なんだか知らんが特別扱い

一部では「生まれつき特別な子供」っていうのがいると信じられているわけです。

直感力に優れいているインディゴは「嘘発見器」的な、鋭い感性を持っていますので、周りの嘘には敏感です。
誰かが嘘をついている時には、インディゴは即座に見抜きます。
また相手が心から真実を話していない時、理解していない時にも、即座に感知します。
真実を正直に話してくれることを望み、誠実な対応を受けていないときなども敏感に見抜きます。

というインディゴチルドレンの特徴を見るとき、集団生活での困ったくん困ったちゃんのなかに、こうした性質を顕著に認めることができるかもしれません。

インディゴだのクリスタルなんて名前を付けなきゃ「変わった子」と向き合うことができないのか。
普通の子供というイメージに振り回されてそこから外れた子供を分類したがるのは差別じゃないのかね。

はっきりと認定できない曖昧なケースもある。自閉症において、知的障害を伴うが並外れた能力を持つサヴァン症候群をギフテッドに含むことは原則ないが、強い感情作用、驚異的な集中力、高い知能指数を持つアスペルガー症候群にはギフテッドの定義に合う子供が多い。アスペルガーの子供をギフテッドに入れるか発達障害児クラスに入れるかは、専門家や学校の判断に依る。

それは普通にアスペルガーなんじゃないのか?

日本国内においてギフテッドの定義が浸透しないのは、欧米の機会平等主義に対して日本が能力平等主義であること、一人一人の人間が天・神によって創られているという欧米の宗教観に対して日本では血にこだわる素朴遺伝観が強いといった差が要因にあると言われている。この相違点は氏か育ちか論争(Nature VS Nurture)にも繋がる。

いや、そもそもギフテッドなんて発想が遺伝子にこだわってるだろ。生まれつき優れている子供をそう呼ぶんじゃないのか。

「ギフテッドは生まれつき」という概念を浸透させるには、血にこだわる日本社会において遺伝子論争や優生思想を避けては通れないため、ギフテッド・プログラム導入には非常に慎重にならざるを得ない。しかし、たとえ100人に2人程度しかいないとはいえ、日本にいるギフテッドの子供達の支援も考えていく必要がある。

いいからそれぞれの子供が現在置かれた状態に応じて接してくれ。
大体「生まれつきこういう特性を持ってるんです」というだけなら名前なんかギフテッドでもアスペルガーでもどっちだって良いはずだ。なんか意味あるのか。