ナウシカ読んだ

実は映画版見てなかったりするが、ナウシカのコミック版を貸してくれた人がいたので読んでいた。
月並みなことだが素晴らしい。映画製作の傍ら休載を繰り返し、13年もの年月をかけて少しずつ書きつづけられたこの作品には、それだけの深みが出ていると思う。
この作品には熱心なファンがいて解説サイトもあるので、そちらも交えて。
製作過程や休載時の心情はこちらで紹介されている。

これほどの作品を描くことを可能にしたのは主人公の少女ナウシカに対する思い入れの深さなのだろう。
1巻あとがきではその名の由来となった神話と、イメージの一部を担った日本の物語について宮崎氏が語っている。

神話の王女ナウシカと虫愛ずる姫君、共通するのは純粋さである。
血塗れの男だろうが虫だろうが分け隔てなく扱い、野山を駈けて歌を愛し、世俗に疎く自然に近い姿の少女。
風の谷のナウシカは加えて勇敢で、男勝りの剣を操り、空を自由に舞う。蟲に襲われた人間を助けながら傷ついた蟲にもまた心を痛め、その猛々しさは何かを守る為に発揮される。このように気高い少女など有り得ないと思うほどに彼女は純粋さを与えられている。ナウシカは宮崎氏の理想に違いない。
そしてナウシカの愚かではないかと思うほどの純粋さによって物語は転回する。死ぬはずの者が救われ、死ぬはずの無い者が死に、憎しみだけで戦った者が手を取る。ナウシカを中心に物語が展開する。
それからナウシカといえば象徴的なのは王蟲*1
ナウシカが心を寄せ頼りにしているものの一つが王蟲で、この巨大な蟲は物語に大きく関わるが、王蟲の血は青い。このことは古い言い伝えと関係して物語りの初期にも意味を持ってくるが、それ以上にこの作品上で重要な部分である。
物語が終わる間際、青い血である理由が判るのだが、それを知ったナウシカは、王蟲の存在理由を理解するに止まらず、その時点での王蟲という存在そのものを深く受け止め、存在理由を越えて存在するもの、生命自体への理解という形で、長く苦しい戦いの答えを見出すのである。
王蟲は高い知性を持っているものらしく、ナウシカ王蟲に真理を求めている部分があったのだが、真理は王蟲の中にだけあるのではなく、王蟲の中にも外にも、そして自分自身の中にもあったというわけだ。
ラストシーンのセリフいっぱいでネタバレでもOKな人はこちらも。

さて、ナウシカ王蟲以外にも魅力的なキャラクターは多数あるが、中でもクシャナは大きな存在だろう。兄達との確執に闘争心を燃やし鬼神の如き戦いぶりを恐れられるが、敵兵でも誇りのある戦士には報い、たった一人部下が死んでも動揺を隠せず、指揮官としては優しすぎる人物でもある。まさに英雄。宮崎氏が理想とする軍人の姿なのではないだろうか。
もちろんクシャナについても宮崎氏は語っている。

作者も思い入れのあるキャラクターです。「有能な前線指揮官って僕は好き」なんて言ってますね。実はドイツ軍とか好きだという話もある宮崎氏。*2
クシャナは傷を負っている、ということですが、わずかながら割かれたページで描写された限り、不幸な過去しか想像出来ないような生い立ちなのが彼女です。それなのによくぞここまでという名人物ぶり。宮崎氏が最後までほとんど描けなかったという母親の話ですが、クシャナが前しか見ていないのは母親の為だったりするんですよねぇ。
最後に、解説サイトで面白かった記事。

ナウシカは胸が大きく描かれている。しかしそれは傷ついた者を抱く為の胸なのだという。
一方で、一人で入浴するシーンではいかにも少女であり、いわゆる巨乳キャラのサービスシーンではないわけだ。作中で人物に期待される役割、表現したいものに応じて大きくなったり小さくなったりしてるわけで、非常に漫画的と言えますね。直感的にそういう描き分けが出来たということであれば大したものだと思います。

*1:どうでもいいがセラミックより強い王蟲の殻の剣は「デューン砂の惑星」に登場するサンドワームの牙が元ネタって話、あったような。NetHackのクリスナイフの元ネタで触れてたんだっけか。

*2:っていうか軍オタは大抵ドイツ軍が好きなのか。