不幸でも知ることを選びたい

「ペイル・コクーン」の評論でボルヘスの「バベルの図書館」のようだと書かれていたが、私はボルヘスの作品に漂う空気、一言で言って無常感のようなもの、他のどこでもない今ここに居ながら、あまりにも広大な宇宙の、本当は自分が知っているわけなど無いはずの途方も無さを思う、そんな「幻想」の感覚・・・こんな小さな存在が確かにここにあり、はかり知ることの出来ない時間と空間を心に感じようとすること。それが起きることの偉大なる不可思議さへの賞賛と、無限と永遠の前には全てが無に等しいことの切なさ、それが同時にある感覚・・・そういうものを少し感じた気がした。
実際のところボルヘスを読んだことがあるのはほんの少しで、短編集「パラケルススの薔薇」と「幻獣事典」ぐらいだったりするのだが、短編「疲れた男のユートピア」はとても印象に残っている。
どこか別の世界に迷い込んでしまった主人公。あろうことか印刷が人類最悪の発明とされている世界。
記録というものが無く、情報が無く、歴史も無い。文化はそこでだけ生まれて、消える。人々はただ日々の糧を得、自分のために必要なものを作り出し、他の物を知らないのだから必要以上に望むこともなく、偽りを巡って争うこともせず、静かにひっそりと暮らしているのである。
なるほどユートピアかもしれない。穏やかな暮らし。緩やかな、何も無い日々。
TVの無い暮らしをすると穏やかだという。ネットも必要以上に使わない。無くても何とかなる情報は手にしないで生きてみると、それは穏やかなのだと。そういう話もある。我々は情報に心をかき乱され振り回されているのだと。
でも情報というものを否定したらどうなるだろう。個人はそれでも良いかもしれない。ただ社会に取り残されるだけだろう。そういう自由や幸せというのもあるのかもしれない。けれど何が有利かわからないから競争には敗れてしまう。歴史や文化も伝えないのだから自分達が何者かということも溶け去っていく。全てが曖昧に、良いも悪いも無く、区別は無くなっていく。
誰も知らない場所であるのか、或いはみんなが全部そうなのか、とにかく情報を捨てた者しか居ないユートピア。なんだか哀しい。
ユートピアとはどこにも無い場所という意味なのだという。その名の通り有り得ないユートピア。そんな風には生きられない。今この現実では情報が必要で、それが必ずしも幸福な生活で無くても情報を求めて目を凝らし耳を澄ます。我々は自分で選ばなければいけない、何を信じるのか。些細なことでも一応は選択し続ける。そんな世界のネガ、有り得ないユートピア。情報の海でもがき疲れた男のユートピア
昔のことも今のことも、知らない方が良いだろうか。

拾い集めてみた

平原の道を進んでいる。右にも左にも境界は見あたらない。道は平坦ではなかった。雨が降り始めた。
道の先に一軒の灯りが見える。家の戸口を開けてくれたのは恐ろしく背の高い男だった。
彼はラテン語で話しはじめた。どうやら私は別の世紀にきてしまったようだ。彼の世界では言語の多様はあらゆる危険を助長する故、世界はラテン語公用語としている。彼は過去にも未来にも現在にも関心はなく、事実にさえも意味はないと考えている。彼の世界では、「名前」がなく、学校は「懐疑と忘却術」を教え、「お金」も存在しない。彼らには「情報」もなく、「科学」や「芸術」はみずから創り出す。「都市」は崩壊し「政府」も存在しない。
彼らは自ら家を建て、畑を耕し、一人の息子をもうけ、百歳を過ぎると死すべき時期を自ら決める。
扉をノックする音がする。背の高い女が一人と3〜4人の男が家の中に入ってくる。家の主と女が簡単な会話を交わし、全員で家中の荷物を運び出し、取り払った。15分程歩いて着いた先は火葬場だった。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/9986/borges1.html

二千冊もの本を読める者はいません。わたしも、今まで生きてきた四世紀のあいだに、半ダースの本も読んでいません。それに、大事なのは、ただ読むことではなく、くり返し読むことです。今はもうなくなったが、印刷は、人間の最大の悪のひとつでした。なぜなら、それは、いりもしない本をどんどん増やし、あげくのはてに、目をくらませるだけだからです。

http://www.tail-lagoon.com/note/?ID=B00036

「まだ博物館や図書館はありますか?」「いや、悲歌を創作するためならともかく、我々は過去を忘れ去りたいのです。……各自がその責任で、必要とする科学や芸術を産んでいかなければならないのです」

http://channel.slowtrain.org/movie/column-eigasi/002/eigasi0202.html

 「政府はどうなりました?」
 「いい伝えによれば、次第に廃れました。政府は、選挙を公示し、宣戦し、税金を徴収し、財産を没収し、逮捕を命令し、検閲を課そうとねらいましたが、地球上の誰ひとり、従おうとしなかった。新聞は記事や写真を発表するのをやめてしまいましたし、政治家たちは、清廉な職業を見つけなければならなくなりました。ある者は立派な喜劇役者になったし、ある者は、見事なイカサマ医者になりました。もっとも、現実は、こんな要約よりは、確かにずっと複雑だったでしょうがね」

http://www.ohmynews.co.jp/news/20070501/10677

それは何かの引用ですか?」とわたしは訊ねた。
「確かに。もはや、われわれには引用しかないのです。
言語とは引用のシステムにほかなりません。」

http://toko88.exblog.jp/2770100/