたってプロとは別のものになるわけですよね。お金をもらうためには効率よく作るという方がやっぱり必要だと思うので、そこは本当に難しい問題で。

組織にとっては分かりやすいですからね、電卓をたたいて答えが出る方が。ハリウッドじゃないですけど、この脚本家とこの監督とこの俳優を連れてくるという話をして、しかも完成できないときの保険はこれこれですと付けてビジネスにしていると。

それはしょうがないですよね、本当は誰もまだ見たことがないものを作りたいのに、説明できないから説明しやすいものを作る、というのが当たり前のことになっちゃう。難しいですよね。

結局、みんな口をそろえて言うのは、作ったものと世に出ていくものの間に挟まっている人の数がとにかく多すぎるんだと。

これだけの人数が食っていこう、と思うと、それなりの頻度で回していくために、作品が大量に必要になっちゃう、自転車を漕ぎ続けるじゃないですけど。これはまったく人ごとじゃなくて本もそうなんですよ。

なるほどね。それはでも、意外と、1人でやるとどうやってでも食っていけるんですよ。

要は大所帯で派手にやりたいんだったら、それはしょうがないんだけれども、自分の作りたいものを作るということを本当に念頭に置いたら、それを実現できる環境を作って、入ってしまえばいいだけなのでは、という感じですね。

余談を承知で予め言っちゃいますと、それができないなと思ったら、アシストに回るというのはすごくいい考え方だと思うんですよ、他人のアシストも才能のひとつだと思うし。あ、私、会社員として楽しく仕事をやっていけるのは立派な才能だなと最近気がついて。会社にぶら下がる、って意味じゃなくてね。

「なんだか変に簡単な」話は来るんですよ。仕事でも、わりと大きな話が。例えば『(某ゲーム)』ってあるじゃないですか。

あれのキャラクターを実際に作ってくれないかとか、あと『(某有名飲料)』で、何か作ってくれないかとかのお話が来たんです。

 けど、でも結局、あちらの考えることと、こっちの作りたいものにすごく差があって、そんなに簡単な話じゃないよ、お金も掛かるよと。で、流れちゃいました。

 そういう意味では、自分は理解されていないんだな、と思う部分がすごくあるし、だからこういう、あまり儲からない状況なのかな、とも思ったし。

タレントさんの名前とかも話にちょっと出てきたりしてね。「あ、楽しそう」とか思って(笑)。

思いますよね、もしかしたら会えるかな、とかね(笑)。で、作り手のそういう気持ちに、すごくネットの人って敏感な気がするんですよ。

何というのかな。作り手側の動機の純粋さというやつにすごく敏感。

誤解されそうな物言いになりますが、制作日誌では、ある程度意識して、動機の純粋さを見せた部分もあるんです。

マーケティングくそ食らえじゃないけど。

そこの中にネットの面白さがあるんですよね。結局のところ、最初にお金に縛られないと、こんなに楽しいんだ、ということだけじゃないですか。

で、何でもそうなんですけど、「こういうことをやりたいやりたい」ってネットにいくら書いても誰も食い付かないけど、「こういうことをやっちゃった」というと同じものにも食い付いてくるじゃないですか。プレゼンとかもそうですよ、こんなのをやりましょうと言うよりも、会社をつくって、どう? と言っちゃった方が早いとか。

あ、それは、リアルの世界とネットとをつなぐ話ですね。そうなんだよね、現実に動き始めたもの勝ちなんだよな、基本的に。

 で、そういうことってたぶんそんなに儲からないんですよ、だから光吾郎さんのボルトの話も、光吾郎さんは「すげえ」って言うけれど、「あれだけやってたったそれだけ?」と思う人もたぶんいる、というか、きっとそっちの方が多い。1個1個ハンマー握って打ち込んだ刻印付きでしょ、腕が上がらなくなるくらいやって作ったにしては分が悪いよね。

 でもそういうことじゃなくて、例えば、やりたいことをやって400万円というのと、やりたくないことをやって4000万円…だったら心が動いちゃうかな(笑)。まあ、800万円としましょうか、それぐらいだったら、やりたいことやって400万円の方がいいかなってありますよね。

お金イコール労働の代償じゃないですか、本来は。

例えばあぶく銭でも何でもいいから4000万円つくって、4000万円のマンションを買うのと、収入がゼロでも自分で家を建てて、同じものを建てたら、これって価値としては同じですよね。でも何となく4000万円をもらった方がリッチなような感じがするという。

 結局、お金が儲からなくたってそれ相応の、自分で作り出せば同等の生活ができる可能性があるんだけれど、そういうのってまったく無視されちゃっているじゃないですか。

このドームハウスは300万円の予算で、10カ月間の自分の労働で建てたんですが、お金に換算したら、外注で建てた場合は1000万円とか、1500万円とかにはなっているかも。

ということは、僕がその年に1000万円以上の収入があったのと同じじゃないですか、本来は。でもお金持ちな感じはしないんですよね、自分でやると。

金銭で満たされると、要は心が弱いからやらなくなるじゃないですか、そうするとものすごい自己嫌悪が襲ってくる。

だからお金が仕事でいっぱい入ると、何かガラクタをいっぱい買ってそれで何か作るとか、そういうことをしないとだめなんですよ。

お金があると、もう仕事が入ってこないような気がする人なので。無理やりにでも使っちゃうから、すごいいっぱいお金があっても持て余すだけ。

「こんなにいっぱいガラクタ買えないよ」みたいな。

だからすごいお金があったら、多分どうしていいか分からなくなる。

あとお金が手に入ると、人よりか苦労して金を使わなきゃいけないような気がするし、一番面白いお金の使い方をしないと何かいけないような気がするんですよ。

それでこれ買ったんですか、この馬鹿でかいスクリーンと映画館そのものの椅子。

でもこれ、スクリーンが8000円ぐらいですよ。自作したんで。

映画館の椅子は?

あれももらい物だしね。

難しい人だな。自作できるからお金使えないじゃないですか。

映画館の椅子をもらったから、じゃあ、と、プロジェクターを買って、スクリーンも作ったんですよ。

逆ですよ、普通。

でも物が欲しいって、何かをやりたいから物が欲しいというのがやっぱり最初にあって、欲しい物を自分で作れるならそのほうが。

Webで一番みんなが欲しがる、というか見たいのは、ムダな努力だったりとか、空回り感とか、そういうものなんだと思う。それを人はすごく見たがるなということを思ったから、ボトムズという、ああいう感じでやってみたこともあるんですよ、実は。

 一番大事にしたのはムダな空回り感。ネットではそういうふうなことをみんなが欲しているということも分かるから、逆にそういうこともできるわけじゃないですか、逆手にも取れる。だから使い方、使い道ですよね。

結構、失敗って、他人から見ると魅力的なことっていっぱいあるじゃないですか。

だからそこだ。実際問題、そういうのって格好悪いなと思うのは意外と自分だけだったりという感じもするんだけど。世間から見れば結構楽しいだけの話だったりするし

多少有名に、無名ではなくなったわけじゃないですか。そうすると何がよくなったかというと、お金をもらって自分の好きなものを作れる可能性が広がったんですよね、まず。

 だからそれをもうちょっとコントロールして、大きくなり過ぎずに、まず舞台づくりをしたいというのが取りあえずの目標ですよね。そこから先はもうどうでもいいような感じです。本当に何をやったって、最終的に自分の作りたいものを作りたいというのが目的になっちゃうので。

自分の作りたい物か。手を動かせば作りたいものを作れる、1/1の鉄の「ボトムズ」だって作れる、というのに、いろいろな人が気付いた。これは本当にでかいと思うな。

でも作るというのがそんなに難しいことですかと、本当にみんなに聞きたい感じはありますよ。

最近感じる温度差というのは、要は倉田は好きなことをやって暮らしていると。端から見るとどうやら、好きなことをやって物を作ってそれが一応生業になっているというレベルなのに、それが「結構、金になっているんじゃないか」と思われているようなきらいがあるんですよ。だからどうやったらそんなに効率よく好きなことをやってお金を儲けるんだと聞かれることがあります。

 実際には、いかにお金をやりとりしないで心豊かな生活を(笑)、という方面じゃないですか、どっちかといったらね。だから何だか、ビジネスの成功者としてという感じで、興味を持ってくる人がいるのがちょっと驚いたですね。

あれこれ考えていくと、個人にとってお金って何なの、みたいなところに行き着いちゃう。

例えば、株は物を作っているヤツがいるから生まれたわけじゃないですか。全員が株をやりたいって言い出して、物を作らなくなったら話にならないわけで。あれは「××をやりたい」という夢というか、悪く言えばホラ話に金を張るためのシカケだったはずなんですよ。

この会社を応援したいから株を買うというのは、生っちょろい話に聞こえるんだけど、一番正しい姿なはずなんですよ、やっぱり。

 そうだ、今思い出したんですが、展覧会の話でちょっと補足させて下さい。あそこには、実は男の子の好きなことが全部集約されているんですよ。

まず自らのお金を賭ける、というギャンブル性がある。自分でリスクを取って打つばくち、そういうことって人から見て面白いし、自分でも面白い。そして、色々自分でできることを持ったヤツらが集まってきて、いっしょになって何かやる、戦隊ものとか軍団的な、そういう意味合いの楽しさもあった。部活とか合宿のノリもある。突き詰めていくと全部それなんです、後から考えると。