RD7話

7話目「手と手で」 は前回の「ラブ・レター」に続いて良い話でした。
ネタバレしますが、そんなことはあまり重要じゃ無いように思います。知ってても十分共感できるでしょう。
テクノロジーの進化によって犬と意思の疎通が可能になった時代。「バウリンガル」みたいなものじゃなくて、本当に犬の思ってることがわかる。記憶を覗いたり、犬の思考を言葉として受け取ったりできる。そんな時代の愛犬家はさぞや良い関係を犬との間に作り上げるだろうと思いきや、事はそう簡単でもないんですね。
意思の疎通が可能である、ということは、相手の望みを理解できることとイコールでは無い。
このことを表現する為に、現実のテクノロジーを延長した近未来の世界がとても上手く使われている。ファンタジーでもできるかもしれないけど、近未来SFの方がより現実の問題として受け取りやすいと思います。
飼主が犬のことを理解したいからといって犬になってしまったら、犬は幸せだと思いますか?
犬を愛するあまり犬と意識を入れ替えて*1しまった愛犬家。
これが「魔法」だったら身体を犬に変えるのは理屈も要らないし、間違いに気付いて戻せば終わりという話でしょう。戻せない理由をつけるとしても説得力を持たせるのは困難な所じゃないでしょうか。しかしRDではメタルの仮想空間で意識が変容してしまう危険が度々描写され、この愛犬家もまたメタルから戻って来れなくなる可能性がある人物として描かれました。彼は現実と人間の肉体を捨て、仮想空間で犬の意識を獲得した上で自分の犬と会いたかったようです。それを止めにいくわけですが、間に合わければ取り返しのつかないことになる、そんな緊迫感がありました。
ハルの説得もあり結局阻止しますが、人が犬になったら犬は喜ぶのか、その答えはNOです。
男女で考えてみましょう。愛しているからといって、相手の性を理解する為に異性と同化することは正しいのでしょうか?愛しているのは男の彼、女の彼女であり、差異を望んでいるんじゃないでしょうか。
人が犬になったら食事を作ることもボール遊びもできない。飛びついたり抱きしめられたりできない。今の関係で犬が喜んで受け入れていること全てを台無しにする過ち。
相手に同化することが相手を理解し受け入れることではないのに、勘違いしてしまうのも愛の深さ故という、これも又切ない話なのでありました。

ところで今回はミナモが走り回っていましたが、役割分担がはっきりしてきましたね。
ハルは車椅子ですから、基本的に動くのはミナモの役割。ハルがメタルで何かをするなら、ミナモは現実世界の調査担当といったところ。
ハルがメタルの中では若い姿なのも、現在の役割を表現しているのだろうか。勿論彼の意識が若い時の感覚を取り戻しているという、彼にとってメタルが大切なものであることを表現しているのも確かだけど、アニメの手法として・・・あのクソ笑った、セーラームーンの変身BGMでたゆたうジジイじゃないけども、ハルはジジイとしてミナモを見守りアドバイスする役割からメタル突入で変身するわけですね。事故で失われた若かりし日の自分に。(EDの亀は浦島太郎?メタルの海から帰ってくるとジジイだしね。)

こういう特徴的なお約束を毎回の様にこなすというか、構造を備えた作品ていうのかな?
それでいて特に決まったテーマがあるわけでもなく、毎回様々な事件が起きては解決するという自由のある構成なので、かなり面白い話が突然出てくるだろうと期待しています。構造をどう生かしてくれるだろうか。

メタルが海として表現されるのは思考が泡になるような視覚的表現をし易いからというのもあるのかな。

*1:描写は無いけどメタル上に存在する意識をそのままにして「繋ぎ変える」ようなことをしていたんだろうか?肉体上に脳がそのまま残っているので、完璧に入れ替えるのではなくエミュレートするようなことしか出来ないだろうし。