日本刀やら何やらの消えてた部分

一応引用してた部分だけメモが残ってたので復活。何の話してたか忘れてしまった。

 熊手愛好の理由は、鎧を着込んでいますから、突いたり切ったりするよりは海に落とした方が手間がかからないことと、相手の船の舷側を捕まえるのにも使えるからですが、そういえばTVでは見ませんね。

 なによりも、竹製の熊手の場合、錆びずに単価が安い上に水に浮くというコストパフォーマンスの高さがあります。

 あまり考えたくないでしょうが、浅瀬で海戦をやるのでなければ、海に落とした刀や槍の類は回収不可能ですから、コスト意識がないと長期間戦い続けることはできません。

 ところで、時代劇の刀法と海賊刀法がどうちがうのかというと、1本の場合は、刀を時代劇のように刀として使わないというところが最大の違いです。

 つまり、柄の部分を上手に使い、棒としても使えないと実戦では役に立たないというのが海賊刀法の基本です。

 刀は武士の魂かもしれませんが、海賊にとっては、刀は所詮いつかは錆びる物という発想がありますから、分類は基本的に消耗品です。

 銘刀が嫌いというわけでは無いのですが、有名な刀工の作った希代の銘刀といったところで、海戦で竹製の熊手に絡め取られれば海へポチャンということになりますから、あまりありがたがりません。

 2本と言うと宮本武蔵が開発したようなイメージがありますが、倭寇の昔から瀬戸内西部から九州北部にかけての海賊が2本使うことは珍しくなかったようです。

 これは、1本を盾の変わりに使うのが特徴で、別に二人同時に斬りつけるという使い方をするわけではありません。

 また、2本使うケースは、野戦の時に多いので、両手に刀を持った倭寇が戦場を走る姿を蝶の舞いに例えたともいいます。 

 よく、首を刎ねるとき、首の皮一枚を残すのがどうしたこうしたというのは山田流居合の特徴ですが、実際には首切り専用の刀や首切り姿勢など細かな工夫もされています。

 ちなみに、首切り専用の刀というのは刀というより鎌に厚みを付けて無理矢理刀にしたといってもいいような形状で、よく漫画なんかに出てくる死神の鎌なんかとは違いますが、いわゆる日本刀とも違います。

 現在は、千住回向院に保存(一般には非公開)されている歴代が使っていた(推定で500人の首を落としている)とされる太刀を検証した人の記録によると使用不能となるような刃こぼれ等を起こしていないといいます。

 参考までに、一般論として、200人程度の首を落とすと日本刀は修理不能なほど損耗して寿命となるそうです。

 ある意味で、日本刀に精神性を求めるようになるのは戦争が終わった江戸時代になってからのことで、日本刀が護身用の武具として一般化したからだともいいます。

 つまり、弓や槍のような殺傷能力の大きい武具を市中で携帯することが禁じられた結果、残った武具で殺傷力の大きい物として日本刀が残ったということでしょうか?

 実際、江戸時代には賄差しが主流になり、脇差しが日本刀の代名詞になっているのですが、サイズから言えば「大刀>脇差し>小刀」となります。

 さらに、戦場刀として知られる同田貫(どうたぬき)となると「同田貫>大刀」となるのですが、このサイズを超えるとさすがに刀として使いにくくなるためか佐々木小次郎の”物干し竿”のように使う人を選ぶようです。

 日本刀は海外(特に中国)への輸出品としても知られているのですが、これは倭寇の陸戦における主力兵器が日本刀だったからだそうです。

 どのくらい一度に人が切れるのか?という疑問を持つ人が多いのですが、腕によってかなり違います。

 下手は切る前に自分が切られてお終いですが、達人は一度の戦で20人くらいは切っているようです。

 もっとも、彼らは日本刀に精神性を求めませんから、自分の刀が駄目になれば躊躇無く相手側の刀であっても使っています。

竹槍なんか使い物になりそうもないのですが、その抜群のコストパフォーマンスもあって白兵戦では結構愛用されています。

 実際、その辺の武術の心得のない百姓でも体重をかけて突き込めば鎧程度なら貫通するすることができます。

さて、鎧を着ている人間を殺傷する場合、何カ所か攻撃を加える定番の場所があるのですが、これは研究しつくされている感があります。

 良く知られているのは、鎧のつなぎ目や関節の部分で、当然、表より裏の方が弱点となります。

 従って、古い流派では篭手(こて)切りや脚切りが普遍的に存在するわけで、胴切りというのはほとんど存在しません。

 つまり、乱戦の中で鎧を着ている人間の胴を切ろうとしても切れるものではないということです。

 したがって、鎧を着ている人間の胴を攻撃する場合は、衝撃を伝えるという方向に技術や武具が進歩したようで、皮肉なことに当て身技が有効となりました。

 パターンとしては、相手の腕を無力化して胴に攻撃を加え、動きが鈍ったら地面に倒して首を刈るといったところでしょうか?

 ただ、戦国時代というのは日本刀を振り回すよりも槍を振り回すのが武者だったので、いわゆるチャンバラには成りにくかったそうです。

 また、鎧にしても鎖帷子にしても、実戦をかいくぐってきた人にとってはあまり意味のない工夫だそうで、切れないのなら切らなければいいのだそうです。

 実際、腕に覚えのある人達は刃引き(刃を潰す)してある日本刀や、その辺の石を使って臨時に刃を潰して使っています。

 これは峰打ちなどにも言えることですが、切れ味の悪い日本刀を使うくらいならば鉄の棒として使った方が有効という経験則による結論らしいです。

 刃引きや刃を潰すことで、刃の部分が鋸刃状になるということもあるのですが、多人数切りというのはいつの時代にも話題になる事のようです。

 いずれにしても、人を切ると脂が刀身に巻いてきて切れなくなるそうですが、下手だと2,3人で、達人で20人前後が一本の刀では上限になるようです。

 ただし、達人の20人前後というのはそのくらいで次に向かっていく人がいなくなった結果らしいので、更に上があるかもしれません。

 考えてみれば、江戸時代に帯刀が許されたというのは、銃はもちろん槍や弓の携帯は禁止されていたからで、殺傷力がこうした武具に比べればほどほどだったからという当たり前の話になっていきます。

 実際、戦国武者で”槍の〜”という有名人は結構いますが、”刀の〜”という有名人は治安が落ち着いてきた江戸初期くらいからの話しになります。

 見えるところといえば、柄の部分などもそうですが、これは鮫皮に糸を巻いたものが一般的だとされています。

 で、こだわる人は目立つ糸の方ではなく下地の鮫皮の方にこだわっていたようで、かなり高値で取り引きされるようになっていきます。

 鮫なんてたくさんいただろうにと疑問を持った人は正しい感覚の持ち主で、実際には鮫皮ではなくエイの皮で、それも上質なモノは東南アジアからの輸入に頼っていたといいます。

 日本刀といいながら、次第に国産100%から海外の輸入品を組み合わせるようになっていくあたりは、現在の日本にも共通しているのかもしれません。

 ちなみに、人の骨というのは角度によっては案外と銃弾や刀剣を撥ねる事があり、斬りつけるより刺す方が殺しやすいという人が多い所以ではないかと思います。

 ところで、鎧の重さが20キロくらいあるとすると、体重が50キロの人でも静止している状態で70キロの荷重が足底にあるわけでして、これが逆さになると静止状態でも首の部分に50〜60キロの荷重がかかることになります。

 ましてや、これが1mから1m50cmくらいの距離を高速で移動して運動量を持つと?はたして頸椎が耐えられるかどうか微妙な話になってきます。

 もちろん、その荷重を肩や股関節といった細くて複雑な関節に集中させれば?即死とはいわなくても、手足が折れて事実上の戦闘不能状態となる可能性は高いわけです。

 こうした部分は、鎧などで防御しようとしても可動性を持たせなければならないという制限がありますから、どこを如何に壊すかということは、かなり研究されたようです。

 したがって、素肌の状態では不合理な技も甲冑を着けてみればなるほどというケースがあったりするのですが、そうした技が使える人がほとんど ・・・ あるいは完全にいなくなっています。

 そろそろおなじみになってきた尺(一尺が約30cm)だと、一尺〜一尺五寸程度(地域差、年代差、役職の別などがある)の十手が岡っ引きサイズなのですが、火付け盗賊改め方などは三尺を越えるサイズを使っていたようです。

 逆に、考えてみれば十手が長くなれば重くなるわけで、自前の二本足で市内をウロウロして情報収集するのが仕事だった岡っ引きにとって日常的に携帯するのには長い十手というのは勘弁してくれという話だったのかもしれません。

 日本刀など物騒な武器をもった相手を取り押さえる事がわかっているときには、棒や刺又といった日本刀よりリーチの長い道具を装備していたようですし、網や梯子、大八車などなど、時代劇のように十手ですべてに立ち向かうなんてことはなかったようです。

 座頭市の殺陣に代表される逆手切りは、格好は良いのですが、実用性があるかどうかでは論が分かれているようです。

 常識的に考えて、まともに構えたときと、逆手に構えたときとでは、少なくとも刀身の長さだけリーチに差が生じますから、逆手の方が不利です。

 もっとも、これも相手に接近してしまえば、一概に不利とは言えなくなるのですが ・・・。

 古流で逆手切りといえば、抜刀する瞬間の抜き方が逆手になっている逆手抜刀とでもいった技が香取神道流や関口流抜刀術など、幾つかの流派で知られています。

 具体的な要訣はこんなところでは書きませんが、黒澤明監督の名作「椿三十郎」の最後の決闘シーンに典型的な逆手抜刀が描かれています。