ヌード

結構前にこんなのがあって。

アニメ系の専門学校かな。ヌードクロッキーやらせると気分が悪くなって退出するヤツがいるんだと。
で、体験談。

始業のベルが鳴る。そして先生が「それでは、お願いします」とモデルさんに声をかける。するとモデルさんはやおら椅子から立ち上がって、ふぁさっとそのワンスピースを脱ぎ捨てる。それは一瞬のできごとだ。モデルさんは一瞬ですっぽんぽんになる。それでおれは、ははあと理解できる。つまり脱ぎ捨てる時間を最小限にするために、そういう変な格好をしているのだ。それはきっと、服を脱ぐという行為がエロを感じさせるからだろう。エロとは、実は裸よりも服を脱ぐことにあったのだ。

良く考えられてるなぁ。ちゃんと服着てたら学校でストリップショーになっちゃうもんなw

さて、では肝心のモデルさんである。モデルさんに言えるのは、限りなくエロを消しているということだ。それはもう、全身からその雰囲気を消している。身体はきれいにしているかも知れないが、今から考えると、てめえの男の前では絶対そんな格好はしねえだろうなという格好だ。まず化粧っけが全然ないのである。確信犯的なノーメイクだ。産毛はあえて剃らない的なところがある。吹き出物も、あえてそのままという感じ。髪は櫛さえ通さず、洗いざらしのを後ろで無造作に束ねている感じ。それはもう、生身と言うのも生易し過ぎるほどの生身なのだ。おそらく普通に暮らしていたら、一生見ることはできないだろう、女性のありのままの姿なのだ。それがしかし、おれにはちょっと助かった。おかげで、モデルさんを人間としてではなく、単なるタンパク質の塊と見ることができたからだ。

それをそのまま描いて、エロスとは違う美しさというか存在感を出せたら成功というのがヌードを描くことなのかな。野生動物でも描くように。

そうしておれはヘトヘトになってその日の授業を終えた。裸の女性を描くということは、これは絵を描くこととしては刺激的で面白かったけれども、もうあの雰囲気はこりごりだと思った。そして、ガチガチに緊張していたためか、幸か不幸かそのモデルさんにエロスを感じることはなかった。そのため、美穂ちゃんにはしたない顔を見せるようなことはなかったと思う。

絵を描き終わって、美穂ちゃんとちょっと話した。美穂ちゃんは「どうだった?」とかちょっと意地悪く聞いてきたけど、純情だったおれは「いや、意外と平気だった」とか答えていた。しかしおれが思うに、大野先生の授業でやられてしまう男子生徒が多かったのなら、それは女性の裸のリアルさというよりも、あの教室の雰囲気ではなかったかと思う。おれが生徒だった時はさすがに気持ち悪くなって出ていったやつというのはいなかったと思うけど(ただ女生徒の方が多い教室ではあった)、しかし男子生徒がみなヘトヘトになっていたことだけは確かだった。

うわぁ・・・まったく居心地悪そうだわ。きっついなぁ。
こっちも面白い。

ヌード描きたくないと言った女子と、恥ずかしくてじっと見られない男子は、同じ"異常"な状況に対するネガポジの存在なのだった。

違う話だけどこれも。

そもそも三次元世界を二次元上に再現する(再現的に演出する)というアクロバットは、その人の中でほとんど世界をまるごと一つ作り直すに等しい。けれども、違和感なく「自然」に見える絵とは、すべてをバカ正直に写し取ったものではなく作為の塊だということを知って、学生は画用紙に向かうのを怖れなくなる。

細部がバラバラだった画面に何とかまとまりをつけ、統一的な奥行き感が出せるようになった学生の後ろに立って、「神が降臨したね」と私は言う。「うまいこと騙せるようになったね」と。鉛筆をサクサク動かしながら「騙すコツがわかった」と彼は答える。

本物を見て女性を描いたことがある人とそうでない人では、「詐術」の上手さが違うだろうな。