ある意味巨星墜つ

彼の報道は、私なりに考えて「筑紫哲也の」もしくは「筑紫哲也News23の」見方を流す報道手法だった。

表現の自由、という意味では別に悪いことではない。

しかし、私が彼を(もしくは彼の名を語る報道を)批判していたのは、その主義主張を一方的に流し、もしくは報道に都合の悪い内容を歪曲、無視を徹底的に決め込み、出来上がった「素材」を「報道の自由」「平等・中立」「客観的報道」の名を騙り伝えるという報道手法であった。

ジャーナリストであれば、本来許すべきでない報道素材の歪曲を、彼は許してきた側面がある。

そして、その報道内容を創り続けてきたスタッフ。その作業を許してきた放送局。問題を正面から批判をすることなく、表面的な批判しかできなかった業界。

しかし、彼が残してきたこれらの足跡や荷物を、私は負の遺産だと決め付けはしない。むしろ、メディアの報道手法として、今後に突きつけられた課題だと考える。

彼がメディアに残したものについて、今後どのように処理するのか。業界の中でどう活かしていくのか。問題点や改善点を見いだし解決していくことにより、彼の残した「遺産」が素晴らしきものに変わるだろうと考える。

大きな損失だと鳥越氏は語るが、筑紫氏の残した遺産を有効的に使わないことのほうが、よほどの大きな損失だ。

彼の残した遺産を有効利用しなければ、それは「負債」となって後の世代に、つまりは後輩のメディア関係者にのしかかってくるのだから。

まー期待はしない。まだ色々居座ってるんだろう。10年経ったらどんな感じかなぁ。
それにしても半島から惜しまれてますなぁ。