中国でメディアをどう見ているか

面白い記事だなぁ。

山谷剛史氏は、ネットで加熱する中国の愛国主義をネットを通じて庶民レベルで俯瞰した新書「新しい中国人」
を上梓したばかり
 
筆者とガチンコ討論した、中国人はみな「中国のテレビのニュースでは他国についての悪いことを言わない」という。中国のテレビはNHK BSでもときどき放送されている国営放送CCTVをはじめ、各地域の省営放送、市営放送からなり、民営のテレビ局はない。

日本人から見れば、中国にポジティブなニュースばかりを選りすぐって報道しているように見えるし、一時期は日本人を悪者にした戦争ドラマをよく流していた。

しかしなるほど、確かにニュースは日本について悪く言っていない。日本の首相が靖国神社を参拝したときのニュースで中国の官営テレビがなんと報道したかは記憶にないが、中国人の言い分を信じるならば「日本の首相が靖国神社を参拝しました」で終わりであり、「軍国主義の足音がうんたらかんたら」といった報道はないことになる。

政府の広報みたいな官営テレビ局で都合の良い「事実」だけを淡々と流しているわけで砂。ぱっと見紳士的な態度に見える。いやあ性質が悪い。
そういえば聖火ランナーが日本を走る時TBSに姜尚中*1が出てきて淡々と「争うべきでない」とか喋っていたが、あれも内容はともかく態度だけ見ると好意的に評価したくなってしまうというくわせ者である。

日本人にとっては、地震が起きたとき、地元民が助け合って生き延びることは当たり前だ。軍や警察が出動して被害者の救出に向かうのも当然である。だからこそニュースにならない。逆に安全な場所であるはずの学校が崩れて、多くの被害者が出たことや、抗議してしかるべき父母が逮捕されたことにニュース性がある。

一方中国人の立場では、普段団結しない地元住民が助け合うことや中国全土の人々が一体となって募金すること、偉い人が現地入りして励ますことは、普段ないニュースだ。だから、どうしてこれを日本のメディアは紹介しないのだ、となる。

つまり日本人と中国人で「当たり前のこと」「意外なこと」の基準が異なるため、相手方の国のニュースを見る結果、おかしな印象を受けるのだ。

なるほど。中国では「おから建築」が崩れたとか当局が高圧的なんてのは当たり前で騒ぐ程のことじゃ無いと。

確かに日本のネットメディアや週刊誌は、日本人にとっては意外な(時として中国にとっては都合の悪い)ニュースを色々と載せている。

では中国はどうだろう? 中国政府系のメディア「新華社」、中国共産党系のメディア「人民日報」といったメディアがあるが、それだけを見るネチズンは超少数派だ。多くはポータルサイトの「新浪」(Sina)なり「捜狐」(SOHU)なり「網易」(NetEase)なりの中国政府の許可は必要だけど民営メディアを利用している。

前回の記事でも書いたが、これらのメディアが配信する記事で、編集局員自身が書いた記事はほとんどない。多くが意外性のあるPVが稼げそうなニュースを勝手に他所のメディアから拝借している。

なので、中国人読者の日本のイメージ(たとえばAVのイメージからくる日本の女子学生の話とか)にあった記事ばかりが配信され、中国人読者にとっての日本の印象にバイアスがかかる(日本だけでなく全ての物事にいえるが)。中国のネットメディアには、さまざまなニュースソースがあり、いいニュースも悪いニュースも、事実もゴシップも玉石混交で配信されている。そうした環境の下にいる人々が、一方的に「日本のメディアは中国の印象を悪くしている」というのはダブルスタンダードが発動しているのではないか。

なんか毎日新聞を思い出すようなこと書いてあんな。

日本であれば、記事内容と、その記事を執筆したメディアの双方を加味して文章を読むことができる(「ただしソースはXX」と書けば、記事本来の視点に補正がかかるわけだ)。が、中国では丸ごとコピーするので、メディアごとに記事の色が出ない。そうした中国の環境で育ってきた中国人は、いくら日本語が流暢であっても、背景を理解できない。

簡単に言うと、極端な日本語の反中・嫌中の記事を見たときに「ただしソースはXX」補正ができないのである。その結果「日本のメディアは反中だ、よくない」という結論に至ってしまうのは自然なことだろう。

メディアの多様性が無いのでリテラシーも無いということか。
週刊誌レベルのゴシップも真面目に受け取ってるとして、大紀元ソースの反中共記事なんかもあるわけだが・・・日本は反共記事が多いと判断されるわけか?
前回の記事っていうのも見てみた。

 言ってみれば、日本のブログやCGMは、メディアの記事を誰もが素直に受け取るわけでないということを可視化している。しかし、日本のインターネット社会では至極当たり前のことが、中国では常識ではない。中国の個人メディアでは、メディアの記事をそのまま横流しするスタイルが一般的だ。

 中国では、自分のエントリーに感想や意見を書き添えるブロガーはまずいない。疑うなら、試しに百度中国に行き、適当なニュース記事のタイトルで検索してみるといい。ヒットした中文ブログのほとんどが、ニュース全文をコピペしたものであるのが分かるだろう。

 いくつか読者の感想が付いている場合はあるが、ほとんどは引用元のURLもなく、ただコピーされた記事があるだけだ。ブロガーの言いたいことは「気になる記事を見つけたよ。みんな見てね」ということであり、日本のように「気になる記事を見つけた。個人的にはこう思う」というわけではないのだ。

みんな素直だね。しかしそれでは人気記事表示するサービスで事足りるのでは・・・選んだ記事の偏りで個性がわかる?

 中国では「他サイトに無許諾で記事全文をコピペしてもOKだが、引用元は明記すること」というのが暗黙のルールになっている。勝手に拝借して引用元も明記しないメディアはこのルールにも違反している。

 こうして生まれるのが、あるニュースサイトの記者の考えが、いくつものニュースサイトに同文同趣旨で伝播し、それを見たブロガーが同文同趣旨で記事を書くという状況だ。読者の疑問・反論・意見などは(たとえ個々のブロガーが感想を持っていても)可視化されないわけだ。

引用元を明かす暗黙のルールがありながらメディアはそれさえしないとな。

 2ちゃんねるをはじめとした日本の掲示板はしばしば「便所の落書き」と形容される。しかし、仮に便所の落書きだったとしても、文章のキャッチボールをするだけ「便所の落書き」度は低い。

 また、中国のインターネット利用者にはビッグマウスが少なくない。オンラインでなくともビッグマウスな若者にはよく出会う。例えば「あなたは中国から出てきた新規格の製品を買いますか? それとも日本や欧米の世界的な規格の製品を買いますか?」という質問には、まず間違いなく過半数が中国を支持する回答を選ぶ一方、数ヵ月後の購入者調査ではまったくといっていいほど誰も中国の製品を買ってない、という結果となるのがもはやお約束となっている。

愛国心表明・・・ってウソかよw

 加えて2億5000万人を超える中国のインターネット利用者の内訳は10代中盤から30代前半までの若い世代が大半を占める。その世代はまた、一人っ子政策が始まって兄弟がいない世代であり、小皇帝と呼ばれ、家族親族に溺愛され大して叱らることなく自信過剰に育った世代でもある。

 愛国教育を受けた世代と言われ、ときに強硬で理不尽な書き込みをすることから、中国のインターネット上では「憤青」と呼ばれ、理性ある一部のインターネット利用者から嫌われている(憤青に関しては日本語のWikipediaにも書いてある。興味があれば読むことをお勧めする)。

Wikipedia見てみた。

「憤怒青年」を短縮した、中国語で「怒れる若者」を意味する言葉。1960年代の日本における「怒れる若者達」、欧米の「angry youngmen」と同義。この言葉は1970年代の香港で、中国社会に不満を持ち改革を望む若者を指して初めて使用された。また、文化大革命で農村に下放され、学問の道を絶たれたゆえに「憤慨する青年」を指すこともあった。しかし今日では中国のネット上で特別な意味を持つ言葉として使用されている。

反日教育の成果で賛同する者も多いが、一部の心ある中国ネット利用者から同じ発音を持つ「糞青」という蔑称を付けられ呼ばれてきている、形同「猪八戒照鏡」。

これは日本でのネット社会で執拗に反韓国・反中国の偏った主張ばかりする民族主義的なネット利用者を「嫌韓厨」「嫌中厨」「ネット右翼」と称される事が多くなってきている傾向と類似する。

中国版の「酷使さま」で砂。
時間と共に減りそう。

*1:ずっと中国系だと思ってたけど朝鮮人なのね。帰化しててプロテスタント。韓国系かな?