攻殻の評価

  • 外国人の見方

http://ask-john.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_f6cb.html
「メカ」って言葉に最初は戸惑ったけど、わかってらっしゃる。
攻殻機動隊の魅力は原作2巻目に「MAN MACHINE INTERFACE」と書かれていることにも表れているが、人と機械の関係に重点を置いた表現だ。
物語の初期は身体を機械に置き換えたことで社会や意識がどう変わったのか、作品世界に起きる犯罪とそれらへの対処によって表現される。交換可能な身体を持ち、仮想空間で現実と変わらない体験をすることも可能なサイボーグ達。特に能力のあるものは、遠隔操縦によって複数の身体を使い分けることや、接触した他人の意識と身体を制御することも出来る。
それでも完全に機械化はできず脳幹部は生身のサイボーグ、あくまで義手や義足の延長として可能な部分のみ肉体を置換した「義体」なら、自分が自分であることは生身の脳に保証されていると言えるのかもしれない。
しかし本当にそうなのだろうか。すべて機械に置き換える事が技術的に不可能で無くなり、脳をも完全に機械化することが可能なら、自分が自分の身体とまるで無関係に存在することにはならないのか?
作品中には人間以外の「知性」が登場する。高度な人工知能であるフチコマ*1は学習から新たな概念を獲得して成長し、謎のハッカー人形遣い」の正体は情報としてのみ存在する「知的生命体」とも呼べるプログラムだった。
そして物語はついに「人間」の素子が肉体の束縛を解き、情報の海に生きる新たな生命体に変化するという結末を迎える。
この物語のアニメ化を手がけたた押井監督もまた、人間の認識、何を現実と捉えるのか、という問題を含んだ作品が目に付く人であり、なんとなれば物語の終盤でそれまで現実とされていたものを全部ひっくり返して無かったことにさえしかねない、自分自身も偽った存在かも知れないという疑念も有り得るという、ほとんど哲学的な要素を持つのだから、自身が存在するとは何だ?ということが当然アニメでも重要になる。
押井さんの映像的な魅力で引き込まれ、士郎正宗の近未来的世界観にシビレ、見てるうちに「人間て何だ?」とか考えさせられてしまう。押井さんは「攻殻」の思考的な部分を際立たせた。
イノセンスの公開前、歳のせいか最近「身体性」に関心を持っていると語っていた押井さんだけど、前作の時からそうだったのかな。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=413
宮台さんは社会を見る視点を提供する作家として押井さんを応援したいのかな?
あと萌えキャラが無いのが良いって評価してる(w
(´-`).。oOほとんど好き嫌いしか言ってない気がするのはよく読んでないからだろうか。

*1:アニメでは名前がタチコマになっている