さすが富野さんは面白いなぁ

 食えるための方法は、時代に振り回されたらダメですよ。左右のブースと似たようなことをやっちゃだめ。「自分のは独自性があります」と言うかもしれないが、お前程度の価値基準で独自性があると思っちゃダメなんだよ。所詮(しょせん)それはコピー。だってCGでアニメやってるんだろ。今アニメなんて国でさえ持ち上げてる。それに乗ってるだけじゃない。

「今アニメなんて国でさえ持ち上げてる。」
国で「さえ」ってwwwさすが先頭を走ってきた人は違うなw

僕の作品の場合は半分以上はまぐれあたりだと思う。問題は、まぐれ当たりが当たった時にどう続けるかということが、そこで本当のビジネスになってくる。死に物狂いでを前のコピーをえんえんとやっていくわけです。ただオリジナルがあるとコピーやっても他人から「えんえんコピーやってる」とののしられないわけで。

 僕の場合は「ガンダム」という名前を付ければ全部逃げ切れるというめでたいところにいるっていう意味では幸せだなと思っています。そういうのを手に入れるしかないんです。

 そのための方法論は、説明できたらとっくにやってます。次の作品2、3本作ってます。作れないから大騒ぎしてるわけです。これが実態です。

ぶっちゃけてるなw

 そこでもう1つ重要なモーメントは、他人のコピーになってしまうかどうかは、その人が本性的にもってる指向性や方向性に合致しているかしていないかです。11、12歳ぐらいまでにあなたが好きだったものにこだわれ、ということです。その延長線上にあるものと今やってる仕事がフィットするとかなりいい所に行くだろうと言えます。

物心つく前の、理由のわからないことを大事にするわけね。

 客は徹底的に素人です。素人は絶対に自分の好みを揺るがしにしませんから。きれいな絵、きれいなねーちゃん、きれいなヌード……きれいなもの、ぱっと見れば見た瞬間は気持ちいいです。が、2回見ますか? 不思議と2回、3回見ていいものは、きれいなだけのものでは絶対にないんですよ。そこは忘れていただきたくない。

消費するだけの大衆に振り回されんなってことですな。

 自分は中学1、2年生まで宇宙旅行が本当に好きで、宇宙旅行の研究しかしなかったんです。それは自分の趣味だから、軽くおいていたんです。

 ところが30代の雑誌の編集者の子たちが、小中学校の時に僕が書き散らしたものを見て「これなんですよね」と。そばで見ていて「なんでこいつら、僕の書き散らしたものにそんなに感動しているのだろう」と分からなかったんです。僕にとっては当たり前のことだったから。

 でもこんなことを小学校の5、6年から中1、中2の時にやってて、そりゃ高校受験にも落ちるよね、というぐらいやってたらしいです。好きってのはそういうものなんです。「ちょっと好き」は認めません。

受験に落ちる程の宇宙好きだったのかw

 ビジネスを大きくしたいなら、そこで必要なのはチームワーク。悔しいけど相手の技量を認めるということです。僕は例えば安彦君の技量は全部認めます。あの人の人格は全部認めません。大河原さんの技量は認めません。大河原タッチは大嫌いです。でもそれは絵のタッチのこと、デザインはまた別です。「惚れたら全部正義」と思うのがいけない。何を取り入れて何を捨てるか、ということをしなくてはならないんです。

人格は全部認めないだのタッチは大嫌いだのすげぇ言い草w

 小学校5、6年のとき日本初の怪獣映画「ゴジラ」が許せなかったんです。ゴジラが出ている画質と人物だけの画質が違いすぎるのになぜ同じ作品と見なくてはならないのかというのがあって。

 自衛隊、当時は保安隊と言ったかな、のF86の戦闘機のミニチュアが出てきたんです。でも木製のミニチュアがミサイルを撃っている時に揺れるんだったら、それは絵にしないほうがよかったんじゃないかと思った。ミニチュアを見せるならそれはやめてほしかった。そういう配慮がない。

 配慮がない円谷の特撮が「すごいすごい」と言っている大人がいたりすると嘘だろうと思った。見れば分かるのに、見て分からないふりをする。「大人の嘘つきを信用しない」と思った。

「大人の嘘つき」とは期待とか規準が違ったんだろうな。「特撮でこれなら上出来」っていうような、タカをくくった「すごいすごい」もあるだろうから。

 ロケットや宇宙人、ロボットが出てくればいいというだけじゃないという見方が分かってきた時、「SF映画が好きだって言うヤツの映画は絶対見ない」と確定したわけ。だってここ50、60年で作られたSF映画の名作は「2001年宇宙の旅」でしょう。あれはSFマニアの監督が作ったものではないんです。それを悔しいと思え! というわけです。

いやぁ辛いなぁw
SFもファンタジーも現実を映してるものが一番面白いって話ですね。

 まとめます。第1がコミュニケーション、第2が原理原則で考える。原理原則というのは、技術論もそうですし、自分自身の悟性や趣味のあり方、根はどこにあったのかを原理原則的に考えるということ。子どもの時の自分がどうだったかを反芻(はんすう)するということも含んでいます。

 その上で重要なのは、オーガナイザー、スタジオワークです。経営者、出資者の問題や、その人たちがアーティスティックな作業にどう対応するかということにもお気をつけいただきたいなということです。今回の金融危機でも分かる通り、必ずしも流行のものが正義ではないということです。

 スタジオワークを嫌わずに、スタジオで仕事することをおっくうがらずに進めていただきたいというふうに思います。

堅実だなぁ。まぁお説教だもんなこれw